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<<2012/12/15 <2013/01/11 || 2013/01/13> 2013/02/09>>
2013/01/12
“すぐ唇が乾燥しちゃう人に共通する”あること” - NAVER まとめ” http://htn.to/j52pQ1
posted at 09:15:40
「政治は結果が出るまで時間がかかる」--- 熊本大学・大川千寿特任准教授を迎えて http://fmk.typepad.jp/glory/2013/01/post-4bd8.html
posted at 14:14:14
戦闘は不可逆な現象であり、タイミングが重要である。敵が弱き時に突け。それが未来を救う。 #*
posted at 15:08:15
訂正する―― 戦闘は不可逆な現象であり、タイミングが重要である。敵が弱き時に突け。それが未来を『作る』。 #*
posted at 15:12:12
“GPSケータイから「3.11」の人の流れを見える化した動画がすごい!” http://htn.to/7Eq7aE
posted at 16:43:23
国立国会図書館デジタル化資料 - 軍艦帖?: 海と船の写真帖
軍艦帖?: 海と船の写真帖 河合秋平 編 1923年
海軍旗章など/汽船會社の旗/汽船會社社旗/海ニ関スル會社のマーク・造船所マーク・漁業會社マーク
この背景には、プロテスタント系人口の減少があります。国や地域を問わず、所得の低いグループほど出生率が高くなる傾向があります。やはりAFPによると、2011年までの10年間で、北アイルランド全体のプロテスタント系人口が53%から48%に減少した一方、カソリック系人口は45%にまで増加しました。北アイルランド全体ではかろうじてプロテスタント系の方が多いわけですが、それでも両者の勢力がほぼ拮抗しつつあることは確かです。
[ Posted Thu, 10 Jan 2013 07:56:23 ]
「目が良くなる」は?錯覚? ブルーベリー
最大のセールスポイントが「目に良い」という点。なかには「視力改善に効果がある」と踏み込んだ宣伝をしている業者もある。
だが、結論から言ってしまえばブルーベリーが「目に良い」ことはない。ブルーベリーに多く含まれるポリフェノールの一種「アントシアニン」が、人間の目の 網膜に含まれるロドプシンという物質の合成を助けるというのが「目に良い」の根拠だが、それについての有意性のあるデータはない。
そもそも、目に良いと視力がよくなるという意味はまったくの別物で、目が悪くなったら眼科に行くべきだ。ブルーベリーで老眼が治ったり、緑内障が良くなったりすることはない。
視力に良いとされる科学的根拠は見つかっていないという現実は押さえておく必要があるだろう。
自分の想いを押し殺し、「これは俺が?わがまま?なだけなんだ。オトナなんだから?我慢?するしかない」と、問題解決への努力を諦めてしまっている人が多いから、世界的に見ても悲惨な状況が生まれていると思うのです。「我慢」なんて、「諦め」を自己肯定的に言い換えただけです。
[ Posted Sat, 12 Jan 2013 09:07:19 ]
「俺がわがままなだけなんだ。我慢するしかない」という諦めが日本社会をダメにする | ihayato.news (via yuichibass)
ホフマン警視「忠誠心なんてものは麻薬みたいな物ですからな。 効いている間は陶酔の海に漂っていられるが、 それが切れた後はボロボロになった自分を見出すだけだ。
[ Posted Sat, 12 Jan 2013 16:00:51 ]
スコットランドは山岳地帯や大小の島々が多く、中央集権に向かない地域であった。地方ごとに有力貴族・氏族がそれぞれの領地をおさめ、王がそれを束ねる分権的な封建制にも似た国制をとっていた。
[ Posted Sat, 12 Jan 2013 17:32:02 ]
この変化に宗教改革や修道院の解散も影響して、貧しい人々をみる視線が「慈善の対象」から「怠惰の結果」に変わっていった。こうして社会的・経済的に追いつめられた人々が急進的な思想を醸成していった。
[ Posted Sat, 12 Jan 2013 17:32:56 ]
この議会で中心的役割を果たしたのが急進派(第五王国派)ハリソンと穏健派ジョン・ランパードであり、クロムウェルは両派から英雄として担ぎ上げられていた。穏健派は議会の解散とクロムウェルの国王就任を目論み、その思惑通りに事態が進展した。こうして聖者議会は4ヶ月で自主解散した。クロムウェルはこの構想に同意したわけではなかった。しかし議会がなくなってしまった以上、政権を引き受けざるを得ず、KingではなくLord Protector(護国卿)として渋々政権の座についた。
[ Posted Sat, 12 Jan 2013 17:39:46 ]
財政の逼迫はクロムウェルに変節をよぎなくさせた。「議会の同意なき課税は無効」という伝統がすでにイングランドに成立しており、これに基づいて議会を再召集する以外になかった。
[ Posted Sat, 12 Jan 2013 17:42:06 ]
軍の弱体化を狙う政府内の動きに、第五王国派や平等派、そして兵士たちは反感を募らせていき、請願や抗議行動を活発化させていった。自らの支持基盤が軍であることを知っていたクロムウェルは、こうした動きにやむなく1658年2月4日議会を解散し、軍から忠誠をとりつけた。しかし議会を解散したことによって、いままでの反乱分子だけでなく独立派なども反対勢力にまわり、軍以外に支持基盤を見出せない状況に追い込まれていた。
[ Posted Sat, 12 Jan 2013 17:44:01 ]