GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。
青空文庫図書カード: 島崎藤村 『夜明け前』
現代語化
「そんなはずはないが」
「ところがです、東方に行くのか、西方に行くのか、誰も知らない、そんなことを言って、200人の農兵もどうなるかわからない、そういうことを言いふらされるものですから、さあ村の百姓の中には迷い出したものも出てきました」
「でも、行く先は越後方面で、尾州藩付属の歩役でしょう。尾州の勤王を知らない者はいないはずです」
「ちょっと待って下さい。そりゃ木曾福島の家臣たちが尾州藩と歩調を合わせるなら、何も問題ありません。谷中の農兵は福島の武士に連れられて行きましたが、どうも行く先が心配だと言うんです。そんなところにも動揺が起こってくる、流言は飛ぶ――」
「あ、私はまた、田んぼや畑が荒れて、そのことで百姓たちが困るだろうと思っていました」
「もちろん、それもあるでしょう。しまいには毎日毎日、村中の百姓と宿役人仲間との寄り合いでした。あの庄助さんも混じって苦労していました。先月の26日――あれは麦の収穫時期でしたが、とうとう福島のお役所から役人が出張してきてくれて、その時も大評定。どうしても農兵は戻してほしい、そのことは役人も承知して帰りました。それからわずか3日後があの百姓一揆の騒ぎです」
「どうも、大変なことをしてくれましたよ。私も落合の稲葉屋に寄って、あそこで一通りの様子を聞いてきました。伊之助さんも中津川まで駆けつけてくれたそうですね」
「ええ。それがまた、大騒ぎで。ここは彦根様のお泊まりの日でしょう。武士から人足までご一行500人のお支度で、宿場内はてんやわんやです。新政府の紙幣は不渡りではないにしても半額でしか通用しないし、これまでの雇い賃金の相場で雇っても人足は出てこないし……でも、見て見ぬふりもできなかったので、宿場内のことは九郎兵衛(問屋)さんたちに頼んでおいて、すぐに福島のお役所へ飛脚を走らせ、それから半ば夢中で落合まで駆けつけました。翌日の晩は、中津川に集まった年寄役仲間で寄り合いをして、騒ぎがおさまったところを見届けてから家に帰ってきた時にはもう夜が明けていました」
「どうも、なんとも申し訳ありません」
「こんな一揆が起こるまで、あの庄助さんも気がつかなかったのでしょうか」
「そりゃ、半蔵さん、笹屋だって知らなかったでしょう。笹屋は自分で田畑を耕す農家なんですから」
「私は兼吉や桑作でも呼んで聞いてみます。私の家には先祖の代から付き合いのある百姓が13人もいます。嫁に来た人について美濃から移住してきたような、そんな縁の者もいます。正月といえば餅をつきに来たり、松を立てたりするのも、あの仲間です。あの仲間を呼んで、様子を聞いてみます」
「まあ、京都の方の話もいろいろ伺いたいのですが。夜も短いので」
「お霜婆」
「はい」
「あなたのお宅の兼吉に本陣のご主人が用があるそうなので」
「はい」
「そう言って、あなたもついでに伝えておいてください。ついでに、桑作にも一緒に来るようにと。頼みます」
「はい。はい」
原文 (会話文抽出)
「半蔵さんの留守に一番困ったことは――例の農兵呼び戻しの一件で、百姓の騒ぎ出したことです。どうしてそんなにやかましく言い出したかと言うに、村から出て行った七人のものの行く先がはっきりしない、そういうことがしきりにこの街道筋へ伝わって来たからです。」
「そんなはずはないが。」
「ところがです、東方へ付くのか、西方へ付くのか、だれも知らない、そんなことを言って、二百人の農兵もどうなるかわからない、そういうことを言い触らされるものですから、さあ村の百姓の中には迷い出したものがある。」
「でも、行く先は越後方面で、尾州藩付属の歩役でしょう。尾州の勤王は知らないものはありますまい。」
「待ってくださいよ。そりゃ木曾福島の御家中衆が尾州藩と歩調を合わせるなら、論はありません。谷中の農兵は福島の武士に連れられて行きましたが、どうも行く先が案じられると言うんです。そんなところにも動揺が起こって来る、流言は飛ぶ――」
「や、わたしはまた、田圃や畠が荒れて、その方で百姓が難渋するだろうとばかり思っていました。」
「無論、それもありましょう。しまいには毎日毎日、村中の百姓と宿役人仲間との寄り合いです。あの庄助さんなぞも中にはさまって弱ってました。先月の二十六日――あれは麦の片づく時分でしたが、とうとう福島のお役所からお役人に出張してもらいまして、その時も大評定。どうしても農兵は戻してもらいたい、そのことはお役人も承知して帰りました。それからわずか三日目があの百姓一揆の騒ぎです。」
「どうも、えらいことをやってくれましたよ。わたしも落合の稲葉屋へ寄って、あそこで大体の様子を聞いて来ました。伊之助さんも中津川までかけつけてくれたそうですね。」
「えゝ。それがまた、大まごつき。こちらは彦根様お泊まりの日でしょう。武士から人足まで御同勢五百人からのしたくで、宿内は上を下への混雑と来てましょう。新政府の官札は不渡りでないまでも半額にしか通用しないし、今までどおりの雇い銭の極めじゃ人足は出て来ないし……でも、捨て置くべき場合じゃないと思いましたから、宿内のことは九郎兵衛(問屋)さんなぞによく頼んで置いて、早速福島のお役所へ飛脚を走らせる、それから半分夢中で落合までかけて行きました。その翌日の晩は、中津川に集まった年寄役仲間で寄り合いをつけて、騒動のしずまったところを見届けて置いて、家へ帰って来た時分にはもう夜が明けました。」
「どうも、なんとも申し訳がない。」
「こんな一揆の起こるまで、あの庄助さんも気がつかずにいたものでしょうか。」
「そりゃ、半蔵さん、笹屋だって知りますまい。あれで笹屋は自分で作る方の農ですから。」
「わたしは兼吉や桑作でも呼んで聞いて見ます。わたしの家には先祖の代から出入りする百姓が十三人もある。吾家へ嫁に来た人について美濃から移住したような、そんな関係のものもある。正月と言えば餅をつきに来たり、松を立てたりするのも、あの仲間です。一つあの仲間を呼んで、様子を聞いて見ます。」
「まあ、京都の方の話もいろいろ伺いたいけれど。夜も短かし。」
「お霜婆」
「あい。」
「お前のとこの兼さに本陣の旦那が用があるげなで。」
「あい。」
「そう言ってお前も言伝けておくれや。ついでに、桑さにも一緒に来るようにッて。頼むぞい。」
「あい。あい。」