28歳。僕がまだ仮免ディレクターだった頃、大阪のMBS「新・たかじんが来るぞ!」という番組を担当していました。視聴率に苦しんでいた時期、彼はいきなり番組会議に乗りこんできたのです。会議の進行をブッタ切って、正面からこう説教されました。
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「今どきテレビなんて流して見てる…って思ってるかもしれへんけど、世の中には夜のこの番組だけが楽しみで昼間働いている人がおんねんゾ!工場のおっちゃんもパートのおばちゃんも汗水流して働いて寝る前の唯一の楽しみなんじゃ!!お前らその人達の為に死ぬ気で番組作ってんのか!!」
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正論。当時でさえ誰も気恥ずかしくて言えない真っ当な正論です。でも、今でも心に突き刺さっています。僕のテレビ作りの基本ポリシー…。GCCXもVS嵐もこの心得で作っているのです。たかじんさんと仕事をした大阪のテレビマンは、多かれ少なかれこういう叱咤を受けていたのではないでしょうか?
30歳で上京する時、彼の所へあいさつに…。寂しそうにしながらも、
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「アカンかったらいつでも帰って来て俺んとこに来い。」
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ご本人は東京嫌いでしたが、行く人間はあたたかく送り出してくれる懷の深い方でした。
豪快で強面のイメージがあるかも知れませんが、とても繊細でとにかく視聴者目線で動いてました。彼がいなくなっても、彼のDNAは我々関西系テレビマンに宿っています。ありがとうございました。次お会いしたら少しだけホメてもらえるよう…もう少し頑張ります。
今夜、キタやミナミのスナックからは彼の歌が聞こえてくるでしょう…僕もどこかで歌います。最後まで歌える自信はありませんが…。