夏目漱石 『三四郎』 「困るなあ」…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 夏目漱石 『三四郎』

現代語化

「困ったな」
「これ、どう思う?」
「どう思うって」
「投書をそのまま載せたみたいだよ。新聞社が調べて書いたんじゃない。文芸時評の六号活字の投書にこんなのが山ほど来る。六号活字はほとんど悪意の塊だよ。よくよく調べてみると嘘ばっかり。見え見えの嘘もある。なんでこんなくだらないことするかっていうと、みんな利害関係があるらしいんだ。だから俺が六号活字を担当してた時は、性質の悪いのはだいたいゴミ箱に捨ててた。この記事も全くそれだよ。反対運動の結果さ」
「なんで、君の名前じゃなくて、俺の名前になってるんだろうね?」
「そうだな」
「やっぱり、なんだろう。君は本科生で俺は選科生だからだろう?」
「そもそも俺が零余子なんてしょぼいペンネームじゃなくて、堂々と佐々木与次郎って署名しとけばよかった。実際あの論文、佐々木与次郎のほかに書ける奴なんて一人もいないんだからな」
「偉大な闇」
「先生に話した?」
「それがそうなんだ。偉大な闇の作者なんて、俺でも君でもどっちでもいいけど、先生の性格に関係することだから、話さずにはいられない。先生はそういう人だから、知りません、何か勘違いでしょう、偉大な闇って論文は雑誌に出ましたけど、匿名ですから、先生の崇拝者が書いたものですからご安心くださいくらいに言っておけば、そうかですんでしまうけど、今回はそうはいかない。どうしたって俺が責任を明らかにしなきゃ。うまくいって知らんぷりしてるのは気持ちいいけど、失敗して黙ってるのは不愉快でたまらない。自分が事を起こしておいて、ああいう善良な人を迷惑な立場に陥らせて、それで平気で見てられるわけじゃない。正邪曲直なんて難しいことは別として、ただ気の毒で、いとおしくて仕方がない」
「先生は新聞読んだのかな?」
「家に届く新聞には載ってない。だから俺も知らなかった。でも先生は学校に行けばいろんな新聞を見るからね。先生が見なくったって誰かが話すだろう」
「すると、もう知ってるな」
「もちろん知ってるだろう」
「君には何も言わない?」
「言わない。そもそもまともに話す暇もないんだから、言わないはずだけど。この間から演芸会のことで走り回ってるからさ――ああ演芸会も、もううんざりだ。やめちまおうかしら。おしろい塗って、芝居なんかやったって、何が面白いっていうんだ」
「先生に話したら、君、怒られるだろう」
「怒られるだろう。怒られるのは仕方ないけど、いかにも気の毒でね。余計な事をして迷惑かけてるんだから。――先生は趣味のない人でね。酒は飲まなくて、煙草は」
「煙草だけは結構吸うけど、それ以外は何もないんだよね。釣りをするわけでも、碁を打つわけでもない、家庭の楽しみがあるわけでもない。それが一番ダメなんだ。子供でもいればまだいいんだけど。本当に枯れてるよ」
「たまに、慰めてあげようと思って、少し奔走すると、こうなるし。君も先生のところに行きなよ」
「行くどころじゃない。俺にも多少責任があるんだから、謝ってくる」
「君は謝まる必要はない」
「じゃあ弁解しに行く」

原文 (会話文抽出)

「困るなあ」
「君、これをどう思う」
「どう思うとは」
「投書をそのまま出したに違いない。けっして社のほうで調べたものじゃない。文芸時評の六号活字の投書にこんなのが、いくらでも来る。六号活字はほとんど罪悪のかたまりだ。よくよく探ってみると嘘が多い。目に見えた嘘をついているのもある。なぜそんな愚な事をやるかというとね、君。みんな利害問題が動機になっているらしい。それでぼくが六号活字を受持っている時には、性質のよくないのは、たいてい屑籠へ放り込んだ。この記事もまったくそれだね。反対運動の結果だ」
「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」
「そうさ」
「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」
「ぜんたいぼくが零余子なんてけちな号を使わずに、堂々と佐々木与次郎と署名しておけばよかった。じっさいあの論文は佐々木与次郎以外に書ける者は一人もないんだからなあ」
「偉大なる暗闇」
「君、先生に話したか」
「さあ、そこだ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だって、ぼくだって、どちらだってかまわないが、こと先生の人格に関係してくる以上は、話さずにはいられない。ああいう先生だから、いっこう知りません、何か間違いでしょう、偉大なる暗闇という論文は雑誌に出ましたが、匿名です、先生の崇拝者が書いたものですから御安心なさいくらいに言っておけば、そうかで、すぐ済んでしまうわけだが、このさいそうはいかん。どうしたってぼくが責任を明らかにしなくっちゃ。事がうまくいって、知らん顔をしているのは、心持ちがいいが、やりそくなって黙っているのは不愉快でたまらない。第一自分が事を起こしておいて、ああいう善良な人を迷惑な状態に陥らして、それで平気に見物がしておられるものじゃない。正邪曲直なんてむずかしい問題は別として、ただ気の毒で、いたわしくっていけない」
「先生は新聞を読んだんだろうか」
「家へ来る新聞にゃない。だからぼくも知らなかった。しかし先生は学校へ行っていろいろな新聞を見るからね。よし先生が見なくってもだれか話すだろう」
「すると、もう知ってるな」
「むろん知ってるだろう」
「君にはなんとも言わないか」
「言わない。もっともろくに話をする暇もないんだから、言わないはずだが。このあいだから演芸会の事でしじゅう奔走しているものだから――ああ演芸会も、もういやになった。やめてしまおうかしらん。おしろいをつけて、芝居なんかやったって、何がおもしろいものか」
「先生に話したら、君、しかられるだろう」
「しかられるだろう。しかられるのはしかたがないが、いかにも気の毒でね。よけいな事をして迷惑をかけてるんだから。――先生は道楽のない人でね。酒は飲まず、煙草は」
「煙草だけはかなりのむが、そのほかになんにもないぜ。釣りをするじゃなし、碁を打つじゃなし、家庭の楽しみがあるじゃなし。あれがいちばんいけない。子供でもあるといいんだけれども。じつに枯淡だからなあ」
「たまに、慰めようと思って、少し奔走すると、こんなことになるし。君も先生の所へ行ってやれ」
「行ってやるどころじゃない。ぼくにも多少責任があるから、あやまってくる」
「君はあやまる必要はない」
「じゃ弁解してくる」


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