夏目漱石 『三四郎』 「君、水晶の糸があるのか」…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 夏目漱石 『三四郎』

現代語化

「ねえ野々宮さん、水晶の糸ある?」
「野々宮さん、水晶の糸持ってますか?」
「あー、水晶の粉ね。火であぶって引っ張ると糸になるんだってさ」
「へー」
「この手のことは俺ら全くダメだけど、最初誰が気づいたんだろうな」
「昔の人が予想してたんだけど、証明したのはレベデフって人なんだ。最近話題の彗星が太陽に引き寄せられてるはずなのに、逆方向に飛んでくのは光の力で押し飛ばされてるんじゃないかって人もいるよ」
「発想は面白いけど、デカすぎるよ」
「デカいだけじゃなくて、なんか楽しい」
「それでその発想が外れてもまた面白い」
「いや、どうやら当たってるらしいよ。光の力は半径の2乗に、引力は3乗に比例するから、小さくなるほど光の方が強くなるんだ。彗星の尾が細かい塵とかだったら、太陽とは反対側に飛んでくのも納得できる」
「罪はないけど、計算が面倒になったな。やっぱメリットもデメリットもある」
「物理学者ってのは自然派じゃないんだね」
「どういうことですか?」
「だって、光の力を調べるのに、ただ見てるだけじゃダメじゃん。自然界には光の力なんて書いてないでしょ。だから水晶の糸とか真空とか、人工的に条件を整えて、物理学者に分かるようにしてるんだ。だから自然派じゃない」
「でもロマン派でもないでしょ」
「いや、ロマン派だ」
「光とそれを受けるものを、普段見ないような状況に置くのがロマン派じゃないの?」
「でも、そういう状況を作っちゃえば、後は光の法則に従うだけだから、そこからは自然派だろ」
「じゃあ、物理学者ってロマンチックな自然派ですね。文学でいうと、イプセンみたいな感じ?」
「そーなんだ。イプセンの劇は野々宮君の言うような装置があるけど、その中で動いてる人間は、光みたいに自然の法則に従ってるかどうか怪しい」
「そうかもしれないけど、こういうことって人間を知る上で覚えておくべきだと思う。シチュエーションによって人間の行動は変わるし、逆に状況を変えることで人間を変えることもできる。でもみんな器械みたいに決まった法則に従ってると思い込んでるから、とんでもない間違いが起こる。笑わせようと思って泣かせたり、その逆もあったり。でもどっちにしても人間なんだよね」
「じゃあ、どんな状況にあっても、どんな人間も必ずその通りに行動するってことですか?」
「そう、そう。どんな人間を描いても、世界に一人くらいいそうじゃない?」
「結局、人間らしい行動しか想像できないってこと。下手くそだから人間っぽく見えないだけなんじゃないの?」
「物理学者だって、ガリレオが教会のランプが揺れる時間ってのが一定だって気づいたり、ニュートンがおばけだんごが落ちるのを発見したりしたのは、最初から自然派だよ」
「そういう自然派なら、文学でも大丈夫でしょ。原口さん、絵にも自然派ってあるの?」
「あるよ。クールベってすごいのがいて、事実じゃなきゃダメだって言うんだ。でもそんなに流行ってはいない。一派として認められてるだけだよ。みんな違ってナンボだからね。小説だって同じでしょ?モローとかシャヴァンヌみたいなのもいるはず」
「いるはずでしょ」

原文 (会話文抽出)

「君、水晶の糸があるのか」
「野々宮さん、水晶の糸がありますか」
「ええ、水晶の粉をね。酸水素吹管の炎で溶かしておいて、両方の手で、左右へ引っ張ると細い糸ができるのです」
「そうですか」
「我々はそういう方面へかけると、全然無学なんですが、はじめはどうして気がついたものでしょうな」
「理論上はマクスウェル以来予想されていたのですが、それをレベデフという人がはじめて実験で証明したのです。近ごろあの彗星の尾が、太陽の方へ引きつけられべきはずであるのに、出るたびにいつでも反対の方角になびくのは光の圧力で吹き飛ばされるんじゃなかろうかと思いついた人もあるくらいです」
「思いつきもおもしろいが、第一大きくていいですね」
「大きいばかりじゃない、罪がなくって愉快だ」
「それでその思いつきがはずれたら、なお罪がなくっていい」
「いや、どうもあたっているらしい。光線の圧力は半径の二乗に比例するが、引力のほうは半径の三乗に比例するんだから、物が小さくなればなるほど引力のほうが負けて、光線の圧力が強くなる。もし彗星の尾が非常に細かい小片からできているとすれば、どうしても太陽とは反対の方へ吹き飛ばされるわけだ」
「罪がない代りに、たいへん計算がめんどうになってきた。やっぱり一利一害だ」
「どうも物理学者は自然派じゃだめのようだね」
「それはどういう意味ですか」
「だって、光線の圧力を試験するために、目だけあけて、自然を観察していたって、だめだからさ。自然の献立のうちに、光線の圧力という事実は印刷されていないようじゃないか。だから人工的に、水晶の糸だの、真空だの、雲母だのという装置をして、その圧力が物理学者の目に見えるように仕掛けるのだろう。だから自然派じゃないよ」
「しかし浪漫派でもないだろう」
「いや浪漫派だ」
「光線と、光線を受けるものとを、普通の自然界においては見出せないような位置関係に置くところがまったく浪漫派じゃないか」
「しかし、いったんそういう位置関係に置いた以上は、光線固有の圧力を観察するだけだから、それからあとは自然派でしょう」
「すると、物理学者は浪漫的自然派ですね。文学のほうでいうと、イブセンのようなものじゃないか」
「さよう、イブセンの劇は野々宮君と同じくらいな装置があるが、その装置の下に働く人物は、光線のように自然の法則に従っているか疑わしい」
「そうかもしれないが、こういうことは人間の研究上記憶しておくべき事だと思う。――すなわち、ある状況のもとに置かれた人間は、反対の方向に働きうる能力と権力とを有している。ということなんだが、――ところが妙な習慣で、人間も光線も同じように器械的の法則に従って活動すると思うものだから、時々とんだ間違いができる。おこらせようと思って装置をすると、笑ったり、笑わせようともくろんでかかると、おこったり、まるで反対だ。しかしどちらにしても人間に違いない」
「じゃ、ある状況のもとに、ある人間が、どんな所作をしてもしぜんだということになりますね」
「ええ、ええ。どんな人間を、どう描いても世界に一人くらいはいるようじゃないですか」
「じっさい人間たる我々は、人間らしからざる行為動作を、どうしたって想像できるものじゃない。ただへたに書くから人間と思われないのじゃないですか」
「物理学者でも、ガリレオが寺院の釣りランプの一振動の時間が、振動の大小にかかわらず同じであることに気がついたり、ニュートンが林檎が引力で落ちるのを発見したりするのは、はじめから自然派ですね」
「そういう自然派なら、文学のほうでも結構でしょう。原口さん、絵のほうでも自然派がありますか」
「あるとも。恐るべきクールベエというやつがいる。v<img gaiji="gaiji" src="../../../gaiji/1-09/1-09-63.png" alt="※(アキュートアクセント付きE小文字)" class="gaiji" />rit<img gaiji="gaiji" src="../../../gaiji/1-09/1-09-63.png" alt="※(アキュートアクセント付きE小文字)" class="gaiji" /> vraie. なんでも事実でなければ承知しない。しかしそう猖獗を極めているものじゃない。ただ一派として存在を認められるだけさ。またそうでなくっちゃ困るからね。小説だって同じことだろう、ねえ君。やっぱりモローや、シャバンヌのようなのもいるはずだろうじゃないか」
「いるはずだ」


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