GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。
青空文庫図書カード: 横光利一 『旅愁』
現代語化
「決定的な呼び声」
「わたしのもとに来る者は、親や妻や兄弟や姉妹、さらには自分の命さえも憎まなければ、わたしの弟子となることはできない」
「わたし」
原文 (会話文抽出)
「あたくしは慶んでよいのでしょうか、悲しんで良いのでしょうか。自分の信じた人のお家が、撰りに撰って、そのような、夢にも思わなかったカソリックの犠牲になられたお家だとは、何んというあたくしの不幸でございましょう。お手紙を拝見いたしました初めは、恐ろしくて、身体が飛びちってしまいそうでした。それでも幸いなことに、あたくしはまだあなたの御想像なさいますように、信仰深いものではございませんでした。ただあたくしの過去が過去で、何も識りませず、習慣のまま、今のような心もちをつづけてまいっただけのあたくしでございました。あなたの仰言いますように、自分のいのちを怨みに思ってはならぬということも、よくよく考えてみましたが、このようなあたくしの苦しいことも、怨みに思ってはならぬのでございましょうか。それとも、あたくしのこんな考えなどは、ひねくれた心の苦しみと申すものだろうかとも、考えたりいたします。お慶びしなければなりませぬときに、何んという悲しいお手紙になったのでしょう。あたくしは書いたり、破ったりいたしましたが、幾度書きましても、涙が出て来てなりませんでした。外国から帰りましてから、いろいろお訓えしていただいたりしたことも、まだ身につかないのかとお怒りになることと存じますが、ぼんやりもののあたくしながらも、お訓え下さったこといつとなく、考え込んだりして来ておりましたのが、今となって、あれもこれもと、一時に思いあたり、吹き襲ってまいりますので、お心のほどのお優しさ偲ばれ、なお悲しくなってまいります。みんなあなたのお家の方方のお許しや、あたくしの家のものの、許しのありました嬉しさに包まれながら、あたくし一人、なおこのような心暗さになりましたこと、何卒お赦し下さいませ。それにつきましても、結婚のことは、あたくしのこんな心ぐらさのままではと思い、拭き清められます日までお待ち下さいますことの我ままお願いいたしたく存じます。<div class="chitsuki_2" style="text-align:right; margin-right: 2em">千鶴子</div> 耕一郎さま 矢代は千鶴子の手紙を読み終ってから、この手紙の返事は時間を遅らせず、すぐ出さねばいられぬ焦躁を感じた。穴の中へひとり落ち込み、藻掻き苦しむ様にも見え、何かの弾みで間違いを起しやすい、取り返しのつかぬ危険も千鶴子に迫っているように感じられた。同時にまたそれは、自分にも連り迫っていることだった。しかし、焦ればこれは、鎮めようもなく騒ぎたつ心の煙りに似ていて、ふと彼は満洲里の国境にさしかかって来たときに、覚えたと同様のいら立たしさが、再び蘇って来るのだった。 折よく丁度このときはまだ午前中だった。矢代は窓を開けて欄干の傍へ立った。井戸の傍で洗濯をしている女中の丸まった背と、日光の射した石鹸の泡立つ盥の中の手の赤味が健康な感じがした。見降している間も、冬を越した霜焼のようやく癒えたその手の、しゃきしゃきと動くのが、微妙に明るい暗示を誘い、何かしら彼はあれだなとすぐ思った。すると、今まで読んだキリストに関する書物の全部が一斉に頭に噴きのぼって来て、彼は書斎の棚の中から即座に眼についた一冊を躊躇することなく抜き出し、どこということも定めず、指でぱっと披いて、このときも最初に眼を牽き込んだそこを見た。「我が好むは憫みなり、犠牲に非ず。」
「決定的の御召」
「人我に来りて、其父母、妻子、兄弟、姉妹、己が生命までも憎むに非ざれば、我弟子たること能わず。」
「我」