森鴎外 『伊沢蘭軒』 「其時わたくしは別にどうしようと云ふ定見も…

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青空文庫図書カード: 森鴎外 『伊沢蘭軒』

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「その時は特にどうすればいいという考えもなかったので、榛軒先生に『そうなんですか、どうしたらよろしいでしょうか』とたずねました。すると先生が、『寿海にその本をあげようか』と言いました。私はすぐに同意しました。そこで一行の先輩たちの間で、どのような形で贈ればいいかという相談があり、結局、折り返して使いに本を持たせて返すのはつまらない、幸い清川安策の父である玄道が寿海を治療しているので、それに託して寿海の家に送るのが良い、ということになりました。そこで寿海の使いを、菓子折の礼を言って帰しました」
「その夜、一行と別れる時、私は正本を安策に託しました。数日後、安策は寿海の玄道に言われた言葉を私に伝えました。『本はありがたくいただきます。若い方が私の芸を古い本と見比べて見てくださったお気持ちに、大変感銘を受けました。これからは塩田さんも、時々家にお越しください』ということでした」
「ある日、私は渋江抽斎の息子である優善と一緒に寿海の家を訪ねました。優善は前年から矢島姓を名乗っていました。2人が行ってみると、寿海の家ではちょうど『大功記』の稽古が始まっていました。俳優は春永、坂東竹三郎、光秀が四代目坂東彦三郎、蘭丸が市川猿蔵でした。竹三郎は四代目彦三郎の養子で、後の五代目彦三郎です。四代目彦三郎は後の亀蔵です。2人とも明治の初めまで生きていた人です」
「私たちはしばらく稽古を見ていました。すると猿蔵の蘭丸が鉄扇で彦三の光秀を殴った後、その扇をポーンと投げました。寿海はそれを見て不機嫌な顔をして言いました。『猿。その投げ方はなんだ。まるで息抜きをしているみたいだな。俺がやって見せよう』と言って、扇を取って立って投げて見せてくれました。なるほど、さすがにもっと力が入っていました。その時、彦三が寿海に尋ねました。『もしこの鉄扇が離れたところに落ちていたら、どのようにして取り上げましたか。春永が引っ込んだ後で、這い寄って取り上げたんでしょうか』と。寿海の答えはこうでした。『いや、それは見苦しくてダメだ。春永の前で平伏する時、観客に気づかれないように鉄扇の方へ這い寄って、平伏したついでに素襖の袖で鉄扇をかき寄せればいい。そうしておいて頭を上げた時に鉄扇を取り上げるのがいい』ということでした」

原文 (会話文抽出)

「其時わたくしは別にどうしようと云ふ定見もなかつたので、榛軒先生に、さやうでございます、どういたしたものでございませうかと反問した。先生は云はれた。どうだ、其本を寿海に遣らんかと云はれた。わたくしはすぐに承諾した。そこで一行の先輩の間に、これを贈るにどう云ふ形式を以てするが好いかと云ふ評議があつて、結局折り返して使に本を持たせて還すのは面白くない、幸同行清川安策の父玄道は寿海を療治してゐるから、これに託して寿海の宅へ送つて遣るが好いと云ふことになつた。そこで寿海の使をば、菓子折の礼を言つて帰した。」
「わたくしは其夜一行と別れる時、正本を安策に託した。数日の後、安策はわたくしに寿海の玄道に謂つた詞を伝へた。御本は有難く頂戴いたします。お若い方がわたくしの藝を古い本に引き較べて看て下さつた御心入に、わたくしは深く感激いたしました。今後は塩田様も折々宅へお遊にお出下さるやうにと云ふことであつた。」
「わたくしは或日渋江抽斎の舎優善と一しよに寿海の宅を訪うた。優善は前年以来矢島氏を称してゐた。二人が往つて見ると、寿海の宅では丁度大功記の稽古が始まつてゐた。俳優は春永坂東竹三郎、光秀四代目坂東彦三郎、蘭丸市川猿蔵であつた。竹三郎は四代目彦三郎の養子で、後の五代目彦三郎である。四代目彦三郎は後の亀蔵である。二人共明治の初までながらへてゐた人である。」
「わたくし共は暫く稽古を見てゐた。すると猿蔵の蘭丸が鉄扇で彦三の光秀を打擲した後、其扇をぽんと投げた。寿海はそれを見て苦々しい顔をして云つた。猿。その投様はなんだ。まるで息抜がしてゐる。おれが遣つて見せうと云つた。そして扇を取つて起つて投げて見せた。なる程いかにも力が籠つてゐた。此時彦三が寿海に問うた。若し其鉄扇が離れた処に落ちてゐたら、どうして取り上げたものでせう。春永の引つ込んだ跡で、ゐざり寄つて取り上げたものでせうかと問うた。寿海の答はかうであつた。いや、それは見苦しくて行けない。春永の前に平伏する時、見物の気の附かぬ位鉄扇の方へゐざり寄つて、平伏ししなに素襖の袖で鉄扇を掻き寄せればわけはない。さうして置いて頭を上げる時鉄扇を取り上げるが好いと云ふのであつた。」

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