評価・状態: 得られるものがあった本★★☆
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新しいものと言葉の力記事ページ 発行: 2011年10月09日
中島 京子 : プロムナード コレ、どうやって食べるの? 日本経済新聞, 2011/ 8/26, 夕刊, 9面. (2)
(1)は、言葉が認識を生むことに成功した例、(2)は、言葉が認識を生むことに失敗した例である。 ある事柄に関する言葉は、インターネットを通じて、手に入れられるようになった。 しかし、言葉が生む直観は、認識を促すかもしれないし、妨げるかもしれない。認識は、認識を持たない情報の受け手の想像力によって為される行為である。言葉選びに、情報の発信者は十分に注意しなければならない (補足を参照のこと)。 文章は、以下のように終わる。 アラウンド80の両親は、彼らにとって新しい果物であるマンゴーを楽しんだ。この出会いにとって、残念ながら言葉は邪魔にはたらいた。そして、その逆、すなち、出会いおいて言葉がプラスにはたらくこともある。 世界規模で問題を解決していかねばならない時代において、我々は目新しいものと頻繁に出会わなければならない。その出会いを幸福なものにするために、言葉が果たす役割は大きく、言葉の発信者に負うところが大きい。 補足: 認識について、カントは次のように書いている。 イマヌエル カント=著, 中山 元=訳 : 純粋理性批判〈2〉(光文社古典新訳文庫, 2010) p.186.
(1)は、ゴーヤチャンプルーの作り方の説明が直観させる像を、想像力で結合し、「ゴーヤはニンジン(スライスして肉野菜炒めに入れる別の野菜)と同じ」だという概念が作られたのだろう。 (2)は、おそらく「三枚に下ろして」という表現が魚の像を直観させ、それをマンゴーという果物の像と想像力によって結合できず、概念を作れなかったのだろう。 |
感覚の哨戒線と自発性・当事者意識によって、知性が可能になる記事ページ 発行: 2011年07月24日
感覚の哨戒線と自発性・当事者意識によって、知性が可能になる。 {}内、太字は、ブログ著者による。 関連: 私には垂直縦進性がない http://www.h5.dion.ne.jp/~wing-x/ezhtml/inw3/za_0811200.html#3 イージスと終端誘導の高度能力 http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-2948.html |
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