初音ミク、7周年。 http://gigazine.net/news/20140830-miku-talk-session-1/ * なお、初音ミクの声の主(歌声ライブラリの提供者)は、藤田 咲さん ( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E7%94%B0%E5%92%B2 )、 「初音ミク -Project DIVA-」(2009)のモーションアクターは、小倉 唯さん ( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%80%89%E5%94%AF )。
さて、初音ミク成功の要素として以前から語られてきたのは、そのキャラクター性 (人となり)です。単なるソフトウェアだけでなく、最初から容姿と(あえて最低限に 限定された)キャラクター(年齢、身長、体重)が、公式に設定されたのです: >それまで合成音声に歌を歌わせるというのは誰もやってなかったんです。 >さらに、そこにキャラクターを付け加えるというのは本当に誰もやっていなかった。 >そこに当社は目をつけて「人となり」を付け加えた、というのが後になって大きな >意義を持ってくることになるわけなんです。 >キャラクターを与えたことで、さまざまな創作が生まれてくることになります。 > 2頭身にデフォルメされた初音ミクの動画が生まれたかと思うと、それを使って >二次使用した別の動画が出てきたり、また別の絵が生まれたり、今度はフィギュアに >なったりして、創作の連鎖が生まれるわけです。これは「人となり」を与えたことで >生まれた意義なのですが、 (上記*ページ) そして、*ページは、次に、こう続きます: >一方でこの創作の連鎖というものが2つの新たな課題を生むことになったのです。 >その課題とは、「著作権に関する手続きをいかに簡素化して創作を行いやすくするか」 >ということと、そのようにして生みだされた創作物(=著作物)を「公正に再利用して >もらう」ためのルール作り、ということでした。 『二次創作物を公正に再利用してもらうためのルール作り』。 青空文庫( http://www.aozora.gr.jp/ )の黎明期にも課題になったこと(下記、補足**を参照) でした。社会的なものには、何が正しい利用なのかを決めたルールが必要であり、 それがないと利用は広がらない。 それを、再認識した2014年 8月31日でした。青空文庫の富田倫生氏が亡くなってから、 1年と15日。 補足**: http://www.aozora.gr.jp/soramoyou/soramoyou2013.html 富田倫生氏による: >2013年01月01日 春を待つ冬芽 >開設当初、「青空文庫のファイルは自由に使ってください。」とだけ書いていた。 オープンソースにも造詣の深い山形浩生さんから、そうした姿勢を「しょぼい」と 批判された。このファイルを使って、何ができるか、何はゆるさないかを明確に 定義し、表明しておかなければ、使う側は手を出しにくい。社会の資源としては、 生かされないと。 初出: Facebook 2014/ 8/31 https://www.facebook.com/hitoshi.takagi/posts/823735407659615