岡本綺堂 『半七捕物帳』 「お師匠さま」…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 岡本綺堂 『半七捕物帳』

現代語化

「師匠」
「師匠」
「もうここまで来れば、後は詳しく言うまでもないでしょう」
「ところで、なぜこんな事件が起きたかというと、この宗旨の本山で面倒な事件があって、今の言葉で言えば、本山擁護派と本山反対派の2派に分かれて争いを始めてたんです。それがだんだん激しくなって、本山からも何人かの坊主が江戸に出て、江戸の末寺を説き伏せようとする。末寺の方はそれぞれ党を組んで騒ぎ立てる。その中でも時光寺の住職は有力な反対派の一人で、寺社奉行に訴えて裁決を仰ごうとしてたので、本山派は持て余して、なんとかしてこの住職を消そうと考えたんですが、出家同士のことですから、殺すわけにもいかないので、この住職を本山に連れて行って、当分閉じ込めておくことにしたんです。そこで、住職がいつの夜に根岸の檀家へ出かけるというのを知って、帰る途中で待ち伏せて、腕ずくで捕まえて下谷坂本の安蔵寺という本山派の寺に連れ込んでしまったんです。そうして、口を利けないように、毒薬を飲ませたそうです」
「そうなると、例の狐はその身代わりなんですね」
「そうです、そうです」
「一ヵ寺の住職が突然いなくなったのでは、詮議が難しいだろうという不安から、住職の袈裟や法衣を脱がせて、それを狐に着せて……。いや、今考えると子供だましですが、それでもよっぽど知恵を絞ったんでしょう」
「ところで、大切な仏像はどうしたんですか。やっぱりその住職が持ってたんですか?」
「どんな騒動でもお金がかかります。時光寺はもともと小さい寺で、住職が本山反対運動に加わったせいで、お金に困ってた。まして寺社奉行に訴えれば、さらに費用がかかる。それらの費用を調達するために、住職は大切な秘仏を質屋に持ち出して、幾らか借りようとして、祭りの夜に仏像を厨子に入れて持ち込みましたが、大勢の人がいたので言う機会がなくって一旦帰ったんです。しかしお金が必要で仕方がないので、途中から小坊主に帰らせて、自分だけ質屋にまた向かう途中、運悪く本山派の罠にかかって、持っていた厨子は取り上げられましたが、その時に住職は仏像だけを抜き出して自分の懐に入れたのを、相手は気づかなかったようです」
「その結末はどうなったんですか?」
「事件は大事です」
「当然、寺社方の裁判になりました。本山から江戸に出ていた坊主は11人いましたが、他の寺にいた7人はこの事件に関わっていないということで免罪。安蔵寺に泊まっていた4人、その中の3人は住職の駕籠について行って、1人は江戸に残りましたが、全員捕まって牢に入れられ、そのうち2人は牢で死に、2人は遠島になりました。時光寺の納所の善了も本山派と通じていた疑いで、寺を追放されたそうです。この事件を拡大すると大変ですが、本山には一切手をつけずに、江戸だけで処理したので、先に言った4人以外には罪人はいませんでした。時光寺の住職はその後に治療をして、少しは声が出るようになったので、元の寺に戻りましたが、上野の彰義隊の戦いのときに彰義隊の敗残兵をかくまったとして、寺にいられなくなって、京都に行ったそうです。英俊は賢い小僧で、その時に師匠と一緒に行って、今は京都の大きな寺の住職になっていると聞きました。この事件では小坊主が大活躍で、その口から本山派と反対派の陰謀を聴いたので、私もそこからようやく事件の真相を突き止めることができました。今でもたまにあるようですが、昔も寺の陰謀は頻繁にあって、寺社奉行を困らせたそうです」
「あれは関係ないんですが。住職が犬を嫌うようになったので、たぶん狐が化けてたんだろうとか言われるようになったんですが、調べてみるとこうでした。住職は元々動物を可愛がってたんですけど、本山反対運動を始めてから、今の言葉で言うと神経が興奮してたんでしょう。なんだかイライラして、今まで可愛がってた犬にも無関心になり、犬が近づいても追い払うようになったんです。そこへ例の事件が起こったもんだから、それがまた妙なうわさに広まったんです。この事件に限らず、私たちもこういうことでよく勘違いや見込み違いをします。普通なら何でもないことが、大騒ぎになりますから、よっぽど注意しないといけません。探索の standpoint からは、髪の毛1本も見逃せませんが、大きな枠組みを見て、その上で細かい部分に踏み込まないと、前に言ったような、ひどい勘違いで間違った方向に進んでしまうことがありますよ」

原文 (会話文抽出)

「お師匠さま」
「お師匠さま」
「もうここまで来れば、あとは詳しく云うまでもありますまい」
「ところで、なぜこんな事件が起ったかというと、この宗旨の本山の方に何か面倒な事件があって、こんにちの詞でいえば、本山擁護派と本山反対派の二派にわかれて暗闘を始めていたというわけなんです。それがだんだんに激しくなって、本山の方からも幾人かの坊主が出府して、江戸の末寺を説き伏せようとする。末寺の方では思い思いに党を組んで騒ぎ立てる。その中でも時光寺の住職は有力な反対派の一人、まかり間違えば寺社奉行へまで持ち出して裁決を仰ごうという意気込みなので、本山派の方で持て余して、なんとかしてこの住職をなき者にしよう……。といって、出家同士のことですから、まさか殺すわけにも行かないので、この住職を本山へ連れて行って、当分押し込めて置こうということになったのです。そこで、住職がいつの晩には根岸の檀家へ出かけて行くというのを知って、帰る途中を待ち受けて、腕ずくで取っつかまえて下谷坂本の安蔵寺という本山派の寺へ連れ込んでしまったのです。そうして、口を利くことの出来ないように、毒薬を飲ませたのだそうです」
「そうなると、例の狐はその身代りなんですね」
「そうです、そうです」
「一ヵ寺の住職がただ消えてなくなったというのでは、詮議がむずかしかろうという懸念から、住職の袈裟や法衣をはぎ取って、それを狐に着せて……。いや、今からかんがえると子供だましのようですが、それでもよっぽど知恵を絞ったのでしょう」
「ところで、大切の仏像というのはどうしたんです。やはりその住職が持っていたんですか」
「いつの代でも、なにかの問題で騒ぎ立てれば相当の運動費がいります。時光寺は本来小さい寺である上に、住職が本山反対運動に奔走しているので、その内証は余程苦しい。まして寺社奉行へでも持ち出すとすれば、また相当の費用もかかる。それらの運動費を調達するために、住職は大切の秘仏をそっと持ち出して、それを質に伊賀屋から幾らか借り出そうとして、仏事の晩にそれを厨子に納めて持ち込んだのですが、ほかに大勢の人がいたので云い出す機がなくって一旦は帰ったのです。しかしどうしても金の入用に迫っているので、途中から小坊主を帰して、自分ひとりで伊賀屋へまた引っ返す途中、運悪く本山派の罠にかかって、持っていた厨子は無論に取りあげられてしまったのですが、その時に住職が手早く仏像だけをぬき出して自分の袂へ隠したのを、相手の者は気がつかなかったと見えます」
「その落着はどうなりました」
「事件もこうなると大問題です」
「無論に寺社方の裁判になりました。本山から出府している坊主は十一人ありましたが、ほかの寺に宿を取っていた七人はこの事件に関係がないというので免されました。安蔵寺に泊まっていた四人、その三人は住職の駕籠について行き、一人は江戸に残っていましたが、いずれも召し捕って入牢申し付けられ、その中で二人は牢死、二人は遠島になりました。時光寺の納所の善了も本山派に内通していたという疑いをうけて、寺を逐い出されたそうです。この事件も手をひろげたら随分大きくなるでしょうが、本山の方へは一切手を着けずに、江戸だけで片付けてしまいましたから、前にいった四人のほかには罪人も出ませんでした。時光寺の住職はその後に療治をして、すこしは声が出るようになったので、やはり元の寺に勤めていましたが、上野の戦争のときに彰義隊の落武者をかくまったというので、寺にも居にくくなって、京都の方へ行ったそうです。英俊は利口な小僧で、その時に師匠と一緒に行って、今では京都の大きい寺の住職になっていると聞きました。なにしろこの探索では小坊主が大立物で、その口から本山派と反対派の捫著を聴いたので、わたくしもそれから初めて探索の筋道をたてたようなわけですからね。今でも時々あるようですが、むかしも寺々の捫著はたびたびで、寺社奉行を手古摺らせたものですよ」
「それはなんにも係り合いのないことなんです。住職が犬を嫌うようになったというので、おそらく狐が化けていたのだろうなどという疑いも起って来たんですが、だんだん調べてみると斯ういうわけでした。住職は出家のことで、ふだんから畜類を可愛がっていたんですが、本山反対の運動を起してから、こんにちの詞でいえば神経が興奮したとでもいうのでしょう。なんだか苛々したような気分になって、今まで可愛がっていた犬などにも眼をくれず、犬の方から尻尾をふって近寄っても、怖い顔をして追っ払うという風になった。そこへ例の一件が出来したもんですから、それが又何だか仔細ありげに云い触らされるようになったのです。一体この事件にかぎらず、わたくし共の方ではよくこんな事でいろいろ思い違いや見込み違いをすることがあります。無事の時ならばなんでもないことが、大仰に仔細ありげに考えられますから、よっぽど注意しないといけません。探索という上から見れば、髪の毛一本でも決して見逃がしてはなりませんが、所詮は大体のうえに眼をつけて、それから細かいところへ踏み込んで行かないと、前にも云ったような、飛んだ見込み違いで横道へそれてしまうことがありますよ」


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