「幸福量」が絶対的に大きい、頭がよい社会を
記事ページ 発行: 2010年06月04日
頭がよい社会がもつ「幸福量」は絶対的に大きい *。
故に、我々は、社会の頭の良さを増そうとしなければならない。野蛮に落ちてはならない。
* 註:
これは、頭がよい個人が幸せであり、個人の集合として、社会が同様の性質をもっているということではない。
また、幸せかどうかは相対的な評価であり、頭がよい社会において多くの個人が幸せだと感じるかどうかは別の問題である。
発想の元:
徳永 洋 : 横井小楠―維新の青写真を描いた男 (新潮新書, 2005) p.133. >『沼山閑話』から小楠[:横井小楠]の思想を拾いあげ要約してみよう(...)。
(1) 堯舜三代の政治は、天帝に代わって人間の生活を豊かにするため、山川、草木、鳥獣、貨物それぞれの特性を発揮させて利用し、地上のあらゆるものの功用をはかり工作工夫する政治であった。
(2) 堯舜が生きていれば、西洋の大砲、軍艦、器械がもっている工業技術の精髄を究め、活用し尽くして西洋もかなわない政治を行なうに違いない。
補足:
この文章の素案は、新幹線の車内で書きました(2010/5/27)。私にとって、新幹線の車内は深いことを考えるのに適当なようです。
関連: (これも新幹線車内で考えた)
2005/ 9/ 5: 新幹線の車内にて
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