夏目漱石 『吾輩は猫である』 「まだいるのかはちと酷だな、すぐ帰るから待…

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青空文庫図書カード: 夏目漱石 『吾輩は猫である』

現代語化

「まだいるかい?ちょっときついな。すぐ帰るから待っててくれって言ったじゃないか」
「全部あれが悪いんです」
「さっき、君がいない間に、君の逸話を全部聞いちゃったよ」
「女はついおしゃべりしちゃって困るな。人間もこの猫ぐらい黙ってればいいのに」
「君は赤ん坊に大根おろし舐めさせたんだって?」
「うん」
「赤ん坊だって、今の赤ん坊はなかなか賢いんだぜ。それ以来、坊やに『辛いのはどこ?』って聞くと、きっと舌を出すんだからおもしろい」
「まるで犬に芸を教えてるみたいでひどいね。ところで、寒月はもう来る頃かな?」
「寒月が来るのかい?」
「来るよ。午後1時までに苦沙弥の家へ来いっていっちょかめを出しておいたから」
「人の都合も聞かずに勝手なことをする男だ。寒月を呼んで何をやるんだい?」
「いや、今日はこっちの趣味じゃない。寒月先生自身の希望さ。先生は理学協会で演説をするらしいんだけど、その練習をやるから聴いてくれって言うから、ちょうどいい。苦沙弥にも聞かせようと思って、それで君の家へ呼ぶことにしたんだ――まあ、君は暇人だからちょうどいいやね――用事がある男じゃないんだから、聞くといいよ」
「物理学の演説なんて僕にはわからないよ」
「でも、そのテーマが何だと思ってんだ?磁石をつけたノズルについてとかいうつまらないものじゃないんだ。首吊りの力学っていう脱俗超凡な題目なんだ。だから聞く価値があるんだよ」
「君は首を吊るのに失敗した男だから聞くがいいけど、僕なんて……」
「歌舞伎座で悪寒がするぐらいの人間だから、聞かないって結論になりそうだな」

原文 (会話文抽出)

「まだいるのかはちと酷だな、すぐ帰るから待ってい給えと言ったじゃないか」
「万事あれなんですもの」
「今君の留守中に君の逸話を残らず聞いてしまったぜ」
「女はとかく多弁でいかん、人間もこの猫くらい沈黙を守るといいがな」
「君は赤ん坊に大根卸しを甞めさしたそうだな」
「ふむ」
「赤ん坊でも近頃の赤ん坊はなかなか利口だぜ。それ以来、坊や辛いのはどこと聞くときっと舌を出すから妙だ」
「まるで犬に芸を仕込む気でいるから残酷だ。時に寒月はもう来そうなものだな」
「寒月が来るのかい」
「来るんだ。午後一時までに苦沙弥の家へ来いと端書を出しておいたから」
「人の都合も聞かんで勝手な事をする男だ。寒月を呼んで何をするんだい」
「なあに今日のはこっちの趣向じゃない寒月先生自身の要求さ。先生何でも理学協会で演説をするとか云うのでね。その稽古をやるから僕に聴いてくれと云うから、そりゃちょうどいい苦沙弥にも聞かしてやろうと云うのでね。そこで君の家へ呼ぶ事にしておいたのさ――なあに君はひま人だからちょうどいいやね――差支えなんぞある男じゃない、聞くがいいさ」
「物理学の演説なんか僕にゃ分らん」
「ところがその問題がマグネ付けられたノッズルについてなどと云う乾燥無味なものじゃないんだ。首縊りの力学と云う脱俗超凡な演題なのだから傾聴する価値があるさ」
「君は首を縊り損くなった男だから傾聴するが好いが僕なんざあ……」
「歌舞伎座で悪寒がするくらいの人間だから聞かれないと云う結論は出そうもないぜ」

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