海野十三 『蠅男』 「あああれですか。あれは透視術でもなんでも…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 海野十三 『蠅男』

現代語化

「ああ、あれですか。あれは透視術でもなんでもなくてね。聞いてくださいよ、あなた、腹を立てるようなことかもしれんけど――」
「なんだ帆村荘六の透視術?」
「――おい君、警察官を悪く言うなよ」
「いや、話を聞くだけなら、悪いわけないし」
「――もちろん種があるんです。これは有名なシャーロック・ホームズ探偵が時々使ってたのと同じような手なんです。――さっき青年の上原君にマッチを借りたでしょ。あのマッチは、燕号の食堂で置いてあるマッチなんです。まだ軸木がいっぱい詰まってた。夜には大阪に着くんだから、ここへ二人が現れた時間が10時頃で、燕号で来たことは全部ピッタリと符合します。大したことじゃないですよ」
「ははあ、マッチと鉄道の時間の常識が種かってわけか」
「それで、東京が暖かいとか、雨が降ってたっていうのは――」
「あれは、上原君の靴を見たんです。かなり泥が付いててね。ご存知のように、大阪はいい天気です。それなら、あの靴の泥は東京で付いたものってことでしょ。それも雨です。もし雪だったら、そんなにベタベタと付かないでしょ。今年は11月からずっと寒い。東京は何度も雪が降った。それなのに昨日は雨が降ったっていうんだから、暖かったに違いないでしょう」
「ああ、そういうところから分かったんだな、なるほど種は種だけど、鋭い観察だなぁ。それはそれでいいとして、青年が令嬢を朝早く迎えに行ったってのは?」
「それは、上原君の靴だけじゃなくて、カオルさんの靴にも同じくらいの泥が付いていたからです。つまり二人は同じくらいの泥を踏んだってことになるよね。それに燕号は、東京駅を朝9時に発車するんですから、朝早く迎えに行ったんでしょう」
「そうなのか。ちょっと納得いかないな。もし二人が駅で待ち合わせてもいいじゃないか。それに、令嬢も上原も郊外に住んでたら、靴の泥も、同じように付くでしょう」
「ところがですネ、もっと重要な観察があるんです。二人の靴の泥が、どっちも一緒なんです」
「一緒の泥って言うのは――あなたは、地質にも詳しいのか」
「いや、それほどじゃないけど、二人の靴の泥をよく見てくださいよ、どっちも乾いてるのに赤土みたいにならなくて、すごく青みがかっててね。まるで染めたみたいに真っ青です。だから、どっちも一緒の土なんです。二人は同じ場所を歩いたって考えていいでしょう」
「へえー、そうなのか。そんなに青い泥が付いてたのか、気がつかなかったな。それはいいとして、最後に、家が板橋区のどこやらってズバリと当てたのは、これはまたどういうわけだ。令嬢を前から知ってたのか」
「いえ、さっきこの家で初めて会ったばかりです。でもちゃんと分かるんです。あんな風に真っ青に染めたような泥ってのは、板橋区の長崎町以外にはないんです。もっと驚かせたかったら、通った通りの丁目だって当てられるんですよ」
「へえ、驚いたよ。でも、あんな青い泥がその長崎町だけにあっても、他の土地にはないっていうのは、ちょっと極端すぎるだろう。長崎町にあったら、その隣の町にもあるでしょ。そもそも地質ってものは――」
「ああ、あなたの地質学の造詣の深さには敬意を表しますけど――」
「あれ、まだ地質学について何も話してないけどな」
「いや、話さなくても僕にはよく分かります。それにこの問題は地質学の力を借りなくてもいいんです。つまりちょっと待ってくださいね、あれは地質学上の性質で青いわけじゃないんですからネ」
「ほほーん、地質で青いのかと思ってたのに、地質以外の性質で青いっていうのは信じられないな」
「いや信じられますよ。あなたは今日、東京から来た東京タイムスの朝刊を読みましたか。読んでない、そうでしょ。新聞を見るとあの長崎町二丁目七番地先に今掘り返してるせいですごく道が悪くなってます。その地先で昨夜、極東染料会社の引っ越しで、アニリン染料の真っ青な液が一ぱい入った樽が積んであるトラックがハンドルを道で取られて、バッと太い電柱にぶつかり、電柱は折れて、トラックはひっくり返って、あたりはすぐに停電で真っ暗闇になったそうです。そしてあたり一面に、その染料が流れて出て、泥が真っ青になったって書いてあります。何にも知らないで、現場に飛び出した野次馬たちが、あとで家に帰ってみると、誰のからだも下半身が真っ青に染まっていて、洗っても洗っても取れないっていうんで、会社に対して珍しい損害賠償を請求しようとしてるという大騒ぎになってるんだって、面白可笑しく記事になってるんです。カオルさんと上原君の泥靴の青い色からして、二人は今朝そこの泥を踏んだに違いないって推理したんです」
「な、な、なるほど、なるほど、そうか。特殊も特殊、まるでマジックみたいな推理だな」
「全くその通りです。運よく、特殊な事情をうまく掴んだだけのことです。でもこれは笑い事じゃないんです。あなたがたは警察権限で捜査するからすごく楽だけど、僕たち私立探偵は、表からも入っていけないし、全部小さくなって、ちっぽけな証拠に頼って探偵しなきゃいけない辛さがあるんです。だからあなたがたよりは、小さなことにも気をつけなきゃいけないんです。目につくものなら、なんでも見逃さないのが、私立探偵の生命線なんです――」
「もういいよ、帆村君。手品の種明かしの後で長々と演説なんてしないでよ。せっかく守ってる玉屋総一郎氏が蠅男に殺されちゃったら、今度はこっちの生命線に関わるよ」
「なるほどな、なるほどな」

原文 (会話文抽出)

「あああれですか。あれは透視術でもなんでもないのですよ。聞くだけ、貴下が腹を立てるようなものだけれど――」
「ナニ帆村荘六の透視術?」
「――おい君、善良な警官を悪くしちゃ困るよ」
「いや話を聞いておくだけなら、悪かなりませんよ」
「――もちろん種があるんです。これは有名なシャーロック・ホームズ探偵がときに用いたと同じような手なんです。――さっき青年上原君に燐寸を借りたでしょう。あの燐寸は、燕号の食堂で出している燐寸です。まだ一ぱい軸木がつまっていました。夜には大阪着ですから、ここへ二人が現われた時間が十時頃で、燕号で来たことは皆ピッタリ符合します。なんでもないことですよ」
「ははア燐寸と鉄道時間表の常識とが種だっか」
「すると東京が暖いとか、雨が降っていたというのは――」
「あれは、上原君なんかの靴を見たんです。かなりに泥にまみれていました。ご承知のように、わが大阪は上天気です。しからば、あの靴の泥は東京で附着したのに違いないでしょう。それも雨です。もし雪だったら、ああは念入りに附着しませんよ。今年は十一月からずっと寒い。東京は何度も雪が降った。それだのに昨日は雨が降ったというのですから、これは暖かったに違いないでしょう」
「はあ、そういうところから分りよったんやな、なるほど種は種やが、鋭い観察だすな。それはそれでええとして、青年の方が令嬢を朝早く迎えに行ったいうんは?」
「それは、上原君の靴だけではなく、カオルさんの靴にも同等程度の泥がついていたからです。つまり二人は同じ程度の泥濘を歩いたことになります。それから燕号は、東京駅を午前九時に発車するのですから、朝早く迎えに行ったんでしょう」
「そうなりまっか。ちょっと腑に落ちまへんな。もし二人が駅で待合わしたんやってもよろしいやないか。そして、令嬢も上原も郊外に住んで居ったら、靴の泥も、同じように附着しよりますがな」
「ところがですネ、もっと大事な観察があるのです。二人の靴についている泥が、どっちも同質なんです」
「同質の泥というと――貴下さんは、地質にも明るいのやな」
「ナニそれほどでもないが、二人の靴の泥を後でよく見てごらんなさい、どっちも泥が乾いているのに赤土らしくならないで、非常に青味がかっていましょう。染めたように真青です。だから、どっちも同質の土です。二人は同じ場所を歩いたと考えていいでしょう」
「へえーッ、さよか。そんなに青い泥がついとりましたか、気がつきまへなんだ。それはええとして、最後に、家が板橋区のどこやらとズバリと云うてだしたのは、これはまたどういう訳だんネ。令嬢を前から知っとってだすのか」
「いえ、さっきこの家で始めて会ったばかりです。だがチャンと分るのです。あのような青いインキで染めたような泥は、板橋区の長崎町の外にないんです。もっと愕かすつもりなら、通った通りの丁目まで云いあてられるんですよ」
「へえ、驚きましたな。しかしまた、あんな青い泥がその長崎町だけにあって、外の土地には無いというのは、ちと特殊すぎますな。長崎町にあったら、その隣り町にもありまっしゃろ。そもそも地質ちゅうもんは――」
「ああ、あなたの地質の造詣の深いのには敬意を表しますが――」
「あれ、まだ地質学について何も喋っていまへんがナ」
「いや喋らんでも僕にはよく分っています。それにこの問題は地質学の力を借りんでもいいのです。つまりちょっと待って下さい、あれは地質上、あんなに青いのではないのですからネ」
「ほほン、地質で青いのかとおもいましたのに、地質以外の性質で青いちゅうのは信じられまへんな」
「いや信じられますよ。あなたはきょう東京から来た東京タイムスの朝刊をお読みになりましたか。読まない、そうでしょう。新聞を見るとあの長崎町二丁目七番地先に今掘りかえしていてたいへん道悪のところがあります。その地先で昨夜、極東染料会社の移転でもって、アニリン染料の真青な液が一ぱい大樽に入っているのを積んだトラックがハンドルを道悪に取られ、呀っという間に太い電柱にぶつかって電柱は折れ、トラックは転覆し、附近はたちまち停電の真暗やみになった。そしてあたり一杯に、その染料が流れだして、泥濘が真青になったと出ています。何もしらないで、現場へ飛びだした弥次馬たちが、後刻自宅へ引取ってみると、誰の身体も下半分が真青に染っていて、洗っても洗っても取れないというので、会社に向け珍な損害賠償を請求しようという二重の騒ぎになったとか、面白可笑しく記事が出ているんです。カオル嬢と上原君の泥靴の青い色からして、二人が今朝そこの泥濘を歩いたに違いないという推理を立てたのです」
「な、な、なるほど、なるほど、さよか。特殊も特殊、まるで軽業のような推理だすな」
「全くそのとおりです。運よく、特殊事情をうまく捉えただけのことです。しかしこれは笑いごとじゃないのです。あなたがたは官権というもので捜査なさるからたいへん楽ですが、われわれ私立探偵となると、表からも乗り込めず、万事小さくなって、貧弱な材料に頼って探偵をしなきゃならない辛さがあるんです。そこであなたがたよりは、小さいことも気にしなきゃならんのです。目につくものなら、何なりと逃がさんというのが、私立探偵の生命線なんでして――」
「もう止せ、帆村君。手品の種明かしの後でながなが演説までされちゃ、折角保護している玉屋総一郎氏が蠅男の餌食になってしまうよ。そうなれば、今度は、こっちの生命線の問題だて」
「なるほどなアなるほどなア」


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