私のはじめての詩歌集です。3首の短歌で、その縁起(事の起こり)について表します:
籠(こ)ではなく 歌は表に 出すものと 「速水太郎傳」 我に教えり
「速水太郎傳」(故速水太郎氏伝記編纂係, 吉岡 正春=編纂, 1939年)は、速水 太郎 氏(1862年〜1936年)の伝記です。
伝記に漢詩が載っており、それが格好良くて、(同書は、速水翁の死後に編まれたものですが、私は生きている間に)詩歌集を編んで、公開しようと考えていました。
速水 太郎 氏は、関西地方と中国地方における鉄道事業と電力事業に関わり、主に、現在のJR福知山線である阪鶴鉄道の取締役支配人、現在の阪急阪神ホールディングスである箕面有馬電気軌道の取締役(創立時には、発起人並に創立委員)、現在の近畿日本鉄道である大阪電気軌道の取締役、現在の中国電力につながる前身のひとつである山陽中央水電の社長を務めました。
「速水太郎傳」では氏の生涯を振り返り、また親交があった方から文章が寄せられています。
しかし、それだけではありません。揮毫の写しがあったり、学生時代・晩年の漢詩・漢文が載せてあります。
氏の漢詩といえば、氏が広島県帝釈峡に建設を推し進めた水力発電のための人造湖「神竜湖」のほとりに立つ石碑の
帝釈風光勝畫圖 更依水力衆民蘇 風酸雪虐五年後 喜見千尋一大湖 |
帝釈の風景は美しい,それは絵などに描けるものではない。 水の力により,この地の人を豊かにしたい。 自然の障碍を乗り越えた五年の後。 今,喜びの中に青々とした湖を見る。 http://homepage1.nifty.com/jinseki/hayami.html より(2011年確認) |
が有名ですが、他にも多くの漢詩が載せてあります。
なお、「籠(こ)」は、初めて詩歌集を編むという意味を込め、万葉集の最初の歌である 雄略天皇御製歌
籠(こ)もよ み籠持ち 堀串(ふくし)もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます児(こ) 家聞かな 名告(の)らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 吾こそ居れ しきなべて 吾こそ居べ 吾こそは告らめ 家も名をも
に掛けています。
駅・電車 我の目にては 社会なり 文化なりとて 浸りにけり
私は、中学生・高校生の時、阪急電車のアンゴラ山羊の毛で作られたゴールデンオリーブ色のシートを愛で、マホガニー木目柄の車内化粧板に親しみ、車内の空気に心を許し、梅田駅から地下街に入る手前の「阪急グランドドーム」を毎日見上げて、学校に通いました。
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私にとって、駅や電車の車内は、見知らぬ不特定多数の人と過ごす社会であり、それらの人々がよいと思う文化な空間でした(そもそも文化とは、社会的なものです)。
鉄道は 我を拡げし メディアにて その中 我は 心動かす
鉄道というシステムの中にあるとき、私の心は普段と少し異なります。 それは、自分を拡張するメディアに接続した状態において、その状態を、その中核たる私の心が活かそうとするからかもしれません。
平成二八年八月
高木 一
公開開始: 2016/ 8/19 (俳句の日)