岡本綺堂 『半七捕物帳』 「又ですかい」…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 岡本綺堂 『半七捕物帳』

現代語化

「またですか?」
「あれはいつでしたっけ?」
「そうです、そうです。あの太郎稲荷が流行り出した年だから慶応3年の8月、まだ残暑の厳しい頃でした。ご存知でしょう、浅草田圃の太郎様を……。あの稲荷様は立花様の下屋敷にあって、一時ひどく廃れてたんですけど、どういうわけかその年に急に流行って、近所に茶店や屋台がたくさんできて、参拝者が毎日ぞろぞろ押し寄せるという騒ぎでしたが、1年くらいでまたぱったりと寂しくなりました。神様にも流行り廃りがあるから不思議ですね。まあ、そんなことはどうでもいいんですけど、これからお話するのは慶応3年の8月初めのことで、下谷の広徳寺前の筆屋の娘が急死したんです。ご存知の通り、下谷から浅草につながる広徳寺前の大通りは、昔からお寺の多いところで、それに合わせて法衣屋や数珠屋みたいなのもたくさんありましたが、その中に2、3軒筆屋がありました。その筆屋の中でも東山堂って店が一番繁盛してました。繁盛するには理由があって、はははははは」
「どんな理由があるんですか?」
「そこには姉妹の娘がいてですね。姉はその頃18で名前はおまん、妹の方は16でお年って言ってたんですけど、姉妹そろって色白で美人で……。まあ、そんな看板娘が2人座ってれば、店は勝手に繁盛するでしょ。でもそれ以外にも秘訣があって……。お客さんがその店に行って筆を買うと、娘たちが必ずその穂を舐めて、舌の先で毛を整えて、鞘に入れて渡してくれるんです。白い毛の筆を買えば、口紅のあとまでがほんのり残ってるってわけですよ。だから若い人たちはみんな喜んで買うんです。それが評判になって、近所のお寺の坊さんや本郷から下谷浅草界隈の屋敷者が、わざわざこの東山堂までやって来て、きれいな娘の舐めた筆を買っていくというわけ。誰が言い出したのか『舐め筆』って名前がついて、広徳寺前の名物になってたんです。その姉娘が急に死んだもんだから、近所では大騒ぎですよ」

原文 (会話文抽出)

「又ですかい」
「あれはいつでしたっけね」
「そうです、そうです。あの太郎稲荷がはやり出した年ですから慶応三年の八月、まだ残暑の強い時分でした。御存知でしょう、浅草田圃の太郎様を……。あのお稲荷様は立花様の下屋敷にあって、一時ひどく廃れていたんですが、どういう訳かこの年になって俄かに繁昌して、近所へ茶店や食い物屋がたくさんに店を出して、参詣人が毎日ぞろぞろ押し掛けるという騒ぎでしたが、一年ぐらいで又ぱったりと寂しくなりました。神様にも流行り廃りがあるから不思議ですね。いや、そんなことはまあどうでもいいとして、これからお話しするのは慶応三年の八月はじめのことで、下谷の広徳寺前の筆屋の娘が頓死したんです。御承知の通り、下谷から浅草へつづいている広徳寺前の大通りは、昔からお寺の多いところでして、それに連れて法衣屋や数珠屋のたぐいもたくさんありましたが、そのなかに二、三軒の筆屋がありました。その筆屋のなかでも東山堂という店が一番繁昌していました。繁昌するには訳があるので、はははははは」
「どういう訳があるんです」
「そこには姉妹の娘がありましてね。姉はその頃十八で名はおまん、妹の方は十六でお年と云っていましたが、姉妹ともに色白の容貌好しで……。まあ、そういう看板がふたり坐っていれば、店は自然と繁昌するわけですが、まだ其のほかに秘伝があるので……。誰でもその店へ行って筆を買いますと、娘達がきっとその穂を舐めて、舌の先で毛を揃えて、鞘に入れて渡してくれるんです。白い毛の筆を買えば、口紅の痕までがほんのりと残っていようという訳ですから、若い人達はみんな嬉しがります。それが評判になって、近所のお寺の坊さんや本郷から下谷浅草界隈の屋敷者などが、わざわざこの東山堂までやって来て、美しい娘の舐めてくれた筆を買って行くという訳で、誰が云い出したとも無しに『舐め筆』という名を付けられてしまって、広徳寺前の一つの名物のようになっていたんです。その姉娘が急に死んだのですから、近所では大評判でしたよ」


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