夏目漱石 『吾輩は猫である』 「なるほど」…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 夏目漱石 『吾輩は猫である』

現代語化

「なるほど」
「みんながこれを鉄扇鉄扇って言ってるけど、これは甲冑って言って鉄扇とは全然別のものなんだよ……」
「へえ、何に使うものですか?」
「兜を割るんだ――敵が目をくらませたところを撃ち取ったものらしいよ。楠正成の時代から使われてたみたいで……」
「おじさん、それは正成の甲割ですか?」
「いや、これは誰のか分からない。でも時代は古い。建武時代のものかもしれない」
「建武時代かもしれないけど、寒月君はダメだと言ってましたよ。苦沙弥君、今日帰り道にちょうどいい機会だから大学を通り抜けるついでに理科に行って、物理の実験室を見せてもらったんだけど。この甲冑が鉄製のものだから、磁力の器械が狂って大騒ぎになったんだ」
「いや、そんなはずはない。これは建武時代の鉄だから、性質がいいから絶対そんなことはない」
「いくら性質のいい鉄だってそうはいかないですよ。実際に寒月がそう言ったんだし」
「寒月というのは、あのガラスの球を磨いている男かい。今の若者は気の毒すぎるな。もう少し何かやることあるだろうに」
「かわいそうに、あれは研究のためだってば。あの球を磨き上げると立派な学者になれるんですって」
「玉を磨りあげて立派な学者になれるなら、誰にでもできる。自分にもできる。ビードロ屋にだってできる。そういうことをする人は中国では玉人って呼ばれてて、地位がすごく低いんだ」
「なるほど」
「今の世の中は全部形而下の学問で、一見立派そうだけど、いざとなったら全然役に立たないんだ。昔は違って、侍は命がけの勝負だったから、いざという時に慌てないように精神修行をしてたんだ。知ってるかもしれないけど、玉を磨いたり針金を曲げたりするのは全然簡単じゃない」
「なるほど」
「おじさん、精神修行ってのは玉を磨く代わりに懐手をして座ってるってことですか?」
「だからそれがダメなんだ。そんな簡単なことじゃない。孟子は心を落ち着けろって言ったんだ。邵康節は心を自由にしろって説いたこともある。仏教では中峯和尚っていう人が、心がぶれないように鍛えようって教えてるらしいよ。なかなか理解するのは難しい」
「到底理解できませんよ。そもそもどうすればいいんですか?」
「沢庵禅師の『不動智神妙録』って本読んだことあるかい?」
「いえ、聞いたこともありません」
「どこに心を置こうか。敵の動きに心を置くと、敵の動きに心がとらわれてしまう。敵の太刀に心を置くと、敵の太刀に心がとらわれてしまう。敵を切ろうと思うときに心を置くと、敵を切ろうと思うときに心がとらわれてしまう。自分の太刀に心を置くと、自分の太刀に心がとらわれてしまう。自分が切られると思うときに心を置くと、切られると思うときに心がとらわれてしまう。人の構えに心を置くと、人の構えに心がとらわれてしまう。つまり心を置く場所はどこにもない」
「よく忘れずに暗記したもんですね。おじさんもなかなか記憶力が良い。長いですよね。苦沙弥君、分かったかい?」
「なるほど」
「ねえ、あなた、そうでしょう。どこに心を置こうか、敵の動きに心を置くと、敵の動きに心がとらわれてしまう。敵の太刀に心を置くと……」
「おじさん、苦沙弥君はそんなことはよく心得ていますよ。近頃は毎日書斎で精神修行ばかりしてるんですから。客が来ても玄関に出ないくらい心を置き去りにしているんだから大丈夫ですよ」
「おお、それは珍しいことで――あなたが少し一緒にやったらいいだろう」
「へへへ、そんな暇はありませんよ。おじさんは自分が楽してるから、人も遊んでると勘違いしてるんでしょう」
「実際遊んでるじゃないか」
「でも暇な中にも忙しいんですけどね」
「そう、のんびりしてるから修行しないとダメだってんだ。忙しさの中にも余裕があるって言葉はあるけど、暇な中にも忙しいってのは聞いたことがない。ねえ、苦沙弥さん」
「ええ、どうも聞いたことがないようです」
「はははは、そうなったら敵わない。ところで、おじさんどうです。久しぶりに東京の鰻でも食べませんか?竹葉でも奢りましょう。ここからなら電車で行けばすぐです」
「鰻も結構だけど、今日はこれから杉原に行く約束があるから、自分はこれで失礼しよう」
「ああ、あの爺さんもお元気ですか?」
「杉原じゃない、水原だ。あなたは間違ったことをよく言うから困る。人の名前を取り違えるのは失礼だ。気をつけないと」
「だって杉原って書いてあるじゃないですか」
「杉原って書いて水原って読むんだ」
「変ですね」
「変なことなんてないよ。名目読みって言って、昔からあることさ。蚯蚓を和名でミミズって言うでしょ。あれは目が無いってことで名目読みだよ。蝦蟇ってのをガマって言うのも同じこと」
「へえ、びっくりしました」
「蝦蟇を潰すと仰向けになってカエルになるだろ。それを名目読みでガマっていうんだ。透垣を水垣、茎立をククタチ、全部同じことだ。杉原をスギハラとか言うのは田舎言葉だよ。気をつけないと人に笑われる」
「じゃあ、その、水原にこれから行くんですか。困ったな」
「なんだ、嫌ならあなたは行かなくてもいい。俺は一人で行くから」
「一人で行けますか?」
「歩くのは大変だ。車を雇ってもらって、ここから乗って行くよ」

原文 (会話文抽出)

「なるほど」
「みんながこれを鉄扇鉄扇と云うが、これは甲割と称えて鉄扇とはまるで別物で……」
「へえ、何にしたものでございましょう」
「兜を割るので、――敵の目がくらむ所を撃ちとったものでがす。楠正成時代から用いたようで……」
「伯父さん、そりゃ正成の甲割ですかね」
「いえ、これは誰のかわからん。しかし時代は古い。建武時代の作かも知れない」
「建武時代かも知れないが、寒月君は弱っていましたぜ。苦沙弥君、今日帰りにちょうどいい機会だから大学を通り抜けるついでに理科へ寄って、物理の実験室を見せて貰ったところがね。この甲割が鉄だものだから、磁力の器械が狂って大騒ぎさ」
「いや、そんなはずはない。これは建武時代の鉄で、性のいい鉄だから決してそんな虞れはない」
「いくら性のいい鉄だってそうはいきませんよ。現に寒月がそう云ったから仕方がないです」
「寒月というのは、あのガラス球を磨っている男かい。今の若さに気の毒な事だ。もう少し何かやる事がありそうなものだ」
「可愛想に、あれだって研究でさあ。あの球を磨り上げると立派な学者になれるんですからね」
「玉を磨りあげて立派な学者になれるなら、誰にでも出来る。わしにでも出来る。ビードロやの主人にでも出来る。ああ云う事をする者を漢土では玉人と称したもので至って身分の軽いものだ」
「なるほど」
「すべて今の世の学問は皆形而下の学でちょっと結構なようだが、いざとなるとすこしも役には立ちませんてな。昔はそれと違って侍は皆命懸けの商買だから、いざと云う時に狼狽せぬように心の修業を致したもので、御承知でもあらっしゃろうがなかなか玉を磨ったり針金を綯ったりするような容易いものではなかったのでがすよ」
「なるほど」
「伯父さん心の修業と云うものは玉を磨る代りに懐手をして坐り込んでるんでしょう」
「それだから困る。決してそんな造作のないものではない。孟子は求放心と云われたくらいだ。邵康節は心要放と説いた事もある。また仏家では中峯和尚と云うのが具不退転と云う事を教えている。なかなか容易には分らん」
「とうてい分りっこありませんね。全体どうすればいいんです」
「御前は沢菴禅師の不動智神妙録というものを読んだ事があるかい」
「いいえ、聞いた事もありません」
「心をどこに置こうぞ。敵の身の働に心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり。敵の太刀に心を置けば、敵の太刀に心を取らるるなり。敵を切らんと思うところに心を置けば、敵を切らんと思うところに心を取らるるなり。わが太刀に心を置けば、我太刀に心を取らるるなり。われ切られじと思うところに心を置けば、切られじと思うところに心を取らるるなり。人の構に心を置けば、人の構に心を取らるるなり。とかく心の置きどころはないとある」
「よく忘れずに暗誦したものですね。伯父さんもなかなか記憶がいい。長いじゃありませんか。苦沙弥君分ったかい」
「なるほど」
「なあ、あなた、そうでござりましょう。心をどこに置こうぞ、敵の身の働に心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり。敵の太刀に心を置けば……」
「伯父さん苦沙弥君はそんな事は、よく心得ているんですよ。近頃は毎日書斎で精神の修養ばかりしているんですから。客があっても取次に出ないくらい心を置き去りにしているんだから大丈夫ですよ」
「や、それは御奇特な事で――御前などもちとごいっしょにやったらよかろう」
「へへへそんな暇はありませんよ。伯父さんは自分が楽なからだだもんだから、人も遊んでると思っていらっしゃるんでしょう」
「実際遊んでるじゃないかの」
「ところが閑中自から忙ありでね」
「そう、粗忽だから修業をせんといかないと云うのよ、忙中自ら閑ありと云う成句はあるが、閑中自ら忙ありと云うのは聞いた事がない。なあ苦沙弥さん」
「ええ、どうも聞きませんようで」
「ハハハハそうなっちゃあ敵わない。時に伯父さんどうです。久し振りで東京の鰻でも食っちゃあ。竹葉でも奢りましょう。これから電車で行くとすぐです」
「鰻も結構だが、今日はこれからすい原へ行く約束があるから、わしはこれで御免を蒙ろう」
「ああ杉原ですか、あの爺さんも達者ですね」
「杉原ではない、すい原さ。御前はよく間違ばかり云って困る。他人の姓名を取り違えるのは失礼だ。よく気をつけんといけない」
「だって杉原とかいてあるじゃありませんか」
「杉原と書いてすい原と読むのさ」
「妙ですね」
「なに妙な事があるものか。名目読みと云って昔からある事さ。蚯蚓を和名でみみずと云う。あれは目見ずの名目よみで。蝦蟆の事をかいると云うのと同じ事さ」
「へえ、驚ろいたな」
「蝦蟆を打ち殺すと仰向きにかえる。それを名目読みにかいると云う。透垣をすい垣、茎立をくく立、皆同じ事だ。杉原をすぎ原などと云うのは田舎ものの言葉さ。少し気を付けないと人に笑われる」
「じゃ、その、すい原へこれから行くんですか。困ったな」
「なに厭なら御前は行かんでもいい。わし一人で行くから」
「一人で行けますかい」
「あるいてはむずかしい。車を雇って頂いて、ここから乗って行こう」


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