夏目漱石 『野分』 「この間の音楽会には高柳さんとごいっしょで…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 夏目漱石 『野分』

現代語化

「この間のコンサートに高柳さんと一緒だったのね」
「うん、特に約束してたわけじゃないんだけど、途中で会ったから誘ったんだ。動物園の前で、桜の花びらを見ながら悲しそうに立ってたんだよ。かわいそうになっちゃって」
「誘ってあげたんだね。病気とかじゃないの?」
「ちょっと咳してたみたいだけど、たいしたことないと思う」
「顔色がすごく悪かったわよ」
「あいつは神経質過ぎるから、自分で病気を作り出しちゃうんだ。そうやって慰めると、逆に皮肉を言うんだ。最近はますますヘンになってるみたい」
「かわいそうね。どうしてるの」
「どうしたって、ひとりぼっちが好きで、世の中を敵みたいに思ってるから、手が出せない」
「失恋したの?」
「そういう話も聞いたことないけど。いっそのこと誰か結婚したらいいかもしれない」
「世話してあげたらいいわよ」
「世話するって、ああ照れ臭いからやめてよ。奥さんがかわいそうだ」
「でも、世話したら治るかもしれないじゃん」
「少しは治るかもしれないけど、そもそも性格なんだよ。悲観する癖があるんだ。悲観症にかかってる」
「フフフ、どうしてそんな病気になったんだろう」
「なんでだろうね。遺伝かもしれない。そうじゃなきゃ子どもの頃に何かあったんだろ」
「何か聞いたことある?」
「ないよ。そういう話はあまり聞きたくないし、あいつは何も言わないんだ。もっとあっけらかんとしてたら慰めてやれるんだけど」
「生活に困ってるわけじゃないよね」
「生活には困ってるよ。でも無闇に金あげたら投げつけられる」
「だって文学士なんだから、自分で稼げそうじゃない」
「稼ぐよ。だからもう少し待てばいいんだけど、あいつは性急で卒業した次の日から有名作家になって金持ちになって楽に暮らそうとしてるから大変なんだ」
「出身はどこなの?」
「新潟県」
「遠いんだね。新潟県ってお米ができるんでしょ。やっぱり農家?」
「農家なんだろう。――ああ、新潟県を思い出した。この間あなたが帰るときにすれ違った男がいるよね」
「うん、背が高くてひげを生やしてた。あの人の下駄にびっくりしたわ。すごく薄っぺらなの。まるで草履みたい」
「あいつは平気なんだよね。愛嬌がないし、こっちが話しかけても何も返事しない」
「それで何しに来てたの」
「雑誌の記者だって言って、インタビューをしに来たんだ」
「あなたの? 何か話したの?」
「うん、その雑誌送ってくるからあとで見せてあげる。――で、あいつについて面白い話があるんだ。高柳が地元の中学に通ってた時、あいつに習ったんだって――で、なんと文学士なんだよ」
「えー!? そんなふうに見えない」
「でも高柳がいろいろと悪戯をして、いじめ抜いて追い出してしまったんだって」
「あの人を? ひどいことをするわね」
「それで高柳は自分が生活に困るようになってから後悔して、先生も追い出されたことで苦労しただろうから、会ったら謝ろうって言ってた」
「追い出されたせいで、あんなに落ちぶれたのかしら。そう思うと気の毒ね」
「それからこの間、あいつが雑誌の記者だってことが分かったでしょ。だからコンサートの帰りに高柳に教えてあげたんだ」
「高柳さんは会ってたのかしら」
「行ったかもしれないよ」
「追い出したんだから、早く謝ったほうがいいわね」
「ねえ、あっち行って少しみんなと遊ばない?嫌?」
「写真は撮らないの?」
「あ、すっかり忘れてた。写真、撮らせてよ。僕はなかなかアーティスティックな写真が撮れるんだ。うん、商売人が撮るのは下等だよ。――写真もこの数年でずいぶん進歩したんだ。今は立派な芸術だよ。普通の写真は誰が撮っても同じだけど、今は個人の好みで調子が全然違うんだ。余計なものを消したり、全体の調子を整えたり、微妙な光の効果を画面全体に出したり、いろいろやってるんだ。すると景色専門家とか人物専門家が出てくるんだよ」
「あなたは人物の専門家なの?」
「僕? 僕は――そうだな、――あなただけの専門家になろうかなって思ってる」
「やめてよー」

原文 (会話文抽出)

「この間の音楽会には高柳さんとごいっしょでしたね」
「ええ、別に約束した訳でもないんですが、途中で逢ったものですから誘ったのです。何だか動物園の前で悲しそうに立って、桜の落葉を眺めているんです。気の毒になってね」
「よく誘って御上げになったのね。御病気じゃなくって」
「少し咳をしていたようです。たいした事じゃないでしょう」
「顔の色が大変御わるかったわ」
「あの男はあんまり神経質だもんだから、自分で病気をこしらえるんです。そうして慰めてやると、かえって皮肉を云うのです。何だか近来はますます変になるようです」
「御気の毒ね。どうなすったんでしょう」
「どうしたって、好んで一人坊っちになって、世の中をみんな敵のように思うんだから、手のつけようがないです」
「失恋なの」
「そんな話もきいた事もないですがね。いっそ細君でも世話をしたらいいかも知れない」
「御世話をして上げたらいいでしょう」
「世話をするって、ああ気六ずかしくっちゃ、駄目ですよ。細君が可哀想だ」
「でも。御持ちになったら癒るでしょう」
「少しは癒るかも知れないが、元来が性分なんですからね。悲観する癖があるんです。悲観病に罹ってるんです」
「ホホホホどうして、そんな病気が出たんでしょう」
「どうしてですかね。遺伝かも知れません。それでなければ小供のうち何かあったんでしょう」
「何か御聞になった事はなくって」
「いいえ、僕ああまりそんな事を聞くのが嫌だから、それに、あの男はいっこう何にも打ち明けない男でね。あれがもっと淡泊に思った事を云う風だと慰めようもあるんだけれども」
「困っていらっしゃるんじゃなくって」
「生活にですか、ええ、そりゃ困ってるんです。しかし無暗に金をやろうなんていったら擲きつけますよ」
「だって御自分で御金がとれそうなものじゃありませんか、文学士だから」
「取れるですとも。だからもう少し待ってるといいですが、どうも性急で卒業したあくる日からして、立派な創作家になって、有名になって、そうして楽に暮らそうって云うのだから六ずかしい」
「御国は一体どこなの」
「国は新潟県です」
「遠い所なのね。新潟県は御米の出来る所でしょう。やっぱり御百姓なの」
「農、なんでしょう。――ああ新潟県で思い出した。この間あなたが御出のとき行き違に出て行った男があるでしょう」
「ええ、あの長い顔の髭を生やした。あれはなに、わたしあの人の下駄を見て吃驚したわ。随分薄っぺらなのね。まるで草履よ」
「あれで泰然たるものですよ。そうしてちっとも愛嬌のない男でね。こっちから何か話しかけても、何にも応答をしない」
「それで何しに来たの」
「江湖雑誌の記者と云うんで、談話の筆記に来たんです」
「あなたの? 何か話しておやりになって?」
「ええ、あの雑誌を送って来ているからあとで見せましょう。――それであの男について妙な話しがあるんです。高柳が国の中学にいた時分あの人に習ったんです――あれで文学士ですよ」
「あれで? まあ」
「ところが高柳なんぞが、いろいろな、いたずらをして、苛めて追い出してしまったんです」
「あの人を? ひどい事をするのね」
「それで高柳は今となって自分が生活に困難しているものだから、後悔して、さぞ先生も追い出されたために難義をしたろう、逢ったら謝罪するって云ってましたよ」
「全く追い出されたために、あんなに零落したんでしょうか。そうすると気の毒ね」
「それからせんだって江湖雑誌の記者と云う事が分ったでしょう。だから音楽会の帰りに教えてやったんです」
「高柳さんはいらしったでしょうか」
「行ったかも知れませんよ」
「追い出したんなら、本当に早く御詫をなさる方がいいわね」
「どうです、あっちへ行って、少しみんなと遊ぼうじゃありませんか。いやですか」
「写真は御やめなの」
「あ、すっかり忘れていた。写真は是非取らして下さい。僕はこれでなかなか美術的な奴を取るんです。うん、商売人の取るのは下等ですよ。――写真も五六年この方大変進歩してね。今じゃ立派な美術です。普通の写真はだれが取ったって同じでしょう。近頃のは個人個人の趣味で調子がまるで違ってくるんです。いらないものを抜いたり、いったいの調子を和げたり、際どい光線の作用を全景にあらわしたり、いろいろな事をやるんです。早いものでもう景色専門家や人物専門家が出来てるんですからね」
「あなたは人物の専門家なの」
「僕? 僕は――そうさ、――あなただけの専門家になろうと思うのです」
「厭なかたね」


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