リリエンタール | シャニュート | ラングレー | ライト兄弟 | |
名前 | オットー・リリエンタール | オクターブ・シャニュート | サミュエル・ピアポント・ラングレー | 兄 ウィルバー・ライト 弟 オービル・ライト |
生没年 | 1848-1896 (48歳没、実験中の墜落死) | 1832-1910 (78歳没) | 1834-1906 (71歳没) | 兄 1867-1912 (45歳没)、弟 1871-1948 (76歳没) |
資金源 | 工場主(ボイラー、蒸気機関を製造) | 土木技師(鉄橋設計・建設など) エリー鉄道の技師長(1873〜) | 数学者、天文学者 アレガニー天文台(ピッツバーグ)の館長 ペンシルバニア・ウェスタン大学(現、ピッツバーグ大学) 物理学教授 ※鉄道会社役員ウィリアム・ソーによる10万ドルの同大学への助成金によって、学生に講義する業務から解放され、自由な時間を得ていた。 スミソニアン学術協会の長官(1887〜) アメリカ国防省から5万ドルの研究費(1898) | 自転車屋(自転車の修理・製造) |
実験装置 | 回転アーム試験装置 | 回転アーム試験装置 平板落下装置 圧力成分記録計 動力計クロノグラフ ゴム動力飛行機、蒸気動力飛行機 (小型機) | 風洞 揚力係数直接計測装置 D/L比直接計測装置 | |
有人飛行機 | グライダー | グライダー | 蒸気動力飛行機「エアロドローム」号 (有人機は失敗) | グライダー ガソリンエンジン動力飛行機「ライトフライヤー」号 (1903年12月17日に人類初の有人動力飛行に成功) |
著作(本・論文) | ||||
その他 | 当時の主要な飛行機研究者のほぼ全員と連絡を取り合う。 航空学の専門用語を定め、広めた。 | スミソニアン学術協会の長官(1887〜) | ||
ライト兄弟との関係 | グライダー実験中の墜落による死去(1896)が、ウィルバー・ライトに有人飛行機の開発を決心させた。 | ライト兄弟と深い親交をもち、たとえば1900年5月から1901年10月までに少なくとも53通の手紙のやりとりをしている。 西部技術者協会の会議にウィルバー・ライトによる講演会(1901)を設定した。 | ライト兄弟は、ラングレーが長官を務めるスミソニアン学術協会から文献リストを入手した。対応したのは、リチャード・ラスバン副長官である(1899)。 |
参考文献
リリエンタール、シャニュート、ラングレーの写真は、ウィキメディア・コモンズから。同写真は、「アメリカ合衆国空軍に属する者が職務上作成したものです。これはアメリカ合衆国連邦政府が業務上作成した著作物と見做されるため、この画像ファイルもパブリックドメインとなります」(2013/2/10)。
公開開始: 2013/ 2/10