司馬 遼太郎「坂の上の雲 2」

     

評価・状態: 得られるものがあった本★★☆



購入: 2009/11/ 6
読了: 2009/12/ 3

Twitter / TAKAGI-1: @yonda4 「坂の上の雲2」 国内だけでなく、清もロシアも非常に詳しい。なんという情報収集力、なんという編集力。

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この本からの引用、または非常に関連する記事

全 5 件

素人を軽んじない

記事ページ 発行: 2010年05月08日

野中 郁次郎 : アメリカ海兵隊―非営利型組織の自己革新 (中公新書, 2007) p.176.

>概念は経験を超えて自在に飛べるのである。小進化としての洗練は、経験的であることが多いが、大進化としての再創造は経験を超える概念で始まることが多いのではなかろうか。


司馬 遼太郎 : 坂の上の雲 2 (文春文庫, 1999) p.326.

>素人というのは智恵が浅いかわりに、固定概念がないから、必要で合理的だとおもうことはどしどし採用して実行する。



 

言語の限界

記事ページ 発行: 2010年08月15日

谷川 流 : 涼宮ハルヒの憂鬱 (角川文庫, 2006) p.214.

「言語では概念を説明出来ないし理解も出来ない」


● ある言語の限界による損失

司馬 遼太郎 : 坂の上の雲 2 (文春文庫, 1999) p.319.

「和歌の腐敗というのは」
 と、子規はいう。
「要するに趣向の変化がなかったからである。なぜ趣向の変化がなかったかといえば、純粋な大和言葉ばかり用いたがるから用語がかぎられてくる。


知の国産

自国言語で技術が語られないことの、国的な損失は多大である。

立花 隆 : ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術 (文藝春秋, 2003) pp.176-177.
> 福居浩一『タイ文字を創れ』(化学同人 二八〇〇円)は、海外技術協力の一環として、タイ、インドネシア、ビルマなどで、技術書をその国の言葉で出版する事業に取り組んだ日本人の物語である。
 東南アジアに限らず、発展途上国では、従来、技術書が現地語で出版されることはなかった。

> 幾多の難関をのりこえて、...といった一般向けの技術書が五十八点も各地で出版され、大歓迎される。現地語の技術書が出ることで、その国の技術水準が大幅に上がる。


梅棹 忠夫 : メディアとしての博物館 (平凡社, 1987) p.146.

東南アジアからきた青年たちは、英語の説明がないのをもどかしがったが、やがてハッと気がついていった。
「そうか、日本語は英語やフランス語とおなじように、それだけでなんでもいえる言語なんですね」
かれらの母国語では、なんでも表現できるわけではないので、とくに学術的な事項を説明するためには、英語はかれらにとって絶対必要だと感じられていたのである。... わたしたちは日本語でなんでもいえるのである。


金谷 治 訳注 : 論語 (岩波文庫, 1999) p.249-250.

巻第七 子路第十三 3 より抜粋

名不正則言不順、言不順則事不成、事不成則禮樂不興、禮樂不興則刑罰不中、刑罰不中則民無所措手足、故君子名之必可言也、言之必可行也、君子於其言、無所苟而已矣、

名正しからざれば則ち言順わず[:したがわず]、言順わざれば則ち事成らず、事成らざれば則ち礼楽興らず、礼楽興らざれば則ち刑罰中らず[:あたらず]、刑罰中らざれば則ち民手足を措く所なし。故に君子はこれに名づくれば必ず言うべきなり。これを言えば必らず行うべきなり。君子、其の言に於いて、苟くもする所なきのみ。

名が正しくなければ [*] ことばも順当でなく、ことばが順当でなければ仕事もできあがらず、仕事ができあがらなければ、儀礼や音楽も盛んにならず、儀礼や音楽が盛んでなければ、刑罰もぴったりゆかず、刑罰がぴったりゆかなければ人民は〔不安で〕手足のおきどころもなくなる。だから君子は名をつけたら、きっとことばとして言えるし、ことばで言ったらきっとそれを実行できるようにする。君子は自分のことばについては決していいかげんにしないものだよ。

* 名と実があっていること


● 言語の本質的限界

米盛 裕二 : アブダクション―仮説と発見の論理 (勁草書房, 2007) p.221.

言葉の曖昧さや不明瞭さを言語の欠陥としてのみみなし、それを一掃し、日常の言語を、いわば純化すれば、「理想的」言語が得られると考えるのは、言語の本質を全く誤解するものである

...

[自然言語に対する] 形式言語は、われわれが存在している世界において伝達のために用いる言語としては役に立たないということである (17)

(17) シドニー・フック編『言語と理想』三宅鴻・大江三郎・池上嘉彦訳、研究社、一九七四年、二二七頁。


「文章もインターフェイスである」

● 言語の拡張

ハイパーテキストという表現手法

詩と歌 (他のメディアとの組み合わせによる拡張)

 

優先順位を間違わず、そしてそれを守る

記事ページ 発行: 2009年12月05日

司馬 遼太郎 : 坂の上の雲 2 (文春文庫, 1999) p.216.

> 戦術というものは、目的と方法をたて、実施を決心した以上、それについてためらってはならないということが古今東西のその道の鉄則のひとつであり、そのように鉄則とされていながら戦場という苛烈で複雑な状況下にあっては、容易にそのことがまもれない。真之はそれを工夫した。平素の心掛けにあると思った。

「明晰な目的樹立、そしてくるいない実施方法、そこまでのことは頭脳が考える。しかしそれを水火のなかで実施するのは頭脳ではない。性格である。平素、そういう性格をつくらねばならない」


司馬 遼太郎 : 坂の上の雲 2 (文春文庫, 1999) p.230.

> まず真之の特徴は、その発想法にあるらしい。その発想法は、物事の要点はなにかということを考える。
 要点の発見法は、過去のあらゆる型を見たり聞いたり調べたることであった。かれの海軍兵学校時代、その期末試験はすべてこの方法で通過したことはすでにのべた。教えられた多くの事項をひとわたり調べ、ついでその重要度の順序を考え、さらにそれに出題教官の出題癖を加味し、あまり重要でないか、もしくは不必要な事項は大胆にきりすてた。精力と時間を要点にそそいだ。


利根川進の名言格言|人生で最も大切なこととは

>人生にとって最も大切なのは、その時々に何が最も重要な事柄であるかを良く考え、そこに全エネルギーを集中させ、その他のことは切り捨てること。プライオリティー(優先順位)の決め方を誤ると、限りある時間と労力を無駄にすることになる



 

政治的良心の源泉

記事ページ 発行: 2009年12月05日

政治的良心の源泉として、以下があげられる。

 ・ノブレス・オブリージュ
 ・「国民の声」

昨今の我が国では、「国民の声」に多くの焦点があてられている。

なお、米西戦争は「国民の声」によって起こった。

司馬 遼太郎 : 坂の上の雲 2 (文春文庫, 1999) p.243.

>[米西戦争(1898年)について、アメリカの] 良質な新聞はべつとして、低級な新聞(黄色紙)が紙面をあげて戦争気分をあおった。...
 真之の滞在中におこった米西戦争は、戦争というものの社会科学的必然性はなにもなくて勃発した。アメリカ政府を戦争へひきこんで行ったのはハースト系の新聞とピュリッツァ系の新聞であったという点で、世界戦史の珍例とすべきものであった。



 

外交は口実にしようと道義を求めている

記事ページ 発行: 2009年12月12日

外交は口実にしようと道義を求めている。温暖化対策も然り。

司馬 遼太郎 : 坂の上の雲 2 (文春文庫, 1999) p.370.

>帝国主義外交に道義などはない。必要のために道義めかしくするのが、外交の技術である。



 

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