中川 淳一郎「ウェブはバカと暇人のもの」

     

評価・状態: 得られるものがあった本★★☆



購入: 2010/10/23
読了: 2010/11/12

404 Blog Not Found:梅田望夫と中川淳一郎の共通点 - 書評 - ウェブはバカと暇人のもの

「ネット失望の時代」がやってきた: 歌田明弘の『地球村の事件簿』

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この本からの引用、または非常に関連する記事

全 4 件

刺激等価性――「空気」の本質。感情移入と非論理をつなげるもの

記事ページ 発行: 2014年06月07日

山本 七平「「空気」の研究」中川 淳一郎「ウェブはバカと暇人のもの」では、問題行動として感情移入を捉えていた

感情移入(=共感)が非論理につながる機序(:メカニズム)に関して、岸田 一隆「科学コミュニケーション――理科の〈考え方〉をひらく」に記述がある。また、関係する、非論理を生む人間がもつ性質として"刺激等価性"が挙げられている:

岸田 一隆 : 科学コミュニケーション――理科の〈考え方〉をひらく (平凡社新書, 2011) pp.113-114.

 確率を苦手とするもう一つの理由は、先ほどから述べている、共感性の強さです。私たちは大事件や大事故や大災害の様子を報道などで目の当たりにします。すると、私たちはそれを自分の身の回りで起きたことのように共感してしまいます。...

 私たちには、確率的に起こりやすいことと起こりにくいことの区別が難しいのです。極端に言うと、どれも「同程度に起こりうる」ように思ってしまいます。確率は同じなのだから、被害が大きいリスクの方を恐れることになります。こうした心の働きは実に非論理的です。そして、それは人間の「刺激等価性」という心理現象と関係しています。

...

 人間以外の動物にはほとんど見られない人間特有の心理現象に「刺激等価性」というものがあります。「AならばB」という論理を学習すると、ほぼ自動的に「BならばA」という関係を結論するという現象です。


言い換えるならば、人間は頭の中に、「AならばB」ならば「BならばA」だと結論する、非論理的な思考回路(サブルーチン)をもっており、感情移入(=共感)の際には、その思考回路が何度も何度も使用される(そのサブルーチンが何度も何度もコールされる)。

「AならばB」ならば「BならばA」だと結論する誤りは、"ミクロな誤り"(要素の誤り)であり、それが使われて得られる、個別と一般の確率を同じだと認識してしまう誤りは、"マクロな誤り"(全体現象に表れた誤り)だと位置づけることができる。

以上から導かれる、肝に銘じるべきこと

・「AならばB」であっても、「BならばA」ではない。

・個別(確率が低い)と一般(確率が高い)を、切り分けて考えること。


 

ネットの勝利条件を「ウェブはバカと暇人のもの」から考える

記事ページ 発行: 2010年11月13日

中川 淳一郎 : ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書, 2009)を読んだ。同書の副題は、「現場からのネット敗北宣言」である。しかし、私は“勝利条件”を書いた本であると考えた。理由を記す。

同書 p.19.

>私はネットの使い方・発信情報について、「頭の良い人」「普通の人」「バカ」に分けて考えたい。梅田氏[:梅田 望夫 氏] の話は「頭の良い人」にまつわる話であり、私は本書で「普通の人」「バカ」にまつわる話をする。

同書 p.243.

> 一般の人は「ネットはただ単にとんでもなく便利なツールであり、暇つぶしの場である」とだけ考えることでネットと幸せなつきあい方ができるようになる。


ここで、言葉を統一しておく。以下では、

 「一般の人」「普通の人」「バカ」を、一般人、
 「頭の良い人」を、上位者、

と表現する。

著者は、上位者とは異なった側面において、一般人にとっても、ネットを良いものだと評価しているのである。

ならば、ネット上の一般人がネットに損害をもたらさなければ、「ネットの敗北」にはならない。

私は、概して、一般人のネットにおける存在は、ネットに利益をもたらすと考えている。

しかし、ネットに損害をもたらすこともある。これを除外することがネットの“勝利条件”である。同書から私が抽出した勝利条件は、

 (1) (上位者の)発言に対する非論理的な非難の削減、あるいは無為化

 (2) 意見の多様化 (大数の一般人は、少数の一般人よりも質が高いと考えるが、大「数」が意味をもつためには意見が多様でなければならない)

である。
(1)関連:

同書 p.90.

> ・ネットはプロの物書きや企業にとって、もっとも発言に自由度がない場所である
 ・ネットが自由な発言の場だと考えられる人は、失うものがない人だけである


知的生産行為を高く評価する
正しく議論する

(2)関連:

同書 p.229.

> これのどこが「行動様式の多様化」だろうか。ヤフーを筆頭とするメガサイトの圧倒的集客力と、グーグルによる検索結果に従うことにより、ネットは人々をより均一化したのである。もはや知識の差別化はネットではできない。


「意見サーチ」の公開を開始しました
知の生産者にとって「出口」である検索
少数意見を見つけ、伸ばせることをネットの魅力に
多様な価値観を求める

 

感情移入。「空気」と「バカと暇人のウェブ」をつなぐ

記事ページ 発行: 2010年12月05日

中川 淳一郎 : ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書, 2009) p.37.

> 当件のミソは、「全国の亀田関係者」「吉野屋の店員」はまったく怒っておらず、関係のない人が怒っている点である。


同書 pp.38-39.

> 森[:森 達也 氏] ... 「もし被害者やその遺族がそれ[:オウム真理教(現、アーレフ)の信者たちの姿をとらえたドキュメンタリー作品『A』『A2』]を見たら、どう思うかを考えろ、お前はその責任取れるのか」式の批判です。一度だけ、上映会場でその疑問をぶつけてきた人がいたので、「あなたは被害者ではないのだから、あなたはどう思ったのかを僕はまず聞きたい」と質問し返したら、答えてくれないんです。……何というか、そんなことは考えたくないといった感じで、とにかく被害者が……の一点張りなんです。


山本 七平 : 「空気」の研究 (文春文庫, 1983) p.154.

> ではここで、われわれはもう一度、何かを決定し、行動に移すときの原則を振りかえってみよう。それは「『空気』の研究」でのべたとおり、その決定を下すのは「空気」であり、空気が醸成される原理原則は、対象の臨在感的把握である。そして臨在感的把握の原則は、対象への一方的な感情移入による自己と対象との一体化であり、対象への分析を拒否する心的態度である。従ってこの把握は、対象の分析では脱却できない。


感情移入が思考に大きな影響を与えることに関して

A・プラトカニス & E・アロンソン=著, 社会行動研究会=訳 : プロパガンダ――広告・政治宣伝のからくりを見抜く (誠信書房, 1998) p.144.

>「ケーブルテレビを導入した場合、あなたの娯楽の幅がどのくらい広がるのか、少しの間、想像してみる」ことを求めた。さらに、自分だったらケーブルテレビの利点をどのように使い、どのように楽しむかを想像させた。その結果、ケーブルテレビのサービスに関する情報を受け取るだけの場合には、一九・五%の人しか契約書にサインしなかったのに対し、ケーブルテレビの利用に関していろいろと想像するように求められた場合には四七・四%もの人がサインをしたのである。 [(自己説得)]


直観が誤りをおかしやすい点 #1.3 判断の修正に失敗する

修正のヒューリスティクス・アンカリングのヒューリスティクス

 

「社会によるメディアの総活用」の思想的意義

記事ページ 発行: 2011年08月20日

メディア全体を活用して、より適切な解を導こう」に書いた、

 "社会によるメディアの総活用、ひいては個人知の総活用。そして、これを実現するための個人行動"

は、

「ウェブ進化論」を 正、
「バカと暇人のもの」を 反として、
合にあたる。

また、「アテネの学堂」の内外要素の関係図 (知的ネット空間「アテネの学堂」 5つのリスト)の「結合点」をどのようにして実現するのか、すなわち、知的ネット社会「アテネの学堂」とリアル社会をどのようにしてまとめるのか、という問題に対する解にあたる。

 

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