夏目漱石 『吾輩は猫である』 「はあ」…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 夏目漱石 『吾輩は猫である』

現代語化

「あ、そう」
「そのうちにお礼しますよ」
「あれって、何?」
「あれって、何?」
「奥さん、奥さん。月並みの標本が来たよ。月並みもあれくらいになると、なかなかいいわね。遠慮しないで、思いっきり笑って」
「第一、気に入らない顔してる」
「鼻が顔のど真ん中に鎮座してるわね」
「しかも曲がってるわ」
「ちょっと猫背ね。猫背の鼻ってちょっと変」
「夫をダメにする顔だわ」
「19世紀で売れ残って、20世紀で投げ売りされる顔ね」
「そんなに悪く言わないで。また車屋の奥さんに付け込まれますよ」
「ちょっと付け込まれた方が薬ですよ、奥さん」
「でも、顔の悪口を言うのは品がないわ。誰も好んであんな鼻してるわけじゃないんだから。それに相手が女性なんだから、あまり酷いわ」
「酷いもんか?あんなのは女性じゃないよ。愚人だよ。ね、迷亭君?」
「愚人かもしれないけど、なかなか偉いよ。だいぶ引っ掻かれたじゃないか」
「一体、教師を何だと思ってるんだ?」
「裏の車屋くらいに思ってるよ。ああいう人に尊敬されるには、博士になるしかないよ。そもそも博士になってないからダメなんだよ。ね、奥さん。そうでしょ?」
「博士なんて無理ですよ」
「今なら間に合うかもしれないよ。バカにしないで。貴方は知らないかもしれないけど、昔、アイソクラテスって人は94歳で大著述をしたんだ。ソフォクレスが傑作を出して天下を驚かせたときは、もう100歳近かったんだ。シモニジスは80歳で素晴らしい詩を作った。俺だって……」
「バカバカしいわ。あなたのような胃病でそんなに長生きできますか?」
「失敬なっ――甘木さんに行って聞いてみれば分かるよ。そもそもあなたがこんなシワシワの黒い綿の羽織とか継ぎだらけの着物ばかり着せておくから、あんな女にバカにされるんだ。明日からは迷亭みたいな服を着るから出しておいて」
「出しておけって、あんな立派な御召はないわよ。金田の奥さんが迷亭さんに親切にしているのは、伯父さんの名前を知ってからです。着物のせいじゃないわ」
「君に伯父がいるとは、今日初めて聞いたよ。今まで一度も話したことないじゃないか。本当にあるのか?」
「うん、その伯父なんだけど、その伯父がすごく頑固でね。19世紀からずっと生き延びてるんだ」
「ははははは。面白いことばっかり言うね。どこに住んでるの?」
「静岡に住んでるんだけど、ただ生きてるんじゃなくてね。頭に髷を結んで生きてるんだから恐れ入るよ。帽子を被れって言っても、俺はこんなに年を取ってるけど、まだ帽子を被るほど寒さを感じたことがないって偉そうに言ってるんだ。寒いから、もっと寝てた方がいいって言っても、人間は4時間寝れば十分だ。4時間以上寝るなんて贅沢だって朝早くから起き出してくるんだ。それでね、俺も睡眠時間を4時間に縮めるには、長年の修業が必要だったんだ。若い頃は眠たくてしかたがなかったけど、最近になってようやく自分の思うように眠れるようになったと自慢してるんだ。67歳になって寝られなくなってるんだから当然だよ。修業もなにもないのに、当人は自分の力で成功したと思ってるんだ。それで外に出かける時は、必ず鉄扇を持って出るんだけど」
「何に使うの?」
「何に使うのかはわからない。ただ持ってるみたい。まあステッキの代わりくらいに考えてるのかもしれない。ところがこないだ、変なことがあってね」
「へぇー」
「今年の春、突然手紙を送ってきて、山高帽子とフロックコートを急いで送ってくれって言ってきたんだ。ちょっと驚いたから、郵便で確認したら、自分で着ると返事が来た。23日に静岡で祝賀会があるからそれまでに間に合うように、急いで用意しろって命令書なんだけど、おかしいのは命令書の中にこうあるんだ。帽子は適当な大きさのを買って、洋服も寸法は適当で構わないから大丸で注文してくれ……」
「最近は大丸でも洋服が作れるのかい?」
「先生、白木屋と間違えたみたいだね」
「寸法を適当に測ったって無理じゃない?」
「そこが伯父たる所以だよ」
「それでどうしたの?」
「仕方がないから適当に送ったよ」
「君も乱暴だね。それで間に合ったの?」
「なんとか間に合ったみたいだよ。地元の新聞を見たら、その日に牧山翁は珍しくフロックコート姿で、いつもの鉄扇を持って……」
「鉄扇だけは離さなかったみたいだね」
「うん。死んだら棺の中へ鉄扇だけは入れてやろうと思ってるよ」
「でも帽子も洋服も、うまく着られてよかったね」
「大間違いさ。僕も無事に届いてありがたいと思ってたら、しばらくして地元から小包が届いたから、何か礼でもくれたのかと思って開けて見たら、なんとその山高帽子だよ。手紙が添えられてて、せっかく送っていただいたが、ちょっと大きいので帽子屋に持って行って、縮めてください。縮める費用は小為替でこちらから送りますって書いてあったんだ」
「なるほど、迂闊だね」

原文 (会話文抽出)

「はあ」
「いずれその内御礼は致しますから」
「ありゃ何だい」
「ありゃ何だい」
「奥さん奥さん、月並の標本が来ましたぜ。月並もあのくらいになるとなかなか振っていますなあ。さあ遠慮はいらんから、存分御笑いなさい」
「第一気に喰わん顔だ」
「鼻が顔の中央に陣取って乙に構えているなあ」
「しかも曲っていらあ」
「少し猫背だね。猫背の鼻は、ちと奇抜過ぎる」
「夫を剋する顔だ」
「十九世紀で売れ残って、二十世紀で店曝しに逢うと云う相だ」
「あんまり悪口をおっしゃると、また車屋の神さんにいつけられますよ」
「少しいつける方が薬ですよ、奥さん」
「しかし顔の讒訴などをなさるのは、あまり下等ですわ、誰だって好んであんな鼻を持ってる訳でもありませんから――それに相手が婦人ですからね、あんまり苛いわ」
「何ひどいものか、あんなのは婦人じゃない、愚人だ、ねえ迷亭君」
「愚人かも知れんが、なかなかえら者だ、大分引き掻かれたじゃないか」
「全体教師を何と心得ているんだろう」
「裏の車屋くらいに心得ているのさ。ああ云う人物に尊敬されるには博士になるに限るよ、一体博士になっておかんのが君の不了見さ、ねえ奥さん、そうでしょう」
「博士なんて到底駄目ですよ」
「これでも今になるかも知れん、軽蔑するな。貴様なぞは知るまいが昔しアイソクラチスと云う人は九十四歳で大著述をした。ソフォクリスが傑作を出して天下を驚かしたのは、ほとんど百歳の高齢だった。シモニジスは八十で妙詩を作った。おれだって……」
「馬鹿馬鹿しいわ、あなたのような胃病でそんなに永く生きられるものですか」
「失敬な、――甘木さんへ行って聞いて見ろ――元来御前がこんな皺苦茶な黒木綿の羽織や、つぎだらけの着物を着せておくから、あんな女に馬鹿にされるんだ。あしたから迷亭の着ているような奴を着るから出しておけ」
「出しておけって、あんな立派な御召はござんせんわ。金田の奥さんが迷亭さんに叮嚀になったのは、伯父さんの名前を聞いてからですよ。着物の咎じゃございません」
「君に伯父があると云う事は、今日始めて聞いた。今までついに噂をした事がないじゃないか、本当にあるのかい」
「うんその伯父さ、その伯父が馬鹿に頑物でねえ――やはりその十九世紀から連綿と今日まで生き延びているんだがね」
「オホホホホホ面白い事ばかりおっしゃって、どこに生きていらっしゃるんです」
「静岡に生きてますがね、それがただ生きてるんじゃ無いです。頭にちょん髷を頂いて生きてるんだから恐縮しまさあ。帽子を被れってえと、おれはこの年になるが、まだ帽子を被るほど寒さを感じた事はないと威張ってるんです――寒いから、もっと寝ていらっしゃいと云うと、人間は四時間寝れば充分だ。四時間以上寝るのは贅沢の沙汰だって朝暗いうちから起きてくるんです。それでね、おれも睡眠時間を四時間に縮めるには、永年修業をしたもんだ、若いうちはどうしても眠たくていかなんだが、近頃に至って始めて随処任意の庶境に入ってはなはだ嬉しいと自慢するんです。六十七になって寝られなくなるなあ当り前でさあ。修業も糸瓜も入ったものじゃないのに当人は全く克己の力で成功したと思ってるんですからね。それで外出する時には、きっと鉄扇をもって出るんですがね」
「なににするんだい」
「何にするんだか分らない、ただ持って出るんだね。まあステッキの代りくらいに考えてるかも知れんよ。ところがせんだって妙な事がありましてね」
「へえー」
「此年の春突然手紙を寄こして山高帽子とフロックコートを至急送れと云うんです。ちょっと驚ろいたから、郵便で問い返したところが老人自身が着ると云う返事が来ました。二十三日に静岡で祝捷会があるからそれまでに間に合うように、至急調達しろと云う命令なんです。ところがおかしいのは命令中にこうあるんです。帽子は好い加減な大きさのを買ってくれ、洋服も寸法を見計らって大丸へ注文してくれ……」
「近頃は大丸でも洋服を仕立てるのかい」
「なあに、先生、白木屋と間違えたんだあね」
「寸法を見計ってくれたって無理じゃないか」
「そこが伯父の伯父たるところさ」
「どうした?」
「仕方がないから見計らって送ってやった」
「君も乱暴だな。それで間に合ったのかい」
「まあ、どうにか、こうにかおっついたんだろう。国の新聞を見たら、当日牧山翁は珍らしくフロックコートにて、例の鉄扇を持ち……」
「鉄扇だけは離さなかったと見えるね」
「うん死んだら棺の中へ鉄扇だけは入れてやろうと思っているよ」
「それでも帽子も洋服も、うまい具合に着られて善かった」
「ところが大間違さ。僕も無事に行ってありがたいと思ってると、しばらくして国から小包が届いたから、何か礼でもくれた事と思って開けて見たら例の山高帽子さ、手紙が添えてあってね、せっかく御求め被下候えども少々大きく候間、帽子屋へ御遣わしの上、御縮め被下度候。縮め賃は小為替にて此方より御送可申上候とあるのさ」
「なるほど迂濶だな」


青空文庫現代語化 Home リスト