夏目漱石 『野分』 「先生はだいぶ御忙しいようですが……」…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 夏目漱石 『野分』

現代語化

「先生はすごく忙しいみたいですが……」
「ええ。進んで忙しい中に入り込んで、人から見たら酔狂な苦労をしてます。はははは」
「失礼ですが今はどんなことをされてるんですか……」
「今はですか、ええいろいろやってますよ。飯を食う方と本来の仕事の方と両方やろうとするからなかなか大変です。近頃は頼まれてよくいろんなところへ話をしに行きます」
「随分大変でしょう」
「大変と言えば大変ですが、そう大変っていうよりむしろバカバカしいです。まあいい加減に書いては来ますが」
「なかなか面白いことを言う人がいそうですね」
「面白いどころか、この間はウマ、ウマの説明を聞かされました」
「ウマ、ウマですか?」
「ええ、あの子供が食べ物をウマウマって言うでしょ。あれの由来ですね。その人の説によると子供が舌が回り出してから一番早く出る発音がウマウまだそうで。それでその頃は何もかもウマウマ、何も見なくてもウマウマだからつまりは何にもなくてもいいんだそうだけど、そこが子供にとって一番大切なものは食べ物だから、とうとう食べ物の方で、ウマウマを独占してしまったんだそうです。そこで大人もその癖が残って、美味しいものをウマいと言うようになった。だから人生の悩みは結局のところウマウマの2文字にたどり着くんだって言うんです。なんだか寄席に行ったみたいでしょ」
「バカにしてますよね」
「ええ、だいたいはバカにされに行くんですよ」
「でもそんなつまらないことを言うなんて失礼ですよね」
「なに、失礼だっていーんですよ、どうせ、分からないから。そうかと思うと、すごく真面目だけどかなり突飛なのがいて。この間はすごい恋愛論を聞かされました。まあ若い人ですけど」
「中野のことじゃないですか?」
「君、知ってるの? あいつ熱心だったよ」
「私の同級生です」
「ああ、そうなんだ。中野春台とか言う人ですね。よっぽど暇なんでしょう。あんなこと真剣に考えてるくらいだから」
「金持ちです」
「うん、いい家に住んでますね。君、あいつと親しいの?」
「ええ、前はすごく親しかったんですけど。でもどうもだめなんです。最近は――なんか――未来の奥さんでもできたみたいで、あまり付き合ってくれないんです」
「いいじゃん。付き合わなくても。損にもなりそうもない。はははは」
「でもなんか、こう、一人ぼっちみたいな気がして寂しくてしょうがないんです」
「一人ぼっちで、いいでしょ」
「先生ならいいでしょう」
「昔から何かしようとすればだいたい一人ぼっちになるものです。そんな一人の友達に頼るようじゃ何もできません。場合によっては親戚とも仲違いすることになります。奥さんにバカにされることもあります。最後には下女からもバカにされます」
「私がそんなふうになったら、不愉快で生きていけないと思います」
「それじゃ、文学者になれません」
「私だって、あなたのぐらいの時は、ここまでとは考えてなかった。でも世の中の現実は本当にここまで来るんです。嘘じゃない。苦しんだのはイエスや孔子だけじゃなくて、私たち文学者は苦しんだイエスや孔子を筆の先で褒めて、自分たちは気楽に暮らしてればいいんだなんて考えてるのは偽文学者ですよ。そんな連中にはイエスや孔子を褒める資格はありません」

原文 (会話文抽出)

「先生はだいぶ御忙しいようですが……」
「ええ。進んで忙しい中へ飛び込んで、人から見ると酔興な苦労をします。ハハハハ」
「失礼ながら今はどんな事をやっておいでで……」
「今ですか、ええいろいろな事をやりますよ。飯を食う方と本領の方と両方やろうとするからなかなか骨が折れます。近頃は頼まれてよく方々へ談話の筆記に行きますがね」
「随分御面倒でしょう」
「面倒と云いや、面倒ですがね。そう面倒と云うよりむしろ馬鹿気ています。まあいい加減に書いては来ますが」
「なかなか面白い事を云うのがおりましょう」
「面白いの何のって、この間はうま、うまの講釈を聞かされました」
「うま、うまですか?」
「ええ、あの小供が食物の事をうまうまと云いましょう。あれの来歴ですね。その人の説によると小供が舌が回り出してから一番早く出る発音がうまうまだそうです。それでその時分は何を見てもうまうま、何を見なくってもうまうまだからつまりは何にもつけなくてもいいのだそうだが、そこが小供に取って一番大切なものは食物だから、とうとう食物の方で、うまうまを専有してしまったのだそうです。そこで大人もその癖がのこって、美味なものをうまいと云うようになった。だから人生の煩悶は要するに元へ還ってうまうまの二字に帰着すると云うのです。何だか寄席へでも行ったようじゃないですか」
「馬鹿にしていますね」
「ええ、大抵は馬鹿にされに行くんですよ」
「しかしそんなつまらない事を云うって失敬ですね」
「なに、失敬だっていいでさあ、どうせ、分らないんだから。そうかと思うとね。非常に真面目だけれどもなかなか突飛なのがあってね。この間は猛烈な恋愛論を聞かされました。もっとも若い人ですがね」
「中野じゃありませんか」
「君、知ってますか。ありゃ熱心なものだった」
「私の同級生です」
「ああ、そうですか。中野春台とか云う人ですね。よっぽど暇があるんでしょう。あんな事を真面目に考えているくらいだから」
「金持ちです」
「うん立派な家にいますね。君はあの男と親密なのですか」
「ええ、もとはごく親密でした。しかしどうもいかんです。近頃は――何だか――未来の細君か何か出来たんで、あんまり交際してくれないのです」
「いいでしょう。交際しなくっても。損にもなりそうもない。ハハハハハ」
「何だかしかし、こう、一人坊っちのような気がして淋しくっていけません」
「一人坊っちで、いいでさあ」
「先生ならいいでしょう」
「昔から何かしようと思えば大概は一人坊っちになるものです。そんな一人の友達をたよりにするようじゃ何も出来ません。ことによると親類とも仲違になる事が出来て来ます。妻にまで馬鹿にされる事があります。しまいに下女までからかいます」
「私はそんなになったら、不愉快で生きていられないだろうと思います」
「それじゃ、文学者にはなれないです」
「わたしも、あなたぐらいの時には、ここまでとは考えていなかった。しかし世の中の事実は実際ここまでやって来るんです。うそじゃない。苦しんだのは耶蘇や孔子ばかりで、吾々文学者はその苦しんだ耶蘇や孔子を筆の先でほめて、自分だけは呑気に暮して行けばいいのだなどと考えてるのは偽文学者ですよ。そんなものは耶蘇や孔子をほめる権利はないのです」


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