森鴎外 『伊沢蘭軒』 「十八日卯時発す。駅を離るれば海辺なり。磯…

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青空文庫図書カード: 森鴎外 『伊沢蘭軒』

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「18日、朝の4時に出発する。駅を出ると海辺だ。磯に沿った道で、海上には島々が連なっている。海の形は大きな川のようである。源貞世や豊臣勝俊の紀行文にもこの地形を賞賛する文章がある。海辺に八幡の社があり、何本かの松があって、最高の眺望だ。三原城も見える。3里で三原駅。ひとつの商店で休憩した。青木屋新四郎を訪ねるが、主人は讃州へ行って不在だった。弟の吉衛に会って話をした。備後と安芸の国境は駅路の山の頂上にある。2里半でぬた本郷駅。松下屋木曾右衛門の家に泊まった。駅長の家の後ろに山があり、雀が嶽という。小早川隆景の城址だ。今の三原城はここから移転してきたのだという。この日は暑さそれほどでもない。曇っている。行程は約5里半」
「19日、朝の4時に出発する。沼田川を渡り、入野山中を通る。小野篁の故郷だ。辰の刻から1里半で田万里市。堀内庄兵衛の家に休憩する。主人は自ら扇箱と号する。広島城下に入って骨董品を売ることが多い。頼兄弟や竹里も顔見知りだ。山中を抜けると松原がある。未の刻前に2里半で西条駅。(西条四日市ともいう。)小竹屋庄兵衛の家に泊まる。この駅の役人が我々を迎えるのに、小さな幟に名前を書いて轎の前に持ってきて、先導してくれる。駅の東に3、4町行くと国分寺がある。行ってみた。当光山金岳寺という。真言宗だ。去年の火事で古物は何も残っていない。茅葺の仁王門がある。金剛力士は雲慶の作という。松が5本あり、五輪塔がある。これは聖武の墓だという。この日はとても暑い。夜、にわか雨が降る。暑さが少し和らいだ。夜中の3時ごろ、青木新四郎から使いの者が来た。僕の名は林助という。行程は約4里。そのうちの2里は50町で1里」
「このあたりは昔、小野篁の故郷だったそうで、そのまま篁とも大村とも申し上げるのだとか」
「20日、朝の4時に出発する。半里ほど行くと大山峠だ。上り下り合わせて2里ほど。山中をさらに2里ほど行くと、瀬の尾という里があって、上中下に分かれている。(瀬の尾は瀬野ともいう。)山中では松の木が古くて大きく、渓流のそばに海金砂が多い。(海金砂は方言で三線葛。)平地がだんだん近づいてくると、砂川が緩やかに流れ、幅は4、5間だ。ここまで来ると山は終わりだ。素晴らしい景色だ。貞世の紀行はよく書けている。8里半で海田駅。根石屋十五郎の家に休憩する。正午だ。駅を出るとすぐに海辺だ。坂を上ったり下ったりして、田んぼの中を通る。青々とした稲が、海の青々と続く水面につながっている。遠くまで行くと、海はいよいよ遠ざかる。岩鼻というところにたどり着いた。北の山がずっと続いていて、ここで終わりになる。岩石が切り立っていて、古松が千尋も天に向かってそびえている。よじ登ってみると、上がいくらか平らになっている。畳1畳ほどの平たい石がある。その石の上に座って眺めると、南の海まで見渡せて、西は広島城下に連なる。万里の荒波が1つの煙のようになり、家々があたり一面に見える。また元の道に戻って、ついに2里で広島城下、藤屋一郎兵衛の家に泊まる。市に入って猿猴橋、京橋を通る。賑わいは京都、大阪、江戸に次ぐ。この日は朝は涼しかったが、正午ごろから暑さがとても耐えられない。夜風が吹く。頼春水の松雨山房を訪ねる。(国泰寺の隣だ。)春水は家にいて歓談した。息子の一賛もまた談話を助けてくれる。一賛の名は襄、俗称は久太郎という。次男は竹原へ行っていて、会えなかった。談笑は夜半に及んだ。月が昇ってから帰る。(春水は59歳、一賛は26歳。)行程は約10里」
「紅葉の暁の垣に書いている、大山姫の秋のの宮居でしょうか」

原文 (会話文抽出)

「十八日卯時発す。駅を離るれば海辺なり。磯はたの路にして海上島々連続せり。海のかたち大川のごとし。源貞世豊臣勝俊の紀行にも地形を賞したる文見ゆ。海辺に八幡の社あり。松数株ありて栽第一の眺望なり。三原城も見ゆ。三里三原駅一商家に休す。青木屋新四郎を訪。主人讚州へ行て不在。その弟吉衛に逢うて去る。備後安藝の国界は駅路の山上にあり。二里半ぬた本郷駅。松下屋木曾右衛門の家に宿す。駅長の屋後に山あり。雀が嶽といふ。小早川隆景の城址なり。今の三原城こゝより遷移すと土人いへり。此日暑甚しからず。曇る。行程五里半許。」
「十九日卯時発。沼田川を渡り入野山中を経小野篁の郷なり。辰後一里半田万里市。堀内庄兵衛の家に休す。主人みづから扇箱と号す。常に広島城市に入て骨董器を売る。頼兄弟及竹里みな識ところなり。山中を出て松原あり。未前二里半西条駅。(一名西条四日市。)小竹屋庄兵衛の家に次る。此駅小吏余輩を迎ふるに小紙幟上姓名を書して持来轎前に在て先導す。駅東三四町国分寺あり。行尋ぬ。当光山金岳寺といふ。真言宗なり。旧年災にかかりて古物存するものなし。茅葺仁王門あり。金剛力士は雲慶の作といふ。松五本ありて五輪塔存す。これ聖武の陵なりといふ。此日暑甚し。晩間霎雨あり。暑少減ず。夜三更青木新四郎使を来らしむ。僕林助といふ。行程四里許。其二里は五十町一里也。」
「此ところはむかし小野の篁の故郷とぞ、やがてたかむらともをのとも申侍るとかや」
「廿日卯時発。半里許ゆきて大山峠なり。上下二里許なり。山中をなほ行こと二里許、瀬の尾といふ里ありて上中下に分る。(瀬の尾又瀬野といふ。)山中松樹老古にして渓辺に海金砂おほし。(海金砂方言三線葛。)平地漸く近して砂川緩流広四五間なり。此に至て山尽く。勝景。貞世紀行妙を得たり。八里半海田駅。根石屋十五郎の家に休す。午後なり。駅を出ればすなはち海浜なり。坂を上下して田間の路に就く。青稲漠々として海面の蒼々たるに連る。行こと遠して海いよ/\隔遠す。岩鼻といふ所にいたる。北の山延続し此に至て尽るなり。岩石屹立して古松千尋天を衝く。攀縁して登ときは上稍平なり。方丈許席のごとき石あり。其上に坐して望めば南海に至り西広島城下に連。万里蒼波一鬨烟家みな掌中にあり。又本途に就き遂に二里広島城下藤屋一郎兵衛の家に次る。市に入て猿猴橋京橋を過来る。繁喧は三都に次ぐ。此日朝涼、午時より甚暑不堪。夜風あり。頼春水の松雨山房を訪。(国泰寺の側なり。)春水在家て歓晤。男子賛亦助談。子賛名襄、俗称久太郎なり。次子竹原へ行て不遇。談笑夜半にすぐ。月升てかへる。(春水年五十九、子賛二十六。)行程十里許。」
「もみぢばのあけのまがきにしるきかなおほやまひめのあきのみやゐは」

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