岡本綺堂 『半七捕物帳』 「いや、心配する事はあるめえ」…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 岡本綺堂 『半七捕物帳』

現代語化

「いや、心配することはないだろう」
「お城の事件はジロウベエじゃないらしい」
「でも、笠に書いてあったっていう噂で……」
「笠はジロウベエのものだろうが、本人は違うようだ。第一、年齢が違う。誰かがジロウベエの笠を持っていたらしい。そうとなれば別に心配することはない、せいぜい叱られるくらいで済むわけだ」
「そうですね」
「でも親分、そのジロウベエの居場所がわからないので心配してるんです」
「むむ、そうだ」
「ここにジロウベエが出てきて、その笠は誰に貸したとか、どこで取られたとか、はっきり言ってくれれば論はないのだが、居場所がわからないで困ったな。何か心当たりはないのか?」
「番太の夫婦も心当たりがないと言ってます。なにしろ8年も会わずにいた者が突然出てきて、また突然消えてしまったのですから、まったく天狗にでも攫われたみたいで、何が何だかわからないそうです。なるほどそうかもしれません」
「19といえば、もう立派な若者だ。いくら江戸に慣れてないからって、まさか迷子になるわけじゃない。たとえ迷子になったとしても、今まで帰ってこないってのは不自然だ。何か姉夫婦と喧嘩でもして、飛び出したんじゃないか」
「いや、それですよ。ヨウサクは隠していますが、女房がちょっと話したところでは、ジロウベエは義理の兄と少し折り合いが悪かったようです。本人は江戸に出て、武家奉公でもするつもりであったらしいのを、ヨウサクが許さない。お前たちが武家に奉公すると言えばまず中間だが、あんな折助の仲間に入れてどうする。奉公するなら、堅気の商人の店に入って辛抱しろと言う。それがまた、ジロウベエの気に入らないので、そこに何かの因縁があったようですから、若い者の向こう見ずにどこかに立ち去ってしまったのかも知れません。でも江戸には知り合いもいないし、本人も初めて出てきたのですから、他に頼って行く先もないはずです。そのうちにお城の事件が知れたので、ヨウサク夫婦は青くなって、どうぞ自分たちに難儀がかからないようにと、神信心や仏参りをしたりして、気の毒なくらいに心配しています。あの夫婦はこの町内に8年も勤め通して、何一つ不始末を働いたこともないのに、とんでもない弟が突然現れて、間違えればどんな巻き添えを受けるかわからないので、私達も一緒に心配しているのですが……」
「それは本当に気の毒だ」
「でも、今言った通り、ジロウベエは笠だけの事らしいから、あまり心配しないほうがいいと、番太の夫婦にも言い聞かせておいたほうがいいだろう」
「そうすると、ジロウベエには関わりがなくって、ただその笠を誰かに取られただけのことなんでしょうか。それが本当なら、ヨウサクも女房もどんなに喜ぶかもしれません。で、親分。実はまだこんなこともあるのですが……」
「日が忘れましたが、なんでも先月の末だったと思います。私がこの店の前に立っていると、年齢は34、5の小粋な年増がやってきて、隣の店を指さして、あれが番太のヨウサクさんの家かと聞きますから、私はそうだと教えてやると、女は外から 様子をうかがっていて、やがて店に入っていきました。あんな女が番太を訪ねて来るのも珍しいと思って、私もそっと覗いていると、女房が何か応答しているようでしたが、それがだんだんに喧嘩腰になって、何を言っているのかよくわかりませんでしたが、まあ、叩き出すような調子で、その女を追い帰してしまいました。後で女房に聞くと、あれは門違いで尋ねて来たので、そのわけを言って帰したと言っていましたが、どうもそうじゃないようで……。今まであんな女を見たことはありませんから、もしやジロウベエの関係者だろうかとも思うのですが……。はっきり聞こえませんでしたが、その女も女房もジロウベエという名前を言っていた気がします」
「その女は、江戸の人か、よそ者か」
「江戸です。いや、それに関係してまだ話があります。その晩、もうすっかり日が暮れてしまってから、17、8の娘がまた隣を訪ねてきました。私はそのとき奥で夕食を食べていましたが、手伝いのサンキチの話では、これも女房に叱られて追い出されたそうです。容姿は悪くないが、丸出しの田舎娘で、泣きそうな顔をして出て行ったそうで……。これも隣の女房は私達に隠しているので、詳しいことはわかりません」
「じゃあ、番太の女房を呼んでくれ」

原文 (会話文抽出)

「いや、心配する事はあるめえ」
「お城の一件は次郎兵衛じゃあねえらしい」
「でも、笠に書いてあったという噂で……」
「笠は次郎兵衛の物だろうが、その本人じゃあねえようだ。第一に年頃が違っている。誰かが次郎兵衛の笠を持っていたらしい。そうと決まれば別に心配することはねえ、せいぜい叱られるぐらいの事で済むわけだ」
「そうでしょうね」
「しかし親分、その次郎兵衛のゆくえが知れないので心配しているのです」
「むむ、そうだ」
「ここへ次郎兵衛が出て来て、その笠は誰に貸したとか、どこで取られたとか、はっきり云ってくれれば論はねえのだが、ゆくえが知れねえには困ったな。なんにも心あたりはねえのかえ」
「番太の夫婦も心あたりがないと云っています。なにしろ八年も逢わずにいた者が不意に出て来て、また不意に消えてしまったのですから、まったく天狗にでも攫われたようなもんで、なにが何だか判らないそうです。成程そうかも知れません」
「十九といえば、もう立派な若けえ者だ。いくら江戸馴れねえからと云って、まさかに迷子になりもしめえ。たとい迷子になっても、今まで帰らねえという理窟はねえ。なにか姉夫婦と喧嘩でもして、飛び出したのじゃあねえか」
「いや、それですよ。要作は隠していますが、女房がちょいと話したところでは、次郎兵衛は義理の兄とすこし折りが合わない事があったようです。本人は江戸へ出て、武家奉公でもするつもりであったらしいのを、要作が承知しない。おまえ達が武家に奉公すると云えば先ず中間だが、あんな折助の仲間にはいってどうする。奉公をするならば、堅気の商人の店へはいって辛抱しろと云う。それが又、次郎兵衛の気に入らないので、そこに何かの捫著があったようですから、若い者の向う見ずに何処へか立ち去ってしまったのかも知れません。しかし江戸にはこれぞという知りびとも無し、本人も初めて出て来たのですから、ほかに頼って行くさきも無い筈だと云います。そのうちにお城の一件が知れたので、要作夫婦は蒼くなって、どうぞ自分たちに難儀のかからないようにと、神信心や仏参りをして、可哀そうなくらいに心配しています。あの夫婦はこの町内に八年も勤め通して、何ひとつ不始末を働いたこともないのに、飛んだ弟がだしぬけに出て来て、まかり間違えばどんな巻き添えを受けないとも限らないので、わたし達も共々心配しているのですが……」
「そりゃあ本当に可哀そうだ」
「だが、今も云う通り、次郎兵衛は笠だけの事らしいから、あんまり心配しねえがいいと、番太の夫婦にも云い聞かせて置くがよかろう」
「そうすると、次郎兵衛には係り合いが無くって、唯その笠を誰かに持って行かれたと云うだけの事なのでしょうか。それが本当なら、要作も女房もどんなに喜ぶかも知れません。そこで親分。実はまだこんな事もあるのですが……」
「日は忘れましたが、なんでも先月末だと思います。わたしがこの店の先きに出ていると、年頃は三十四五の小粋な年増が来かかって、隣りの店を指さして、あれが番太の要作さんの家かと訊きますから、わたしはそうだと教えてやると、女は外から様子を窺っていて、やがて店へはいって行きました、あんな女が番太をたずねて来るのも珍らしいと思って、わたしもそっとの覗いていると、女房が何か応答しているようでしたが、それがだんだんに喧嘩腰のようになって、なにを云っているのか好く判りませんでしたが、まあ、叩き出すようなふうで、その女を追い帰してしまいました。あとで女房に訊きますと、あれは門違いで尋ねて来たのだから、そのわけを云って帰したと云っていましたが、どうもそうじゃあ無いようで……。今まであんな女を見たことはありませんから、もしや次郎兵衛の係り合いじゃあ無いかとも思うのですが……。はっきり聞こえませんでしたが、その女も女房も次郎兵衛という名を云っていたように思います」
「その女は、江戸者かえ、他国者かえ」
「江戸ですね。いや、それに就いてまだお話があります。その晩、もうすっかり暮れ切ってしまってから、十七八の娘がまた隣りへ尋ねて来ました。私はそのとき奥で夕飯を食っていましたが、手伝いの三吉の話では、これも女房に叱られて追い出されたそうです。容貌は悪くないが、丸出しの田舎娘で、泣きそうな顔をして出て行ったそうで……。これも隣りの女房はわたし達に隠しているので、詳しいことは判りません」
「じゃあ、番太の女房を呼んでくれ」


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