夏目漱石 『吾輩は猫である』 「おやいらしゃいまし」…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 夏目漱石 『吾輩は猫である』

現代語化

「おや、いらっしゃいましたか」
「全然知りませんでした」
「いえ、今来たばかりなんです。今風呂場で奥さんに水を掛けてもらって、ようやく生き返ったところです――どうも暑いじゃありませんか」
「この2、3日は、ただじっとしてても汗が出るくらいで、とても暑いですね。――でもお変わりないですか」
「ええ、ありがとうございます。暑いくらいでそんなに変わりゃしませんよ。でもこの暑さは格別ですよ。どうも体がだるくて」
「私もついに昼寝をしたことがないんですが、こう暑いとうとう――」
「しちゃいますか。いいですよ。昼寝して、夜も寝られたら、こんなにいいことはないですね」
「私は寝たくないんです、質がよくて。苦沙弥君みたいに来るたびに寝ているのを見るとうらやましいですよ。まあ胃弱にはこの暑さが堪えますけどね。元気な人でも今日は首を肩に載せてるのが辛くて。でも、載ってる以上はもぎ取るわけにもいかないですね」
「奥さんなんかは首にまだ載せてるものがあるんだから、座ってられないはずです。髷の重みだけで横になりたくなりますよ」
「ホホホ、ひどいことを言うな」
「奥さん、昨日はね、屋根の上で目玉焼きをして見ましたよ」
「目玉焼きをどうやって作られたんですか?」
「屋根の瓦があまりきれいに焼けていたので、ただ置いておくのももったいなくて。バターを溶かして卵を落としたんです」
「あらまあ」
「でも、やっぱり日光は思うようにいかないんです。なかなか半熟にならないから、下に降りて新聞を読んでたらお客さんが来て忘れちゃって、今朝になって急に思い出して、もう大丈夫だろうと上がってみたら」
「どうなってたんですか?」
「半熟どころか、すっかり流れてなくなってました」
「おやおや」
「でも、土用中あんなに涼しくて、今頃から暑くなるのは不思議ですね」
「ほんとですよ。こないだまでは単衣でも寒いぐらいだったのに、一昨日から急に暑くなりましたね」
「カニなら横に這うところですが、今年の気候は後戻りしてるんですよ。逆戻りして間違って進んでいるとまた元に戻れないって言うようなことを言ってるかもしれない」
「なんでございますか、それは」
「いえ、別にどうってことないんです。どうもこの気候の逆戻りをするところは、まるでハーキュリーズの牛ですよ」
「へえー」
「奥さん、ハーキュリーズの牛ってご存知ですか?」
「そんな牛は知りませんわ」
「知らないですか、ちょっと講釈しましょうか」
「ええ」
「昔、ハーキュリーズが牛を連れて来たんです」
「そのハーキュリーズってのは牛飼いだったんですか?」
「牛飼いじゃないですよ。牛飼いもいろはの亭主もやってません。その頃はギリシャにはまだ牛肉屋が一軒もなかったんです」
「あら、ギリシャの話なの? それならそうおっしゃればいいのに」
「だってハーキュリーズじゃないですか」
「ハーキュリーズならギリシャなんですか?」
「ええ、ハーキュリーズはギリシャの英雄で」
「なるほど、知らないと思いました。それでその男がどうしたんで――」
「その男がね、奥さんみたいに眠くなってぐうぐう寝てる――」
「あらいやだ」
「寝てる間に、バルカンの息子が来て」
「バルカンって何ですか?」
「バルカンは鍛冶屋ですよ。この鍛冶屋の息子がその牛を盗んだんです。でもね。牛の尻尾を持ってぐいぐい引いて行ったもんだから、ハーキュリーズが目を覚まして『牛やーい、牛やー』って探してもわからないんです。わからないはずですよ。牛の足跡をたどっても、前に連れて行ったんじゃなくて、後ろに後ろへと引きずっていったんだから。鍛冶屋の息子にしては大したものですよ」
「ところでご主人どうされましたか。相変わらず昼寝ですか。昼寝も中国の詩に出てくると風流ですが、苦沙弥君みたいに日課としてるのはちょっと俗っぽいですね。なにものでもない、毎日少しずつ死に近づいていくようなものですぜ。奥さん、お手数ですがちょっと起こしてください」
「ええ、ほんとにあれでは困ります。まず第一にあなたが体調を崩すばかりですよ。今ご飯を食べたばかりなのに」
「奥さん、ご飯って言うと、私はまだ食べてないんですけど」
「おやまあ、ちょうど昼時なのに全然気が付きませんでしたで――それじゃあ、何もありませんが御茶漬けにしますか?」
「いえ、御茶漬けなんかいただかなくってもいいですよ」
「それでも、あなた、どうせ好みに合うようなものはないでしょうけど」
「いえ、御茶漬けも御湯漬けもご遠慮します。今、途中で美味しいものを買って来たんですから、ここでいただきますよ」
「まあ!」

原文 (会話文抽出)

「おやいらしゃいまし」
「ちっとも存じませんでした」
「いえ、今来たばかりなんですよ。今風呂場で御三に水を掛けて貰ってね。ようやく生き帰ったところで――どうも暑いじゃありませんか」
「この両三日は、ただじっとしておりましても汗が出るくらいで、大変御暑うございます。――でも御変りもございませんで」
「ええありがとう。なに暑いくらいでそんなに変りゃしませんや。しかしこの暑さは別物ですよ。どうも体がだるくってね」
「私しなども、ついに昼寝などを致した事がないんでございますが、こう暑いとつい――」
「やりますかね。好いですよ。昼寝られて、夜寝られりゃ、こんな結構な事はないでさあ」
「私なんざ、寝たくない、質でね。苦沙弥君などのように来るたんびに寝ている人を見ると羨しいですよ。もっとも胃弱にこの暑さは答えるからね。丈夫な人でも今日なんかは首を肩の上に載せてるのが退儀でさあ。さればと云って載ってる以上はもぎとる訳にも行かずね」
「奥さんなんざ首の上へまだ載っけておくものがあるんだから、坐っちゃいられないはずだ。髷の重みだけでも横になりたくなりますよ」
「ホホホ口の悪い」
「奥さん、昨日はね、屋根の上で玉子のフライをして見ましたよ」
「フライをどうなさったんでございます」
「屋根の瓦があまり見事に焼けていましたから、ただ置くのも勿体ないと思ってね。バタを溶かして玉子を落したんでさあ」
「あらまあ」
「ところがやっぱり天日は思うように行きませんや。なかなか半熟にならないから、下へおりて新聞を読んでいると客が来たもんだからつい忘れてしまって、今朝になって急に思い出して、もう大丈夫だろうと上って見たらね」
「どうなっておりました」
「半熟どころか、すっかり流れてしまいました」
「おやおや」
「しかし土用中あんなに涼しくって、今頃から暑くなるのは不思議ですね」
「ほんとでございますよ。せんだってじゅうは単衣では寒いくらいでございましたのに、一昨日から急に暑くなりましてね」
「蟹なら横に這うところだが今年の気候はあとびさりをするんですよ。倒行して逆施すまた可ならずやと云うような事を言っているかも知れない」
「なんでござんす、それは」
「いえ、何でもないのです。どうもこの気候の逆戻りをするところはまるでハーキュリスの牛ですよ」
「へえー」
「奥さん、ハーキュリスの牛を御存じですか」
「そんな牛は存じませんわ」
「御存じないですか、ちょっと講釈をしましょうか」
「ええ」
「昔しハーキュリスが牛を引っ張って来たんです」
「そのハーキュリスと云うのは牛飼ででもござんすか」
「牛飼じゃありませんよ。牛飼やいろはの亭主じゃありません。その節は希臘にまだ牛肉屋が一軒もない時分の事ですからね」
「あら希臘のお話しなの? そんなら、そうおっしゃればいいのに」
「だってハーキュリスじゃありませんか」
「ハーキュリスなら希臘なんですか」
「ええハーキュリスは希臘の英雄でさあ」
「どうりで、知らないと思いました。それでその男がどうしたんで――」
「その男がね奥さん見たように眠くなってぐうぐう寝ている――」
「あらいやだ」
「寝ている間に、ヴァルカンの子が来ましてね」
「ヴァルカンて何です」
「ヴァルカンは鍛冶屋ですよ。この鍛冶屋のせがれがその牛を盗んだんでさあ。ところがね。牛の尻尾を持ってぐいぐい引いて行ったもんだからハーキュリスが眼を覚まして牛やーい牛やーいと尋ねてあるいても分らないんです。分らないはずでさあ。牛の足跡をつけたって前の方へあるかして連れて行ったんじゃありませんもの、後ろへ後ろへと引きずって行ったんですからね。鍛冶屋のせがれにしては大出来ですよ」
「時に御主人はどうしました。相変らず午睡ですかね。午睡も支那人の詩に出てくると風流だが、苦沙弥君のように日課としてやるのは少々俗気がありますね。何の事あない毎日少しずつ死んで見るようなものですぜ、奥さん御手数だがちょっと起していらっしゃい」
「ええ、ほんとにあれでは困ります。第一あなた、からだが悪るくなるばかりですから。今御飯をいただいたばかりだのに」
「奥さん、御飯と云やあ、僕はまだ御飯をいただかないんですがね」
「おやまあ、時分どきだのにちっとも気が付きませんで――それじゃ何もございませんが御茶漬でも」
「いえ御茶漬なんか頂戴しなくっても好いですよ」
「それでも、あなた、どうせ御口に合うようなものはございませんが」
「いえ御茶漬でも御湯漬でも御免蒙るんです。今途中で御馳走を誂らえて来ましたから、そいつを一つここでいただきますよ」
「まあ!」


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