有川 浩「図書館内乱」

     

評価・状態: 得られるものがあった本★★☆



借本
読了: 2010/ 5/ 2

Twitter / TAKAGI-1: @yonda4 図書館内乱 「図書館は引き算の理屈で運営するもんじゃない。」(p.219)

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図書館戦争ドラマに、人の脳の性質を整理する

記事ページ 発行: 2015年06月06日

まとめのまとめ: (2015/6/14追記 初出 2015/ 6/ 7)

感情移入による過度の恐れ、論理を見誤る刺激等価性、「空気」。これらの原因は、人間の脳がしがちな〈確率の概念を持たない思考〉だと考えられる。



まとめ:
感情移入の際などに、人の脳が陥りやすい〈確率の概念を持たない思考〉は、

個人においては、
 ・過度の恐れ
 ・論理の見誤り(「AならばB」と「BならばA」を同一視してしまう)
を起こし、

集団においては、「空気」を生み
 ・誤り訂正がされません。

「空気」は、複数人の間において、〈感情移入によって、確率の概念を持った分析により相手の思考の是非を判断することを拒否し(あるいは、そのようにして得られた判断を軽視して棄却し)、相手が持つ思考を是認する現象〉が連続的に起こっている状態です。


2015年秋に、TBS系にて、ドラマスペシャル『図書館戦争 BOOK OF MEMORIES』の放送が予定されています。

「図書館戦争」シリーズは、“図書館の自由”、ひいては“知る自由”・“表現の自由”ストーリーにした、有川 浩 女史 の作品です。

今回のドラマでは、「図書館戦争」シリーズのひとつ「図書館内乱」での、アニメ化にあたって「恋ノ障害」(TV未放映話。DVD 3巻に収録) とタイトルがつけられた話が描かれます。

この話のヒロイン・中澤 毬江を、NHK朝の連続テレビ小説「まれ」の主役・土屋 太鳳 嬢が演じます。

中途難聴者である毬江に、中途難聴者がヒロインの恋愛小説「レインツリーの国」を薦めた図書隊員が、「聴覚障害者の出てくる本を聴覚障害者に薦める行為は人権侵害である」として、良化特務機関に連行・査問される事件が描かれます。なお、作品中の
図書隊員とは、図書館の自由を守るために武装した図書館員であり、
良化特務機関とは、有害情報・人権侵害・公序良俗を乱す表現を取り締まる組織です。両者は戦争状態にあります。

この事件を、便宜上〈レインツリーの国事件〉と名付けましょう。

〈レインツリーの国事件〉において、聴覚障害者の出てくる本を聴覚障害者に薦める行為を問題視して、良化特務機関の耳に入るほどに噂を大きくしたのは、毬江の同級生達でした。しかし、当の毬江は、問題視どころか、楽しく「レインツリーの国」を読んでいました。

図書館側のひとりは、こう評します:

有川 浩 : 図書館内乱 (アスキー・メディアワークス, 2008) p.110.

「嫌いなのよねー、あの年頃[:高校生]の純粋さを盾に取った正義感って。自分の価値観だけで世の中全部量れると思ってるあの無意識な傲慢さとか、悪気なく上から被せてくる押しつけがましい同情心とか。まったく世界に対して自分が一体どれほど重大だと思ってるんだか、自意識が肥大しすぎて脂肪肝にでもなれそうな勢いね」

この様な事例は、現実においても見られます。(感情移入。「空気」と「バカと暇人のウェブ」をつなぐを参照)。

毬江の同級生達の思考には、確率の概念が抜けています。〈毬江が「レインツリーの国」を読んで傷つく〉に違いないと考え、〈毬江が「レインツリーの国」を読んで楽しむ〉確率が考慮されていません。毬江への感情移入によって〈当事者もどき〉になり、〈第三者〉として広い視野から確率の概念を持って、メリット・デメリットを分析することを拒否しています。

結果として、毬江の同級生達は、〈毬江が「レインツリーの国」を読んで傷つく〉ことを過度に恐れるに至りました。

確率の概念が抜けるという人間の性質は、論理の見誤りを引き起こします。「AならばB」と「BならばA」を同一視してしまう現象です。

私は、次のように考えています。「AならばB」は、Aが真である場合、確率 P(A)≦P(B)です。なぜならば、Aが真である場合、A⊆Bだからです。Aであれば、必ずBです。しかし、Bであっても、Aであるとは限りません。

確率の概念が抜けている場合、確率 P(A)とP(B)の大小の概念が抜けるため、P(A)≦P(B)とP(A)≧P(B)の区別がつきません。つまり、「AならばB」と「BならばA」の区別がつかないことになります。

ヒトの脳がもつ「AならばB」と「BならばA」を同一視してしまう性質は、刺激等価性と呼ばれます。

さらに、〈毬江の同級生『達』の思考〉の『達』に注目しましょう。

一人一人の〈毬江の同級生〉は、毬江に感情移入にしました。しかし、初期において、毬江に感情移入が浅い同級生もいたはずなのに、〈毬江が「レインツリーの国」を読んで傷つく〉ことを過度に恐れる誤りが訂正されませんでした。

同級生同士でも感情移入していたのです。(「空気読めない」という定型句でよく使われる)「空気」が生じていたのです。

「空気」は、複数人の間において、〈感情移入によって、確率の概念を持った分析により相手の思考の是非を判断することを拒否し(あるいは、そのようにして得られた判断を軽視して棄却し)、相手が持つ思考を是認する現象〉が連続的に起こっている状態であると言えます。

複数人が集まれば思考が加速します。そして、本来は誤りが訂正されます。しかし、「空気」が生じると誤りが訂正されません。さらに、複数人が共同で思考したことが、(誤りが訂正されなかった)思考の結論を重大なものにします。そして、この結論に基づく行動の責任の所在があやふやになります

ユダヤ人には「全会一致は無効」と扱う慣習があると言われます。「空気」が導く結論を自動的に廃する、この慣習は秀逸です。

 

どっちも正しくて、両派の間を人が行ったり来たりしているのが良い状態

記事ページ 発行: 2010年05月08日

動画「YouTube - 【ネットの匿名性】 勝間 vs ひろゆき 1/3」を見て書いた Tweet :

Twitter / TAKAGI-1: (※敬称略) 勝間が山をブルドーザで壊し、ひろゆきが街を造って維持する。どっちも正しくて、勝間派とひろゆき派の間を人が行ったり来たりしているのが良い状態。

関連:
有川 浩 : 図書館内乱 (アスキー・メディアワークス, 2008) p.329.

>「いい未来のために自由を捨てるのは、すごく立派な権利です。すごく尊敬します。でも、それを義務にして他の人にも押しつけたら、あたしたちはメディア良化委員会と同じになっちゃう。捨てる権利も捨てない権利もあって、選ぶのはみんな自由だから」


野中 郁次郎 : アメリカ海兵隊―非営利型組織の自己革新 (中公新書, 2007) p.185.

>分化と統合の「同時」極大化というのは、論理的には不可能である。統合と分化という矛盾は、頭の中の論理の世界では解決することはできない。この論理矛盾を打破するのが現実の世界における行動である。つまり、動くことで視点が変わり状況が見えてきて、統合と分化という力(ニーズ)が全く拮抗しているわけではないことがわかってくる。対抗する二つの力のバランスを取るのではない。時と場所によって異なるそれらの力関係を感じ取り、組織のリーダーがその強いほうを選んで推進するのである。そして、より高度な分化と統合を交互に追求することによって、組織をスパイラルに革新するのである。



 

誰が敵か味方か、という色眼鏡

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