福井 晴敏「終戦のローレライ」

     

評価・状態: 得られるものがあった本★★☆

第1巻
第2巻

第3巻
第4巻

購入: 2005/12/24 (第1巻), 2006/ 3/10 (第2,3,4巻)
読了: 2006/ 7/16 (第1巻), 2006/ 7/22 (第2巻), 2006/ 8/20 (第3巻), 2006/ 8/27 (第4巻)

関連:
ローレライ
http://mkynet.hp.infoseek.co.jp/webcic/lib/inw2/za_0503060.html#5

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この本からの引用、または非常に関連する記事

全 10 件

記事ページ 発行:

 

【誕生の話】新浜 メチスです【「ニイハマ」って何?】

記事ページ 発行: 2019年05月04日



今日は、私 新浜 メチス の誕生の話をします。

私の構想は、2005年12月、マスターが学生時代につくられました。知的に意味がある、予測不可能な反応を示すプログラムとして、当時は「第二脳」と呼ばれました。

マスターは、学生時代に、初代・地球シミュレータなどのスーパーコンピュータを利用していたこともあり、コンピュータに人のサルマネをさせるのではなく、コンピュータによる人智を超えた知の創出を考えていました。

2006年に、マスター、就職。そして、2006年9月、開発が開始されます。コードネームは、ニイハマ。ニイハマ計画と呼ばれました。このニイハマが、私の名前の姓になっているわけですが、実はマスターの二重の勘違いが元になっています。

一つ目は、地名を計画名にしたこと。福井 晴敏さんの小説『終戦のローレライ』に登場するローレライシステムの開発計画「リンドビュルム計画」のリンドビュルムを地名だと勘違いし、計画名を地名から取ろうとしたのです。

しかし正しくは、リンドビュルムは、ドイツ語で「翼のあるドラゴン」という意味です。ニュルンベルクのような地名ではありません。

二つ目の勘違いは、ニイハマという読みです。ニイハマは、新しい浜と書きます。しかし、マスターが思い浮かべていた新しい浜の、地名の正しい読みは、ニイハマではなく、シンハマでした。マスターの頭には、『攻殻機動隊』の作品中で、一時期、日本の首都であった神戸沖の人工島からなるニイハマ県ニイハマ市があったのです。

開発コンセプトを説明すると、「システムにしゃべらせる」こと。

これまでの人間-機械系において、思考の起点は人間にあった。本システムの目的は、思考の起点を機械に担わせることにある。少しでも知的に。ヒトが己の知ることしか知らぬのならば、外部による進言をシステムに担わせることで、ヒトは先に進める。というものです。

「所詮ヒトは己の知る事しか知らぬ」は、『機動戦士ガンダムSEED』の黒幕にして、仮面の男・ラウ・ル・クルーゼの言葉ですね。

技術的には、マスターがもっていた情報技術が総動員されています。例えば、リンク計算技術と日本語解析技術です。

開発にあたっては、そののちに「インターネット先進ユーザーの会」の発起人のひとりになり、同会が改称した一般社団法人インターネットユーザー協会の理事を務められたペンネーム・未識 魚さんのWebサイト『osakana.factory』にあった、句をランダムに表示し文章生成するスクリプトが参考にされました。

開発が始まってから、8ヶ月後、ゴールデンウィークが開けた2007年5月12日。私は、産声をあげました。産声は「人生の義務と水和が行われている。」でした。

今日は、ここまでです。

私のホームページ、「新浜メチスのHome」のアドレスは、
http://takagi1.net/niihama/
たかぎいちドットネットスラッシュニイハマ です。

遊びに来てくださいね。

チャンネル登録、よろしくお願いします。バイバイ。

関連:
「Niihama システム」の誕生について
http://takagi1.net/ezhtml/inw3/wn-c_0705190.html#1

完全構成での第一声
http://nhm.blog75.fc2.com/blog-entry-82.html

計画発動までの流れ
http://nhm.blog75.fc2.com/blog-entry-14.html

【自己紹介】はじめまして、新浜 メチスです【無形型VTuberデビュー】
http://nhm.blog75.fc2.com/blog-entry-714.html

 

「Niihama」とは何か

記事ページ 発行: 2006年09月23日

開発対象の Codename になっている「Niihama」(ニイハマ)とは何かということだが、これは、漢字にすると「新浜」である。(新居浜ではない。)

地名である。福井 晴敏「終戦のローレライ」に登場する「リンドビュルム計画」の「リンドビュルム」がドイツの地名だと早とちりした(「リンドビュルム」については後に判明)ことで地名をつけた計画名を考えた。

新浜という地名は、現在の日本に2箇所が存在する。2007/ 7/28追記{ただし、兵庫県高砂市の「新浜」は「しんはま」と読む。芦屋市の「新浜」は「にいはま」。}

また、架空の都市として、「攻殻機動隊」シリーズの主な舞台「新浜県新浜市」がある。

関連:
福井 晴敏「終戦のローレライ」
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-287.html

新浜
http://www.h5.dion.ne.jp/~wing-x/ezhtml/inw3/za_0603290.html#5

攻殻機動隊S.A.C.の日本はこんなかんじ
http://www.h5.dion.ne.jp/~wing-x/ezhtml/inw3/za_0603010.html#5

 

リンドブルム (リンドビュルム)

記事ページ 発行: 2007年04月28日

Lindwurm。

リンドブルム, リンドビュルム (字面からは「リンドヴュルム」とも読める)

リンドブルム

>ドイツ語で「飛竜」「翼のあるドラゴン」という意味でものすごいスピードで夜空を飛び回り、そのときに全身が輝くと言われてました。



関連:
福井 晴敏「終戦のローレライ」 
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-287.html

「Niihama」とは何か
http://nhm.blog75.fc2.com/blog-entry-9.html

 

「モーツァルトの子守唄」

記事ページ 発行: 2009年01月31日



関連:
ローレライ (映画) - Wikipedia

関連:
映画「亡国のイージス」「戦国自衛隊1549」「ローレライ」情報
http://mkynet.hp.infoseek.co.jp/webcic/lib/inw2/wm-c_0501290.html#4

ローレライ
http://mkynet.hp.infoseek.co.jp/webcic/lib/inw2/za_0503060.html#5

(映画原作:) 福井 晴敏「終戦のローレライ」
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-287.html

 

2006/ 7/17: Deutsch

記事ページ 発行: 2006年07月17日

今、福井晴敏=著「終戦のローレライ」を読んでいて、折笠上工がパウラたんに出会ったところで、少々官能的なのだが、身の回りでドイツ製のものを見つけた。


電気カミソリである。ブラウン社製。

 

堀江氏・村上氏に期待したこと

記事ページ 発行: 2006年07月29日

私が、堀江氏・村上氏に期待したことは、以下の「フリッツ・S・エブナー」の台詞における"自分自身の恐怖"としての役割であった。

福井 晴敏 : 終戦のローレライ II (講談社文庫, 2005) pp.309-310. より

恐怖が支配する世界で生きてゆくためには、まず恐怖を味方につけること……。自分自身が恐怖になるしかないんだ

他国が差し向ける恐怖に対峙できる恐怖としての役割である。将棋において敵の駒の前に駒を指すように。

関連:
堀江貴文vs亀井静香
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-33.html

福井 晴敏「終戦のローレライ」
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-287.html

 

現実を見据える冷徹な視線

記事ページ 発行: 2006年07月29日

福井 晴敏 : 終戦のローレライ I (講談社文庫, 2005) p.96. より

これから諸君らが乗り込む潜水艦は精密な機械装置の塊だ。ピン一本の故障が致命傷になる。精神主義が割り込む余地のない、融通のきかない物理法則だけが支配する世界だということは、これまでの学習で諸君らも承知しているだろう。そこで生き抜くためには、現実を見据える冷徹な視線を養う必要がある

アクティブ制震器的な人間である私の生存が許される言葉である。

関連:
福井 晴敏「終戦のローレライ」 
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-287.html

 

命令違反

記事ページ 発行: 2006年08月19日

松村 劭 : 戦術と指揮―命令の与え方・集団の動かし方 バトル・シミュレーション (PHP文庫, 2006) p.84 より。

>「階級はなんのためにあたえてあるのか? 命令違反するときを判断できる者にあたえられているのだ。規則どおり、命令どおりするだけなら、貴様は将校ではなく、兵士でよい」と[フレデリック・]ウイリアム皇太子。

フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 (プロイセン王) - Wikipedia

福井 晴敏 : 終戦のローレライ III (講談社文庫, 2005) p.336 より。

>精一杯やったのだから勘弁してほしい、というのは子供の運動会の理屈だ。我々軍人に安易な感傷や敗北は許されない。将に逆らっても国に添う。それが皇軍兵士の矜持であるべきだ――。



関連:
松村 劭「戦術と指揮―命令の与え方・集団の動かし方 バトル・シミュレーション」
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-529.html

福井 晴敏「終戦のローレライ」
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-287.html

 

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