太宰治 『津軽』 「貞伝和尚は、今別の新山甚左衛門の子で、早…

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「貞伝和尚ってやつは、今別の新山甚左衛門の息子で、弘前の誓願寺で修行して、後はいわき市の専称寺で15年も修行して、29歳で津軽の今別の本覚寺の住職になったんだって。享保16年に42歳で亡くなるまでは、津軽だけでなく東北各地で布教活動をしてたんだって。享保12年に金銅の塔婆を建てた時は、青森はもちろん、秋田、松前からも大勢の人が集まったんだぜ。」
「文学の話もいいけど、君の文学の話ってちょっと変だよね。だから有名にならないんだよ。貞伝和尚とかはさ、」
「貞伝和尚とかはさ、お経を説く前に、まず民衆の生活を良くしようとしたんだ。そうしないと、民衆は仏の教えなんて聞かないからね。貞伝和尚は産業を興したり、」
「まあとにかく行ってみようぜ。今別に来て本覚寺を見ないとダサいじゃん。貞伝和尚は外ヶ浜の誇りなんだって。そう言いながら、俺もまだ見たことないんだ。いい機会だから、今日行ってみよう。みんなで一緒に行こうぜ。」

原文 (会話文抽出)

「貞伝和尚は、今別の新山甚左衛門の子で、早く弘前誓願寺に弟子入して、のち磐城平、専称寺に修業する事十五年、二十九歳の時より津軽今別、本覚寺の住職となつて、享保十六年四十二歳に到る間、其教化する処、津軽地方のみならず近隣の国々にも及び、享保十二年、金銅塔婆建立の供養の時の如きは、領内は勿論、南部、秋田、松前地方の善男善女の雲集参詣を見た。」
「文学談もいいが、どうも、君の文学談は一般向きでないね。ヘンテコなところがある。だから、いつまで経つても有名にならん。貞伝和尚なんかはね、」
「貞伝和尚なんかはね、仏の教へを説くのは後まはしにして、まづ民衆の生活の福利増進を図つてやつた。さうでもなくちや、民衆なんか、仏の教へも何も聞きやしないんだ。貞伝和尚は、或いは産業を興し、或いは、」
「まあ、とにかく行つて見よう。今別へ来て本覚寺を見なくちや恥です。貞伝和尚は、外ヶ浜の誇りなんだ。さう言ひながら、実は、僕もまだ見てゐないんだ。いい機会だから、けふは見に行きたい。みんなで一緒に見に行かうぢやないか。」

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