夏目漱石 『二百十日』 「帽子はないぞう」…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 夏目漱石 『二百十日』

現代語化

「帽子はないよ」
「帽子はいらないよ。早く帰ろうよ」
「おい、どこへ飛ばしたんだい」
「どこだか、分からないうちに飛ばしちゃったんだ。帽子はいいけど、歩くのがいやになっちゃったよ」
「もういやになったのか。まだまだあるじゃないか」
「あの煙と、この雨を見ると、何だかすごくって、歩く気がなくなるね」
「今から弱音を吐いても仕方ないよ。――壮大じゃないか。あのモクモクと煙が出てるところは」
「そのモクモクが気持ち悪いんだ」
「冗談を言っちゃいけない。あの煙のところまで行くんだよ。そうして、中を覗き込むんだよ」
「考えると全く無駄なことだね。そうして覗き込んだついでに飛び込めばいいじゃないか」
「とにかく歩こうよ」
「ハハハハ、とにかくか。君がとにかくと言うと、つい釣られちゃうよ。さっきもとにかくで、とうとううどんを食ってしまった。これで赤痢でも感染したら全くとにかくのおかげだ」
「大丈夫だよ、僕が責任を持つから」
「僕の病気の責任を持ったって、意味がないじゃないか。僕の代わりには病気になれないよ」
「まあ、いいよ。僕が看病して、僕が感染して、本人の君は助けるようにしてやるよ」
「そうか、それなら安心だ。まあ、少し歩くかな」
「ほら、天気も大分よくなってきたよ。やっぱり天が助けてくれるんだよ」
「ありがたや。歩くことは歩くけど、今夜はご馳走を食べさせなくちゃ、いやだよ」
「またご馳走か。歩けばきっと食べさせるよ」
「それから……」
「まだ何か注文があるのかい」
「うん」
「何だい」
「君の経歴を聞かせてくれないか」
「僕の経歴って、君が知ってる通りだよ」
「僕が知ってる前のさ。君が豆腐屋の店員だった頃からの……」
「店員じゃないよ。あれでも豆腐屋の息子なんだ」
「その息子だった頃、寒磬寺の鐘の音を聞いて、急に金持ちが憎らしくなった、そのきっかけについて教えてよ」
「ハハハハ、そんなに聞きたければ話すよ。その代わり剛健党に入らなくちゃいけないよ。君なんかは、金持ちの悪党と対峙したことがないから、そんなに呑気なんだ。君はディケンズの「二都物語」という本を読んだことがあるかい」
「ないよ。伊賀の水月は読んだけど、ディケンズは読んでない」
「それだから貧民に同情がないんだ。――あの本のね、最後のほうに、医者が獄中で書いた日記があるんだけどね。悲惨なものだよ」
「へえ、どんなものだい」
「あれはね、フランス革命が起こる前に、貴族が横暴を極めて庶民を苦しめたことが書いてあるんだけど。――それも今夜僕が寝ながら話してやろう」
「うん」
「なあにフランスの革命なんていうのも当然の現象さ。あんなに金持ちや貴族が乱暴をすれば、ああなるのは当然の理屈だからね。ほら、あの轟々と鳴って吹き出すのと一緒さ」

原文 (会話文抽出)

「帽子はないぞう」
「帽子はいらないよう。早く帰ってこうい」
「おい、どこへ飛ばしたんだい」
「どこだか、相談が纏らないうちに飛ばしちまったんだ。帽子はいいが、歩行くのは厭になったよ」
「もういやになったのか。まだあるかないじゃないか」
「あの煙と、この雨を見ると、何だか物凄くって、あるく元気がなくなるね」
「今から駄々を捏ねちゃ仕方がない。――壮快じゃないか。あのむくむく煙の出てくるところは」
「そのむくむくが気味が悪るいんだ」
「冗談云っちゃ、いけない。あの煙の傍へ行くんだよ。そうして、あの中を覗き込むんだよ」
「考えると全く余計な事だね。そうして覗き込んだ上に飛び込めば世話はない」
「ともかくもあるこう」
「ハハハハともかくもか。君がともかくもと云い出すと、つい釣り込まれるよ。さっきもともかくもで、とうとう饂飩を食っちまった。これで赤痢にでも罹かれば全くともかくもの御蔭だ」
「いいさ、僕が責任を持つから」
「僕の病気の責任を持ったって、しようがないじゃないか。僕の代理に病気になれもしまい」
「まあ、いいさ。僕が看病をして、僕が伝染して、本人の君は助けるようにしてやるよ」
「そうか、それじゃ安心だ。まあ、少々あるくかな」
「そら、天気もだいぶよくなって来たよ。やっぱり天祐があるんだよ」
「ありがたい仕合せだ。あるく事はあるくが、今夜は御馳走を食わせなくっちゃ、いやだぜ」
「また御馳走か。あるきさえすればきっと食わせるよ」
「それから……」
「まだ何か注文があるのかい」
「うん」
「何だい」
「君の経歴を聞かせるか」
「僕の経歴って、君が知ってる通りさ」
「僕が知ってる前のさ。君が豆腐屋の小僧であった時分から……」
「小僧じゃないぜ、これでも豆腐屋の伜なんだ」
「その伜の時、寒磬寺の鉦の音を聞いて、急に金持がにくらしくなった、因縁話しをさ」
「ハハハハそんなに聞きたければ話すよ。その代り剛健党にならなくちゃいけないぜ。君なんざあ、金持の悪党を相手にした事がないから、そんなに呑気なんだ。君はディッキンスの両都物語りと云う本を読んだ事があるか」
「ないよ。伊賀の水月は読んだが、ディッキンスは読まない」
「それだからなお貧民に同情が薄いんだ。――あの本のねしまいの方に、御医者さんの獄中でかいた日記があるがね。悲惨なものだよ」
「へえ、どんなものだい」
「そりゃ君、仏国の革命の起る前に、貴族が暴威を振って細民を苦しめた事がかいてあるんだが。――それも今夜僕が寝ながら話してやろう」
「うん」
「なあに仏国の革命なんてえのも当然の現象さ。あんなに金持ちや貴族が乱暴をすりゃ、ああなるのは自然の理窟だからね。ほら、あの轟々鳴って吹き出すのと同じ事さ」


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