TAKAGI-1 みくすと 総合版

Twitter @takagi1TAKAGI-1のはてなブックマークTAKAGI-1 たんぶら

<<2019/03/22 <2019/04/18 ||  

2019/04/19

Twitter

Tumblr


「友鶴事件」「第四艦隊事件」の2大事件は日本海軍を震撼させます。その原因として艦の安定性不足、強度不足など、それまでの艦艇設計に無理があることが明らかになったのです。多くの艦で安全対策工事が行われ、船体の強化改造、武装の削減などが行われた結果、主力駆逐艦となることが期待された吹雪型でも、38ノットから35ノットまで速力が低下しました。

 ちなみに、その後、日本海軍は終戦に至るまで、台風で被害を受けることはほとんど無くなりましたが、アメリカ海軍ハルゼー提督指揮下の第3艦隊が1944(昭和19)年12月18日台風(「コブラ台風」または「ハルゼー台風」とも)に遭遇し駆逐艦3隻が沈没、空母8隻ほか13隻が損傷、航空機186機損失、死者790名を出し、半年後の1945(昭和20)年6月5日にも再び台風に巻き込まれ、沈没艦こそ無かったものの35隻が損傷、航空機76機、死者6名の被害を出しています。



- 速い速い駆逐艦「島風」! 旧海軍がスピードを追及した理由と、一点モノで終了のワケ | 乗りものニュース- (2)

[ Posted Fri, 19 Apr 2019 07:43:05 ]

 


“[「島風」の]初陣は1943年7月の「キスカ島撤退作戦」で、レーダーを装備し、俊足であったことから、第一水雷戦隊司令官の木村昌福少将が特に要望したと言われます。霧にまぎれながらの作戦は困難でしたが、陸海軍将兵5000名以上の撤退に成功しました。”

- 速い速い駆逐艦「島風」! 旧海軍がスピードを追及した理由と、一点モノで終了のワケ | 乗りものニュース- (4)

[ Posted Fri, 19 Apr 2019 07:44:16 ]

 

<<2019/03/22 <2019/04/18 ||  


TAKAGI-1