森鴎外 『伊沢蘭軒』 「七日。晴。於青森岡田総督不快に付、為見舞…

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青空文庫図書カード: 森鴎外 『伊沢蘭軒』

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「7日。晴れ。青森の岡田総督が体調不良なので、お見舞いに参上するように堀副督から言われた。朝に行く。藤田が私用で同行する。夕方に戻る。月給金2両を受け取る。」
「8日。雨風。夜に雪。」
「9日。雨風。」
「10日。晴れと雪が交互に降る。」
「11日。少し晴れる。斎木が青森に行き1泊する。」
「12日。晴れ。石川厚安が1泊する。」
「13日。晴れ。藤田が新城に行く。」
「14日。夜から雨。朝から薄曇り。」
「15日。風。少し雪。」
「16日。少し晴れる。深瀬祥春が来る。藤井重次郎が来て一緒に飲む。亮碩が来て、また一緒に飲む。」
「17日。雪。午後に雨。豊田鎌三郎から飲み会の誘いを受ける。」
「簿」
「18日。雨風。」
「19日。晴れ。風。」
「20日。少し晴れる。この日の夕方に右脇の下を打ち、痛みが激しく、咳と痰が出て寝込む。この間、文礼が弘前の用事に行っていたので、渋江氏と小野氏に様子を見てもらうように頼み、お菓子を差し入れとして贈る。生口拡が青森に行きついでに立ち寄った。」
「この間」
「3月7日。少し晴れる。夜に雨。少し良くなったのでお風呂に入る。亮碩が1泊する。」
「8日。だんだん晴れてくる。」
「9日。曇り。夕方に晴れる。文礼が青森の大病院に行く。広江の診察。しかし途中で会って一緒に引き返す。厚安が来る。夜に広江のところで一緒に飲む。広江は明日、中野の屯所に戻る。自分も同行することにした。」
「10日。晴れ。夕方に雨。雷が鳴る。広江繁三郎が付き添ってくれて、また打ち身のリハビリのため温泉に行くことを許してもらい、朝に出発。津軽坂で昼食。夕方7時に中野村の長谷川総右衛門の家に到着。終日、乗り物に乗っていた。」
「11日。晴れ。中野村に滞在。」
「12日。晴れ。正午から中野を出発。黒石城下を通って浅瀬石村の大病院に立ち寄り1泊。生口に会う。」
「13日。晴れ。浅瀬石村から温湯村の温泉に行く。庄屋の重次郎の家に滞在。生口から急報が届く。内容は次の通り。軍艦が青森港に到着したので、すぐにそちらに参上するようにとのこと。」
「14日。雨。夕方に晴れる。こちらを今朝出発し、黒石を通って中野村まで戻って様子を尋ねたところ、5、6日以内には出港の準備ができないとのことだったので、正午からまた弘前に行くことにする。藤崎村で馬を乗り継ぎ、夕方7時半頃に弘前城下の土手町の伊勢屋甚太郎の家に到着。すぐに小野氏を訪ねて一緒に飲む。」
「15日。晴れ。渋江氏を訪ねて一緒に飲む。正午から弘前を出発し、夕方7時頃に中野村に到着、1泊する。」
「16日。晴れ。正午から中野村を出発。帰る途中、新城の病院に寄る。夕方に戻る。」
「17日。晴れ。昨夕から秋月辰三が体調不良で病院に入院。」
「秋月辰三、26歳」
「箱」
「18日。雨風。」
「20日。晴れ。」
「21日。晴れ。青森で調薬のために外出、夕方に帰る。」
「22日。晴れ。」
「23日。夜から風雨。」
「24日。曇り。」
「25日。晴れ。」
「朝廷の大発軍艦が北征し、宮古で敵を迎え撃つが敗れて帰還し、そこで五稜郭を本営とし、戦艦を函館港に停泊させ、松前、江差、室蘭に諸隊を派遣し、敵に備える」
「26日。晴れ。最近、梅や桜、桃、李、椿などが少しずつ咲き始め、季節がほんの少し暖かくなってきた。夕方、東京方面から軍艦6艘が青森に入港。」
「27日。曇り雨。」
「28日。晴れ。厚安が1泊する。」
「29日。晴れ。斎木と石川と一緒に青森で調薬のために外出。」
「4月1日。曇り。」
「2日。晴れ。午後に突然の雨。」
「3日。晴れ。午後に雨。」
「4日。晴れ。明後日、日向地に進撃することになり、家兵300人が出動。松前口には青木氏の手、厚安、厚沢辺口には堀氏の手、亮碩、熊石村根陣には岡田総督の手、文礼が出張するように命じられ、自分は松軒のまま油川に残る。」
「5日。晴れ。午後に少し雨。月給金を受け取る。12字揃という部隊が、天富、斎木、石川が出発した。ただし青森まで。」
「6日。晴れ。午後に雨。正午頃、青森から進撃艦8艘が出航。」
「7日、8日。曇り。」
「9日。晴れ。」
「10日。曇り。夜4時に軍監から次のような話があった。昨日、日向地から戦況の報告があり、今、青森から連絡が来た。9日に8字官軍が音辺に到着し、小競り合いがあった。それから江差の賊徒を追撃し、厚浅部口まで進軍した。また大砲3門、玉薬24、5箱分を鹵獲し、賊徒1人を生け捕りにしたとのこと。それにより、残りの兵力を都合次第、すぐに派遣することになるが、難しい可能性がある。あらかじめ準備をしておくように。」
「4月9日。敵艦9隻。舳艫がつながって乙部に到着。江差の兵が迎撃に来る。敵は兵を分かれて江差を攻め、奪取する。官軍はこれを聞いて、松前に敗走する。敵はまた兵を2つに分けて木古内へ。土方歳三は2つを迎え撃ち。大鳥圭介は木古内を迎え撃つ。戦いは激戦。」
「11日。晴れ。」
「それ以前、秀頴は遊撃隊を率いて松前にいた。江差を奪還しようとして、諸隊と力を合わせて、敵の根拠地である武田に進撃した。散兵が山野を大破し、北に数里追撃した。敵は茂草村を焼き払って逃走した。本営からの命令が届いた。2つに分かれた敵は木古内を急襲している。松前に退却して機に応じて援護する必要がある。そこで兵をまとめて松前に引き返した。」
「12日。晴れ。藤田が中野村に行き1泊する。」
「13日。曇り。夕方に雨。明日、残りの兵力を派遣することになるが、自分は残り、患者の治療に専念するようにと松軒に出張するように命じられる。松軒は中野村から夜中に帰る。」
「14日。雨。朝5時に残りの兵力が青森に出発。」
「15日。晴れ。諸藩が出張した兵の大半が青森から乗船して海を渡っている。調薬のために青森へ行く。」
「16日。晴れ。」
「17日。晴れ。」
「官軍は海陸から協力して松前城に迫る。榎本側の兵が退却し、折戸に拠る。官軍の別隊は山道から折戸の後方に出て挟撃する。榎本側の兵は敗れる。官艦は松前を砲撃する。榎本軍は弾丸が尽き、逆に福島、一渡尻、内幾古内などを占領する。」
「秀頴は小太郎の死を聞いて嘆いて言う。「私は今になってようやく片腕を失った。」」
「18日。晴れ。昨日17日の昼9時に松前落城の吉報があったとのこと。」
「19日。曇り。」

原文 (会話文抽出)

「七日。晴。於青森岡田総督不快に付、為見舞可罷越趣堀副督被申渡候。朝より行。藤田子私用にて同行。黄昏帰寓。月賜金二両受取。」
「八日。雨風。夜雪。」
「九日。雨風。」
「十日。晴雪相半。」
「十一日。微晴。斎木氏青森行一宿。」
「十二日。晴。石川厚安来一宿。」
「十三日。晴。藤田氏新城へ行。」
「十四日。夜来雨。朝より半晴。」
「十五日。風。小雪。」
「十六日。微晴。深瀬祥春来。藤井重次郎来飲。亮碩子来、又飲。」
「十七日。雪。午後雨。豊田鎌三郎より被招行飲。」
「簿」
「十八日。雨風。」
「十九日。晴。風。」
「二十日。微晴。此夕右脇下打撲、痛甚、加之咳痰に而平臥。此間文礼子弘前御用行に付、渋江小野両氏尋訪相頼、並に菓子折進物す。生口拡青森行に而前後立寄。」
「此間」
「三月七日。微晴。夜雨。半愈に而浴湯。亮碩子来一宿。」
「八日。漸晴。」
「九日。陰。夕晴。文礼子青森大病院へ行。広江病人相談也。然処途中面会同道引返。厚安来。夜広江に而飲。同人明日中野屯所へ帰陣。自分同道相達す。」
「十日。晴。夕雨。雷鳴。広江繁三郎附添、且又打撲為養生温泉行御聞済、朝より出立。津軽坂にて午飯。夕七時中野村長谷川総右衛門へ著。終日乗輿。」
「十一日。晴。中野村逗留。」
「十二日。晴。午刻より中野出立。黒石城下通りより浅瀬石村大病院へ立寄一宿。生口生対面。」
「十三日。晴。浅瀬石村より温湯村温泉行。庄屋重次郎へ逗留。生口子より急報来る。左の如し。軍艦青森港へ到著候に付、即刻同所へ可罷越趣。」
「十四日。雨。夕晴。爰許今朝出馬、黒石通り、中野村迄帰程、様子相尋候処、五七日内には出艦手筈難及由に付、午刻より又々弘前行相催す。藤崎村に而継馬、夕七半時過弘前城下下土手伊勢屋甚太郎方著、直小野氏尋訪行飲。」
「十五日。晴。渋江氏へ行飲。午刻より弘前出立、夕七時頃中野村へ著一泊。」
「十六日。晴。午刻より中野村発。帰程新城病院へ寄。暮時帰寓。」
「十七日。晴。昨夕より秋月辰三不快に付病院入。」
「秋月辰三、廿六」
「箱」
「十八日。雨風。」
「廿日。晴。」
「廿一日。晴。青森御薬用行、夕帰寓。」
「廿二日。晴。」
「廿三日。夜来風雨。」
「廿四日。陰。」
「廿五日。晴。」
「朝延大発軍艦北征、我艦要撃之于宮古、敗而還、於是五稜廓為本営、列戦艦於函館港、分遣諸隊於松前江差室蘭、以備敵」
「二十六日。晴。近日梅花及桜桃李椿等漸綻、時気稍覚暖。夕刻東京廻り軍艦六艘青森へ入港。」
「二十七日。陰雨。」
「二十八日。晴。厚安子来一宿。」
「二十九日。晴。斎木石川同道青森御薬用行。」
「四月朔日。陰。」
「二日。晴。午後急雨。」
「三日。晴。午後雨。」
「四日。晴。明五日向地へ御進撃相成、御家兵隊三百人御繰出、松前口青木氏手厚安、厚沢辺口堀氏手亮碩、熊石村根陣岡田総督手文礼出張被仰付、拙者松軒其儘油川居残。」
「五日。晴。午後微雨。月給金受取。十二字揃、天富斎木石川出立す。尤青森迄。」
「六日。晴。午後雨。午刻許青森より進撃艦八艘出帆。」
「七日。八日。陰。」
「九日。晴。」
「十日。陰。夜四時軍監より御談左之通。昨九日向地より戦状申越、只今青森表より申来。九日八字官軍音辺へ著。小戦有之、夫より江差之賊徒追撃、厚浅部口迄進軍、尤大炮三、玉薬二十四五箱分捕、賊徒一人生捕有之候趣。右に付残兵御都合次第早速御差出に相成も難計、兼而手筈いたし置候様。」
「四月九日。敵艦九隻。舳艫相銜至乙部。江差兵来邀戦。敵分兵攻江差取之。我兵聞之。敗入松前。敵又分兵二股木古内。土方歳三拒二股。大鳥圭介拒木古内。戦尤烈。」
「十一日。晴。」
「先是秀頴率遊撃隊在松前。欲復江差。与諸隊合力。進撃敵根武田。散兵山野大破之。追北数里。敵焼茂草村而走。会本営之令至。二股木古内急矣。当退松前応機援之。乃収兵還松前。」
「十二日。晴。藤田子中野村行一宿。」
「十三日。陰。夕雨。明日残兵御繰出相成可申、尤拙者居残、病人手厚可致旨、松軒出張被仰付。同人中野村より夜半帰寓。」
「十四日。雨。朝五時残兵青森迄出張。」
「十五日。晴。諸藩出張之兵大半青森より乗船渡海之事。御薬用に而青森行。」
「十六日。晴。」
「十七日。晴。」
「官軍海陸より並び進んで松前城に迫る。榎本子の兵退き、折戸に拠る。官軍の別隊山道より折戸の後方に出でて夾撃す。榎本子の兵敗る。官艦は松前を砲撃す。榎本軍弾丸尽き、却いて福島一渡尻内幾古内等を保有す。」
「秀頴聞小太郎死。歎曰。余今而始失一臂矣。」
「十八日。晴。昨十七日昼九時松前落城之吉報有之候由。」
「十九日。陰。」

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