横光利一 『旅愁』 「このお寺はいつごろの産かしら、十四世紀?…

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青空文庫図書カード: 横光利一 『旅愁』

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「この教会っていつ頃の建物かしら?14世紀?」
「13世紀だね。だから平安時代後期かな。近代がまだ全然生まれてない、西洋の純粋な形がこれなんだよ。全体が、空に向かって規則正しく支えられてるだろう。でも、その規則正しさを生み出してる精神が、空っていう対象を決めてるんだけど、よく見ると、空から下に伸びてる不合理な形にも、ちゃんと独自性と自立性を持たせてるんだ。あのたくさんの翼の姿がそうだよ。それぞれの目的が持つ生命力みたいな意志を尊重して、その不合理な形まで立派に一つの理念としてる。これはマジで素晴らしいと思うな。」
「東野さんの説は新説だから、よく覚えておきなさいよ。僕と東野さんは春のぽかぽかする頃、ここの北側のてっぺんの鉛の敷いてある部屋の上で、よく寝転んで日向ぼっこしたんですよ。あの頃は良かったな。下の教会から、ミサのパイプオルガンが静かに聞こえてくるし、聖歌を枕にしてるみたいで、うっとり気持ちいい気分で眠くなっちゃうし、セーヌ川が真下で芽吹いてるしね。それこそ、ここの塔の屋上は、パリで一番の眺めなんだ。」
「でも、ここは国宝建築物だから撮影禁止じゃなかったでしたっけ?」
「参観できる場所だけなら、3フラン払えば撮れるんだ。でもほとんどは立ち入り禁止だから困ったんだよ。門番のおばあさんに、この教会はパリの歴史そのものみたいなものだから、各国にこの素晴らしい文化の象徴を紹介しないのはひどいって言って、おだてたりすかしたりしてるんだ。実際そうなんだよ。こんなに立派なものを隠しておくわけにはいかないもんな。それで門番のおばあさんと仲良くなるために、僕は来るたびに果物やチョコレートのお土産を渡したり、いろいろお金を使ったんだ。おばあさんの娘さんが肺病で入院してるから、その娘さんにも贈り物しなきゃいけないし。参った参った。」
「じゃあ、もうたくさん撮ったんですか?」
「いや、外だけ200枚くらいだよ。一般の通路は普通で、写真にするようなもんじゃないんだよ。立ち入り禁止のところにいい場所があるばかりだから、今日もこれからおばあさんにこっそり頼んで、裏門から中に入る鍵を借りようとして、実は画策してるんだ。事務室に行っても、すぐ断られちゃったんだよ。おばあさんもなかなか首を縦に振らない。」
「大変ですね。でも、それはだめでしょう。」
「堂内を気づかれないように、お祈りしてるふりをして、やっと3枚撮ったことがあるんだけど、とにかく暗いし、絞りを12にして、40秒の手持ち撮影だから全部だめなんだ。裏門からはおばあさん15年間門番をしてるけど、一度も入ったことがないんだって。たぶん一人も入ったことはないんじゃないかなって、おばあさんは言うんだけど。そこをなんとかして一つ、と虎視眈々と狙ってるんだ。」
「それこそ化物が出そう。」
「出るかもしれないね。怪獣とコウモリ男の幽霊くらいはいるだろうな。じゃあ、ちょっと行ってくる。」
「ところで、東野さん、さっきの俳句とノートルダムの関係はどうなったんですか?一番聞きたいところなんですが。」
「ああ、それか。それはなかなか難しいぞ。このノートルダムはパリの伝統を表してるもので、俳句は日本の伝統を表してるものだからな。」
「だから真面目にあなたの解釈を聞きたいんです。反抗はしませんよ。今日はもう大人しくなります。」
「ノートルダムの精神はもう説明しただろ。俳句精神っていうのも、それと似たりよったりなんだよ。つまり、この建築の目的は空だ。でも、俳句の目的は季節だ。季節といっても、春夏秋冬のことじゃない。それを動かしてるある自然法則を言うんだ。だから、これは物と心が一致した理念で、神を求めようとする精神の秩序ともいえるだろう。ここに知性の抽象性がないわけがないし、それがあるからこそ、伝統を代表してるんだから、俳句が花鳥風月っていう自然の具体的なものに心を向けるといっても、その精神は具体的なものを見つめた結果そこから離れるっていう、客観的な分析力と統合力がある。そうして初めて科学を超えた詠嘆の美っていう抒情が生まれるわけだ。でも、抒情が生まれただけではまだ完全な俳句とはいえないから、さらに転じて、どんな人間の特質の中にも溶け込む、精神の柔軟性っていう飛躍が必要なんだ。踏み込みなんだ。」
「おかしいな。そこがわかりません。」
「痛いだろ?」
「痛い。」
「つまり、そんな感じなんだ。この痛み、どこから来たんだろう?って疑問に戻ってくる精神が、俳句なんだ。」
「禅坊主みたいですね。」
「やったあ!」
「おばあさんがとうとう貸してくれたんだ。長い間願ってきたことが叶った。これだ。」

原文 (会話文抽出)

「このお寺はいつごろの産かしら、十四世紀?」
「十三世紀だね。だからまア源平のころだろ。近代のまだ全く生じていない、西洋というものの純粋の形がこれだな。全体の精神が、空を向いている秩序で維持せられているでしょう。けれども、その秩序を造っている精神の合理性が、対象となるべき空を規定しているといっても、よくよく見ると、空から下に向って延びている非合理な必然性にまで、ちゃんと独自性と自立性とを与えているよ。あの沢山な翼の姿がそうだ。おのおのの目的の含む生命力というようなものの意志を尊重して、その非合理の秩序さえ立派に一つの理念としているのは、全くこれや素晴らしいものだと思うな。」
「東野さんの説は新説だから、よく覚えときなさいよ。僕と東野さんは春のぽかぽかするころ、ここの北塔の一番上の鉛の敷いてある部屋の上で、よく寝転んで日向ぼっこしたんですよ。あのころは良かったなア。下のお堂から、弥撒のパイプオルガンが静かに響いて来るし、聖歌を枕にしてるみたいで、うっとりいい気持ちに眠くなるし、セーヌ河が真下で木の芽を吹いているしね。それやまったく、ここの塔の屋根の上は、パリ第一等の眺めだ。」
「だって、ここは国宝建築物だから撮影は禁止だろ。」
「それや参観人の通れるところだけなら、三フラン出せば撮れるんだ。それでも大部分は禁止区だから困ったのだよ。門番の婆さんに、このお寺はパリの歴史そのものみたいなものだから、各国へこの燦然たる文化の象徴物を紹介しないというのは、けしからんと云ってね、おだてたりすかしたりの最中だ。また事実そうだよ。これだけの立派なものを、隠して置く手はないからな。これで門番の婆さんと親しくなるのに、僕は来る度びに果物を届けたり、チョコレートの贈物をしたり、だいぶ無い金を使わせられた。婆さんの娘の子が肺病で入院してるもんだから、この娘にまで贈物をしなくちゃならんのだ。弱った弱った。」
「じゃ、もう随分お撮りになったんですのね。」
「いや、外だけ二百枚ばかりです。一般の通路は平凡で、写真にならんのですよ。禁止区にばかりいい所があるもんだから、今日もこれから一つ婆さんにこっそり頼んで、裏門から中へ這入る鍵を借ろうと、実は謀らんでるところなんです。事務所へ行っても、一ぺんに断られたんですよ。婆さんもなかなか落ちん。」
「苦労だね。しかし、そいつは駄目だろ。」
「お堂の中を分らんように、お祈りしてるようなふりをして、やっと三枚とったことがあるが、何しろ暗い上に十二に絞って、四十秒の手持ちだからみな駄目さ。裏門からは婆さん十五年も門番をしていて、一度もまだ這入ったことがないのだそうな。恐らく一人も這入ったものはいないだろうと、婆さんは云うんだがね。そこを何んとかして一つと、虎視眈眈としてるんだ。」
「それや、あそこなら化物が出るぞ。」
「出るかもしれんね。怪獣と棲んだ背虫男の幽霊ぐらいはいるだろうな。じゃ、一寸行ってみてくる。」
「ところで、東野さん、さっきの俳句とノートル・ダムの関係は、どうなったんですか。そこが一番聴きたい所だな。」
「ああ、それか。それはなかなか難しいぞ。このノートル・ダムはパリの伝統を代表してるものだし、俳句は日本の伝統を代表したものだからな。」
「だから真面目にあなたの解釈を聴きたいんだ。反抗はしませんよ。今日はもう柔順になる。」
「ノートル・ダムの精神はもう云っただろ。俳句精神というのも、それと似たりよったりさ。つまり、この建築の対象は空だ。しかし、俳句の対象は季節だ。季節といっても、春夏秋冬ということじゃない。それを運行させているある自然の摂理をいうので、つまり、まアこれは物と心の一致した理念であるから、神を探し求める精神の秩序ともいうべきでしょう。ここに知性の抽象性のない筈はないので、それがあればこそ、伝統を代表しているのだから、俳句は花鳥風月というような自然の具体物に心を向けるといっても、その精神は具体物を見詰めた末にそこから放れるという、客観的な分析力と綜合力がある。そんならここに初めて科学を超越した詠歎の美という抒情が生じるわけだ。しかし、抒情が生じただけではまだ完全な俳句とは云い難いので、さらに転じて、どのような人間の特質の中へも溶け込む、いわば精神の柔軟性という飛躍が必要だ。踏み込みだ。」
「おかしいな。そこが分らん。」
「痛いだろ。」
「痛い。」
「つまり、そんな風なものさ、この痛み、どこより来たる。といった風な疑問に還る精神が、俳句だ。」
「禅坊主だね、あなたは。」
「しめたッしめたッ。」
「婆さんとうとう、貸してくれたぞ。一日千秋の想いを達した。これだ。」

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