不適切なアナロジーは詭弁と紙一重
記事ページ 発行: 2010年01月11日
議論でも、思考でも、アナロジー(類推)だけで突き進んではならない。
議論の際にアナロジー使うの禁止しませんか? - Discommunicative >ここでアナロジーというのは、ある複雑なものごとを説明するさい、同じ特徴をもった、もっと身近なものごとにたとえて説明することをいいます。
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アナロジーの力は、重要な要素だけを抽出し、非本質的な要素 ――電流は分子の流れではない―― を無視することにあります。では、「何が本質的要素か」について双方の意見がことなっていた場合には?その場合、アナロジーは議論をミスリードさせるだけでしょう。
さて、問題は、好き好んでweb上で議論しようなんて人間のほとんど全部が、救いがたいバカだってこと。バカは不適切なアナロジーが詭弁と紙一重だということを知らない(あるいは他のバカにはわからないだろうと踏んであえて無視する)ので、もう無制限に使う使うww
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アナロジーは「わかってない人間にわからせる」力はあっても「意見の違う人間を改宗させる」力はありません。「議論をこじれさせる」力ならありますが。
三中 信宏 : 分類思考の世界 (講談社現代新書, 2009) p.89.> 哲学者ネルソン・グッドマン(Nelson Goodman 一九〇六〜九八)が、「類似性に対する七つの非難 (Seven strictures on similarity)」という短い論考を発表したのは一九七二年のことだった。その論文の中で、グッドマンは類似性なるものがいかにあやふやで有害かを繰り返し糾弾している。とりわけ、冒頭のパラグラフは強烈だ。 類似性とはいわば取扱注意の概念である。... 類似性は、さもやすやすと哲学上の問題を解決したり困難を克服したりできるような顔をして、実際には何の能力もない詐欺師が口から出まかせにしゃべっているようなものだ。確かに、類似性には出番があり、それなりの役に立つ場面もある。しかし、それ以上に、場違いなところに顔を突っ込んでは、法螺を吹きまくるのが問題なのだ。
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