GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。
青空文庫図書カード: 岡本綺堂 『半七捕物帳』
現代語化
「たとえ吉良にしても、元禄時代のそういうものが残っているのは珍しいですね」
「まったく珍らしいという噂でした。私は縁がなくて、その河辺さんの小袖は見ませんでしたが、別のところで吉良の脇指というのを見たことがあります」
「いろいろなものがありますね」
「それがまたおもしろい。吉良の脇指が仇討ちに使われたんですからね。物事は逆になるもので、仇討ちされた吉良の脇指が、今度は仇討ちに役立つ。なんだか不思議な因縁ですね。でもこの仇討ちは、前に話した『青山の仇討ち』のような怪しいものではありません」
「はは、あなたの閻魔帳が出る頃だと思っていましたよ」
原文 (会話文抽出)
「どなたも御承知の通り、義士の持ち物は泉岳寺の宝物になって残っています。そのほかにも大石をはじめ、他の人々の手紙や短冊のたぐい、世間にいろいろ伝わっているようですが、どれもみんな仇討をした方の物ばかりで、討たれた方の形見は見当たらないようです。上杉家には何か残っているかも知れませんが、世間に伝わっているという噂を聞きません。ところが、江戸に唯一軒、こういう家がありました。今も相変らず繁昌かどうか知りませんが、日本橋の伊勢町に河辺昌伯という医者がありまして、先祖以来ここに六代とか七代とか住んでいるという高名の家でしたが、その何代目ですか、元禄時代の河辺という人は外科が大そう上手であったそうで、かの赤穂の一党が討ち入りの時に吉良上野の屋敷から早駕籠で迎えが来まして、手負いの療治をしました。勿論、主人の上野は首を取られたのですから、療治も手当てもなかったでしょうが、吉良の息子や家来たちの疵を縫ったのでしょう。そのときにどういうわけか、吉良上野が着用の小袖というのを貰って帰って、代々持ち伝えていました。小袖は二枚で、一枚は白綾、一枚は八端、それに血のあとが残っていると云いますから、恐らく吉良が最期のときに身につけていたものでしょう。何分にも吉良の形見では人気が付かないのですが、河辺の家では吉良の形見というよりも先祖の形見という意味で大切に保存していたそうで、これは擬い無しの本物だと云うことでした」
「たとい吉良にしても、元禄時代のそういう物が残っているのは珍らしいことですね」
「まったく珍らしいという噂でした。わたくしは縁が無くて、その河辺さんの小袖は見ませんでしたが、別のところで吉良の脇指というのを見たことがありました」
「いろいろの物が残っているものですね」
「それが又おもしろい。吉良の脇指がかたき討ちに使われたんですからね。物事はさかさまになるもので、かたきを討たれた吉良の脇指が、今度はかたき討ちのお役に立つ。どうも不思議の因縁ですね。しかしこのかたき討ちは、いつぞやお話し申した『青山の仇討』一件のような、怪しげなものじゃあありません」
「はは、あなたの閻魔帳がもう出る頃だと思っていましたよ」