「論語」

     

評価・状態: 得られるものが秀逸・多量な本★★★



購入: 2007/ 8/11
読了: 2007/ 9/19

四書の中で2番目に読むべきとされる。

他記事における「論語」の引用にあたっては、邑瀬 伶氏の「論語の世界」を参考にしつつ、引用元である岩波版に表記をあわせた。

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この本からの引用、または非常に関連する記事

全 15 件

最初に、問題を定義すること

記事ページ 発行: 2009年12月12日

問題解決の最初に、問題を定義すること。(複数人で問題解決を行う場合には、それを共有すること。)

その中では、問題を定義した文に使われている語の定義を明らかにしなければならない。

関連:  
問題の分割・構造・全体像を、共有する  
http://nhm.blog75.fc2.com/blog-entry-357.html  
 
川喜田氏に学ぶ、まとめサイトは議論を促進する  
http://nhm.blog75.fc2.com/blog-entry-318.html  
>まとめサイトにおいて、「この意見が言及している問題は何か」ということを明示する。  
 
http://www.h5.dion.ne.jp/~wing-x/ezhtml/inw3/za_0712090.html#2  
金谷 治 訳注 : 論語 (岩波文庫, 1999) p.250.  
(http://homepage2.nifty.com/mukyu/books/booknet/blog-entry-1329.html )  
>>君子は自分のことばについては決していいかげんにしないものだよ。

 

考えられるようにすること

記事ページ 発行: 2014年08月03日

問題対象を考えられるようにすること。

そのために、問題対象の全体と部分が、考える人・コンピュータが誰でも、いつでも、同一であるようにすること。

もし、そうでなく、部品 a を、Aさんは部分アに属し、Bさんは部分イに属していると考えていると、部品 a はダブルカウントされたり、あるいは全く見過ごされるかもしれない。

また、問題対象の全体と部分を、それぞれ、いつでも同一にすることは、全体と部分の思考の昇降運動を可能にする。

そのために、問題対象の全体と、その切り分け、そして、それぞれの名称を共有すること。

・名前を付ける

問題対象の全体と部分を、誰でも、いつでも、同一にイメージ(頭の中に再生)できるように名前を付ける。同じ問題に取り組む他者や過去の自分との、情報のやり取りが高速化し、発想が高速に生まれ、知識が生まれる。

また、名前を使い、イメージに没入する回数を減らすことによって、客観視ができるようになる。

人を真に反応させ、行動させる情報は、名前と数字である

(完全ネタバレ)アニメ『アクセル・ワールド』21話 ささっと内容、画像、感想|ブログ?!なんのこっちゃ〜ん

ニコ
「それじゃ、あんたに一つ
心意の極意を教えておいてあげよう

心意技、名前はつけてあんのか?
心意技はいかに早く、そして強くイメージを固めるかが肝なんだよ
まずは名前をつけて、その発声をトリガーにするんだ

ほら付けろ、今すぐ付けろ!」


金谷 治 訳注 : 論語 (岩波文庫, 1999) p.249-250.

巻第七 子路第十三 3 関連

名不正則言不順、言不順則事不成、

名正しからざれば則ち言順わず[:したがわず]、言順わざれば則ち事成らず、

名が正しくなければ [*] ことばも順当でなく、ことばが順当でなければ仕事もできあがらず、

* 名と実があっていること

自分の感情に名前を付けると、抑え込まずに分析できる | ライフハッカー[日本版]

 

名不正則言不順、

記事ページ 発行: 2014年12月02日

金谷 治 訳注 : 論語 (岩波文庫, 1999) pp.249-250.

巻第七 子路第十三 3 より抜粋

名不正則言不順、言不順則事不成、事不成則禮樂不興、禮樂不興則刑罰不中、刑罰不中則民無所措手足、故君子名之必可言也、言之必可行也、君子於其言、無所苟而已矣、

名正しからざれば則ち言順わず[:したがわず]、言順わざれば則ち事成らず、事成らざれば則ち礼楽興らず、礼楽興らざれば則ち刑罰中らず[:あたらず]、刑罰中らざれば則ち民手足を措く所なし。故に君子はこれに名づくれば必ず言うべきなり。これを言えば必らず行うべきなり。君子、其の言に於いて、苟くもする所なきのみ。

名が正しくなければ [*] ことばも順当でなく、ことばが順当でなければ仕事もできあがらず、仕事ができあがらなければ、儀礼や音楽も盛んにならず、儀礼や音楽が盛んでなければ、刑罰もぴったりゆかず、刑罰がぴったりゆかなければ人民は〔不安で〕手足のおきどころもなくなる。だから君子は名をつけたら、きっとことばとして言えるし、ことばで言ったらきっとそれを実行できるようにする。君子は自分のことばについては決していいかげんにしないものだよ。

  * 名と実があっていること



 

其の言の其の行に過ぐるを恥ず

記事ページ 発行: 2009年04月04日

Confucius said, "Gentlemen feel shame when their words exceed their acts." -- the Analects of Confucius (英訳は論語 憲問第十四を英訳 ちょんまげ英語塾から引用)

金谷 治 訳注 : 論語 (岩波文庫, 1999) p.289.

巻第七 憲問第十四 29

>子曰、君子恥其言之過其行也、 [*]

 * 引用元では「過」の"しんにょう"は、点2つ。

子の曰わく、君子は其の言の其の行に過ぐるを恥ず。

先生がいわれた、「君子は、自分のことばが実践よりも以上になることを恥じとする。」



 

言語の限界

記事ページ 発行: 2010年08月15日

谷川 流 : 涼宮ハルヒの憂鬱 (角川文庫, 2006) p.214.

「言語では概念を説明出来ないし理解も出来ない」


● ある言語の限界による損失

司馬 遼太郎 : 坂の上の雲 2 (文春文庫, 1999) p.319.

「和歌の腐敗というのは」
 と、子規はいう。
「要するに趣向の変化がなかったからである。なぜ趣向の変化がなかったかといえば、純粋な大和言葉ばかり用いたがるから用語がかぎられてくる。


知の国産

自国言語で技術が語られないことの、国的な損失は多大である。

立花 隆 : ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術 (文藝春秋, 2003) pp.176-177.
> 福居浩一『タイ文字を創れ』(化学同人 二八〇〇円)は、海外技術協力の一環として、タイ、インドネシア、ビルマなどで、技術書をその国の言葉で出版する事業に取り組んだ日本人の物語である。
 東南アジアに限らず、発展途上国では、従来、技術書が現地語で出版されることはなかった。

> 幾多の難関をのりこえて、...といった一般向けの技術書が五十八点も各地で出版され、大歓迎される。現地語の技術書が出ることで、その国の技術水準が大幅に上がる。


梅棹 忠夫 : メディアとしての博物館 (平凡社, 1987) p.146.

東南アジアからきた青年たちは、英語の説明がないのをもどかしがったが、やがてハッと気がついていった。
「そうか、日本語は英語やフランス語とおなじように、それだけでなんでもいえる言語なんですね」
かれらの母国語では、なんでも表現できるわけではないので、とくに学術的な事項を説明するためには、英語はかれらにとって絶対必要だと感じられていたのである。... わたしたちは日本語でなんでもいえるのである。


金谷 治 訳注 : 論語 (岩波文庫, 1999) p.249-250.

巻第七 子路第十三 3 より抜粋

名不正則言不順、言不順則事不成、事不成則禮樂不興、禮樂不興則刑罰不中、刑罰不中則民無所措手足、故君子名之必可言也、言之必可行也、君子於其言、無所苟而已矣、

名正しからざれば則ち言順わず[:したがわず]、言順わざれば則ち事成らず、事成らざれば則ち礼楽興らず、礼楽興らざれば則ち刑罰中らず[:あたらず]、刑罰中らざれば則ち民手足を措く所なし。故に君子はこれに名づくれば必ず言うべきなり。これを言えば必らず行うべきなり。君子、其の言に於いて、苟くもする所なきのみ。

名が正しくなければ [*] ことばも順当でなく、ことばが順当でなければ仕事もできあがらず、仕事ができあがらなければ、儀礼や音楽も盛んにならず、儀礼や音楽が盛んでなければ、刑罰もぴったりゆかず、刑罰がぴったりゆかなければ人民は〔不安で〕手足のおきどころもなくなる。だから君子は名をつけたら、きっとことばとして言えるし、ことばで言ったらきっとそれを実行できるようにする。君子は自分のことばについては決していいかげんにしないものだよ。

* 名と実があっていること


● 言語の本質的限界

米盛 裕二 : アブダクション―仮説と発見の論理 (勁草書房, 2007) p.221.

言葉の曖昧さや不明瞭さを言語の欠陥としてのみみなし、それを一掃し、日常の言語を、いわば純化すれば、「理想的」言語が得られると考えるのは、言語の本質を全く誤解するものである

...

[自然言語に対する] 形式言語は、われわれが存在している世界において伝達のために用いる言語としては役に立たないということである (17)

(17) シドニー・フック編『言語と理想』三宅鴻・大江三郎・池上嘉彦訳、研究社、一九七四年、二二七頁。


「文章もインターフェイスである」

● 言語の拡張

ハイパーテキストという表現手法

詩と歌 (他のメディアとの組み合わせによる拡張)

 

大国高民論の位置づけ

記事ページ 発行: 2012年10月15日

本論は、大国高民論(:知的側面を強化した国民多数をもって大国を形成する思想。知的制高面の構築を、その実現の方法とする)を抑制するものではなく、大国高民論を深化し、実現を進めるものである。


大国高民論そのものの位置づけを、「論語」子路第十三9 を参考にして、考える。

子適衛。冉有僕。子曰。庶矣哉。冉有曰。既庶矣。又何加焉。曰。富之。曰。既富矣。又何加焉。曰。教之。

子、衛(えい)に適(ゆ)く。冉有(ぜんゆう)僕(ぼく)たり。子曰わく、庶(おお)きかな。冉有が曰わく、既(すで)に庶し。又た何をか加えん。曰わく、これを富まさん。曰わく、既に富めり。又た何をか加えん。曰わく、これを教えん。


すなわち、順番は、以下である。

  人口>富>教育

つまり、

  安全>経済>高民

であり、「高民」の形成は、第3順番である。

なお、これは大国高民論を抑制しない。順番が附された思想は、意識され、存在が確立するのである。


また、上位順番にある2概念である"安全"と"経済"から生じる副次的効果は、知的制高面を構築する要素になる。

知的制高面の前提である、知的活動の基盤を構成する要素として、例えば以下を挙げられる。

(1) 国土
(2) 自由
(3) 治安
(4) 公衆衛生
(5) 食糧
(6) エネルギー
(7) 広さ
(8) 教育
(9) 理文技術の実用化・普及
(10) 学術情報アクセス
(11) 自由時間

これらは、安全と経済から生じる副次的効果(及び主たる効果)である。しかし、副次的効果それぞれが分散していては、これらはいずれ消散する。

これらは意識的に新たな軸としてまとめられると、不揮発な資産になる。つまり、以下のような軸の構造である。

・知的活動の基盤
 - 安全な環境 (国土、自由、治安、公衆衛生)
 - 快適な環境 (食糧、エネルギー、広さ)
 - 知的基盤 (教育、理文技術の実用化・普及、学術情報アクセス)
 - 自由時間

安全と経済から生じる副次的効果を、意識的に軸「知的活動の基盤」としてまとめることにより、知的活動の基盤をつくり・向上させ、知的活動を栄えさせ、知的制高面の構築を進捗させることができる。

 

鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし

記事ページ 発行: 2014年03月23日

「子(し)の曰(のたま)わく、民の義を務(つと)め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂(い)うべし」---論語・雍也第六。


「民の義を務め」は、いかようにも解釈できる。私は、論語の主旨から離れるかもしれないが、“民が公欲に従い”と言えば良い、と考える。

 

敬鬼神而遠之、可謂知矣

記事ページ 発行: 2016年07月15日

「子(し)の曰(のたま)わく、民の義を務(つと)め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂(い)うべし」---論語・雍也第六。

その後半を取り出す: 鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし

何を「知」と謂うべしなのかを考えるに、それは独立だと考える。ただし、孤立ではない。

人智を超えるもの(情報の神。集団での情報の振る舞いなど)または人能を超えるもの(エネルギーの神。自然・自然現象など)の存在を認めつつも、
それに流されない・乱されない堅牢な状態が、「知」をもつ状態である。

すなわち、情報の神とエネルギーの神の、顕在的・潜在的な存在を無くせないという不自由があるが、しかし自在な状態が「知」をもつ状態である。

初出:
Facebook 2016/ 5/19

関連:
根本的な問題解決
http://nhm.blog75.fc2.com/blog-entry-347.html
>外乱・内乱があっても、理想的な状態であり続けるようにすることが、根本的な問題解決である。

「論語」
http://homepage2.nifty.com/mukyu/books/booknet/blog-entry-1329.html

(「民の義を務め」)
http://nhm.blog75.fc2.com/blog-entry-589.html

 

智・仁・勇

記事ページ 発行: 2007年06月03日

佐藤 一斎=著 川上正光=全訳注 : 言志四録 (ニ) (講談社学術文庫, 1979) pp.233-234.

>智者は惑わず
仁者は憂えず
勇者は恐れず

追記: 元は、「論語」巻第五 子罕第九 30

>子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼

金谷 治 訳注 : 論語 (岩波文庫, 1999) p.183.

関連:    
佐藤 一斎「言志四録」 
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-949.html

「論語」
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-1329.html

 

四書を読む順番

記事ページ 発行: 2007年06月28日

佐藤 一斎=著 川上正光=全訳注 : 言志四録 (四) (講談社学術文庫, 1981) p.20.

>朱子も四書についてこういっている。「まず大学を読んでその規模を定め、次に論語を読んで以ってその根本を定め、次に孟子を読んで以ってその発越を観、次に中庸を読んで古人微妙の処を求む」と。

つまり、
1. 大学
2. 論語
3. 孟子
4. 中庸 の順。

関連:
「大学・中庸」
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-1328.html

「論語」
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-1329.html

「孟子」
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-1330.html

佐藤 一斎「言志四録」
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-949.html

 

自ずから考えるようになることは稀であり、故に学問は修養になる

記事ページ 発行: 2007年09月15日

自ずから(おのずから)考えるようになることは稀である。

印南 一路 : すぐれた意思決定―判断と選択の心理学 (中公文庫, 2002) p.8.

>我々人生のほとんどは、考えまいとするための延々たる努力である。 ハクスレイ

故に、学問は修養になる。

金谷 治 訳注 : 論語 (岩波文庫, 1999) p.287.
巻第七 憲問第十四 25

>子曰、古之學者爲己、今之學者爲人、

子の曰わく、古え[:いにしえ] の学者は己れの為めにし、今の学者は人の為めにす。

先生がいわれた、「むかしの学んだ人は自分の〔修養の〕ためにした。このごろの学ぶ人は人に知られたいためにする。」



関連:
「論語」
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-1329.html

印南 一路「すぐれた意思決定―判断と選択の心理学」
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-1493.html

 

神霊には大切にしながらも遠ざかっている

記事ページ 発行: 2007年11月09日

金谷 治 訳注 : 論語 (岩波文庫, 1999) p.118-119

巻第三 雍也第六 22

樊遲問知、子曰、務民之義、敬鬼?b而遠之、可謂知矣、...

樊遅[はんち]、知を問う。子の曰わく、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。...

樊遅が智のことをおたずねすると、先生はいわれた、「人としての正しい道をはげみ、神霊には大切にしながらも遠ざかっている、それが智といえることだ。」...



関連:
「論語」
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-1329.html

 

今お前は自分から見きりをつけている

記事ページ 発行: 2007年11月16日

金谷 治 訳注 : 論語 (岩波文庫, 1999) p.113

巻第三 雍也第六 12


冉求曰、非不説子之道、力不足也、子曰、力不足者、中道而廢、今女畫、 [*]

 * 引用元では「道」の"しんにょう"は、点2つ。

冉求が曰わく、子の道を説ばざる[:よろこばざる]には非ず、力足らざればなり。子の曰わく、力足らざる者は中道にして廃す。今女[:なんじ] は画れり[:かぎれり]。

冉求が「先生の道を〔学ぶことを〕うれしく思わないわけではありませんが、力が足りないのです。」といったので、先生はいわれた、「力の足りないものは〔進めるだけ進んで〕途中でやめることになるが、今お前は自分から見きりをつけている。」



関連:  
「論語」 
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-1329.html

 

曾子の曰わく、吾れ日に三たび吾が身を省る

記事ページ 発行: 2007年12月04日

金谷 治 訳注 : 論語 (岩波文庫, 1999) p.22.

巻第一 学而第一 4

>曾子曰、吾日三省吾身、爲人謀而忠乎、與朋友交言而不信乎、傳不習乎

曾子の曰わく、吾れ日に三たび吾が身を省る。人の為めに謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝うるか。

曾子がいった、「わたしは毎日何度もわが身について反省する。人のために考えてあげてまごころからできなかったのではないか。友達と交際して誠実でなかったのではないか。よくおさらいもしないことを〔受けうりで〕人に教えたのではないかと。」



関連: 
「論語」
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-1329.html

 

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