所属: 無窮 一覧 ...my_0811220

私のこれまでの人生戦略とその由来

 
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私のこれまでの人生戦略は、以下の2点である。
 
 1. 知への集中、知の中での拡散
 2. 努力と人工システムの組み合わせによる人の超越
 
これらは、
 
 ・幼稚園児のときの相撲
 ・鉄道
 ・縄文式土器
 
と、各々関係をもっている。以下にそれを説明する。
 
 


1. 知への集中、知の中での拡散 

逆リンク(内部) (その他) 跳躍連想(関連記事案内)  幼稚園児のときの相撲 : 体の否定・知への集中 鉄道 : 理系分野での知の多方面興味 縄文式土器 : 歴史への興味

1.1 知への集中  

逆リンク(内部) (その他) 跳躍連想(関連記事案内)  私は、知・情・意・体のなかで、知に特化している。それは、体の否定からはじまった。 幼稚園児であったころ、幼稚園のなかで相撲があった。私は、同年齢はもちろん、 2歳年下の相手にさえ勝てなかった。 小学校でも短距離走のタイムは、5段階評価されれば確実に1となるものであった。 小学校高学年になるころには、私は自らの価値として体を否定した。私の価値は頭脳だと 考えた。 3歳で2桁の足し算、4歳で九九をおぼえた人間だ。小学4年生のころには、公文に通い、 2次方程式を解いていた。 小学5年生になって進学塾に通うようになり、そこで私の学業成績の統計的な位置が数値化 された。 問題点

1.2 知の中での拡散  

逆リンク(内部) (その他) 跳躍連想(関連記事案内)  スペシャリストとは対極にいる私がやるべきこと http://www.h5.dion.ne.jp/~wing-x/ezhtml/inw3/za_0709170.html#1 *はてなブクマ 保存庫?(wayback-GoogleCache) -移転→ http://takagi1.net/ezhtml/inw3/za_0709170.html#1 *はてなブクマ 保存庫?(wayback-GoogleCache)   >[小学生のとき] 得意な科目は、理科と社会であった。   >小学生にとっての最主要科目である、国語・算数ではない。   >理系・文系の枠組みである、国語&社会ペア・算数&理科ペアでもない。   >中学生・高校生になっても、その傾向は変わらず、全科目にわたって満遍なく点数を   >積み上げていくタイプであった。学科試験科目は多ければ多いほうが有利であった。 私が理系分野において、多方面の知に興味をもった理由として、鉄道への趣向があげられる。 鉄道は、次のように多方面の知に関わっている。  ・車両 : 機械工学一般  ・原動機 : モーター・エンジン・蒸気機関  ・制御機器 : 電気一般  ・架線 : 発電  ・信号システム : 論理学  ・集中管理システム : 安全工学  ・路線網 : ネットワーク また、文系分野では、特に日本史に興味を抱いた。それは、縄文式土器の写真をみたとき、 素直にその美しさに感動したからである。 問題点

2. 努力と人工システムの組み合わせによる人の超越 

逆リンク(内部) (その他) 跳躍連想(関連記事案内)  幼稚園児のときの相撲 : 人を超えたものを融合する必要性 縄文式土器→歴史 : 逆説として軍事への興味 幼稚園児のときの相撲 : 軍事への興味 鉄道→科学 : 主観の否定 縄文式土器→歴史 : 政体 鉄道→科学 : 知の脈絡 縄文式土器→歴史 : 知の脈絡

2.1 努力と人工システムの組み合わせ  

逆リンク(内部) (その他) 跳躍連想(関連記事案内)  私は、努力した。 1.1 知への集中 で説明したように幼稚園児のときの相撲の体験は、体の否定につながり、 そして体の欠落につながった。それ故に自らの向上のためには、「努力」を必要とした。 しかし、それでは欠落を補いきれなかった。世の中には、天から文(知)・武(体)の二物を 与えられた者がいるものである。 彼らを超えるために、私は人間を超えたものを融合する必要性を感じた。 努力と人工システムの組み合わせによって人間を凌駕することを考えたのだ。 人工システムの例を以下に挙げる。  ・軍事知識  ・コンピュータ (プログラミング) 軍事知識の獲得によって、体を取り戻すことを目指した。軍事的素養の貧しい現代の我が国に とって、軍事知識の獲得は、自分の付加価値を高めてくれるようにも感じた。 高校の選択科目で日本史を選択したことも、逆説的に、軍事知識獲得の動機である。軍事学を 本質とする地理を選択しなかった負い目を払拭しようと考えたのである。 問題点

2.2 人間の軽視  

逆リンク(内部) (その他) 跳躍連想(関連記事案内)  人間を超えたものの趣向は、人間の軽視と関連している。 人間の軽視は、以下に挙げる 3つの要素の帰納として生じた。  ・知による。知は、個人にやどるものではなく、脈絡とした伝承である。   これは、歴史の史料を読み、科学の文献引用主義を知るにつれて生じた。   脈絡とした伝承である知にとって、個人は単なる一時の容れ物にすぎない。  ・科学による。科学をするためには、主観(=人間)を排する必要がある。   理系に進もうと決心したときから、理系らしく生きようと考えた。  ・政体による。政治的決定は君主個人によってではなく、機関によって為される。   日本史を学び、日本国が経験した様々な政治体制・政治制度に関する知識を得た。   この国の歴史において、政治的決定を個人によって行う者は極めて稀である。 問題点
 
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