GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。
青空文庫図書カード: 夢野久作 『あやかしの鼓』
現代語化
「アヤカシの鼓」
「……実は俺もこの話をあまり本気にしなかった。有名な職人にはよくそんな因縁話がついてるもんだから……東京来ても鶴原家がどこにあるのかもわかんないし、考える気もなかった。そしたら3年くらい前の春のこと、朝早く表を掃除してると20歳くらいの若いお嬢さんが来て、この鼓の調子出してくれって言って綺麗な皮と胴を出した。俺は何気なく受け取ってみたらビックリした。胴の模様は宝づくしで材木は綺麗な赤樫だ。聞いた話と一緒の『あやかしの鼓』に違いないんだ。そのお嬢さんはその時こんなこと言った。『私は中野の鶴原家のもので九段の高林先生のところで稽古してるものなんですけど、この鼓が家にあったので出して打ってみたんですけど、どうしても音が出ないんです。何でもすごくいい鼓だって言われてるんですから、音が出ないはずはないと思うんですけど』って言うんだ。俺は試しに、『へぇ。その言伝えってどんなことですか……』って聞いてみたけど、奥さんはまだ鶴原家に来て間もないせいなのか、詳しいことは知らないみたいだった。ただ、『赤ん坊みたいな名前だったと思います』って言ったので俺はますますそれが『あやかしの鼓』に違いないと思った。俺はとりあえずその鼓を預かることにした。そのあとですぐに仕掛けて打ってみたら……俺、震え上がった。これはただもんじゃない。じいさんの遺言は本当だったんだ。鶴原家に祟ってるっていうのも嘘じゃないと思った。でも、鶴原家がこの鼓を売るわけがないし、いくら考えてもこっちのものにする方法が思いつかなかったので、俺はその次の日に中野の鶴原家に鼓持って行って奥さんに会ってこんなうそをついた。『この鼓はどうもお役に立ちそうに思えません。それに長く打たずに置いてあったせいで皮がダメになってます。胴は見た目は綺麗だけど、材木が樫なんで音が出ません。多分これは昔の結婚式の飾り物に使ったものだと思います。その証拠に、手入れした跡があまりないですし、模様も宝づくしですし』これは俺の仕事で一番難しいところで、自分の利益を捨てて相手のためを思わなきゃいけない時以外、めったに言っちゃいけないうそなんだ。ところが若い奥さんはすごく満足そうにうなずいたよ。『私も多分そんな感じでした。自分の腕が悪いのかと思ってましたが、そう聞いて安心しました。じゃぁ、大事にしまって置きますね』って笑って、10円札を1枚無理やりくれた。その後すぐに俺は脊髄の病気になって仕事ができなくなったし、その奥さんも別の仕事は持ってこなかった。でも、俺はなんか気になるから、それから九段へ行くたびに内弟子から鶴原家の様子を聞きまくったんだけど……なんと……鶴原の子爵様っていうのは元々、家柄自慢で小心者で、なかなか嫁さんが決まらなくて30まで独身だったらしい。その前の年の暮れに大阪に出張した時に、世間で言う魔が差したのか何なのか、今の奥さんに惚れて夢中になって、無理やり子爵家に引っ張り込んだんだって。するとその奥さんの身元が怪しくて、親族全員に縁を切られちゃったあげく、京都にいられなくなって、東京の中野に引っ越してきたんだって。それはまぁいいとして、その奥さんは名前がツル子だったかなんだったか、東京に来て鼓の稽古を始めるとすぐに、子爵様が留守の間に、付きの女中が青くなって止めるのも聞かずに『あやかしの鼓』を出して打っちゃったんだ。それを聞いた子爵がヒドク叱ったんだって。それを気にしたのか、子爵様はすぐにかんしゃくを起こしやすくなって、座敷牢みたいなのに入れられちゃった。ツル子夫人は中野の屋敷を売って、麻布の笄町に病室を兼ねた小さな家を建てて住んだけど、そこで病人の世話をしてるうちに子爵様はガリガリに痩せて、今年の春に亡くなったんだって。そうすると鶴原の未亡人はその後、甥か何かの若い男を連れて来て跡継ぎにしようとしたけど、鶴原の親族は全員この仕打ちに怒って、役所に訴えて華族の名前を剥奪すると騒いだんだって。それにおまけに若未亡のツル子さんについても、悪い噂ばっかり……どっちにしても鶴原家は終わりみたいなもんになっちゃった。俺は誰にも言わないけど、これは全部『あやかしの鼓』のせいだと思う。だから、それにつけて俺はこの頃から決心した。お前は俺の子だけあって鼓いじり方がもうとっくにわかってる。そのうち絶対打てるようになると思う。でも、俺は言っておく。お前はこれから先、どんなことがあっても鼓はいじっちゃいけない。これは俺の呪いじゃない。鼓いじると自然といい道具が欲しくなる。そうして最後には絶対にあの鼓が欲しくなるから言ってるんだ。あのアヤカシの鼓は鼓作りの秘訣を表したものだからな……そうなったらお前は終わりだ。あの鼓の音を聞いて変にならない奴はいない。狂人になるか変人になるかどっちかだ。お前は勉強して他の商売人か役人になって東京から遠く離れたところに引っ越せ。鶴原家には近寄るな。俺は最近、このことばっかり考えてる。そのうち先生にも頼んでおくつもりだけど、お前がやる気にならない限りはどうしようもない。いいか……忘れるな……」
原文 (会話文抽出)
「ちょっと待て、今日はおれが面白い話をしてきかせる」
「アヤカシの鼓」
「……実はおれもこの話をあまり本気にしなかった。名高い職人にはよくそんな因縁ばなしがくっついているものだから……東京に来ても鶴原家がどこにあるやら気も付かず、また考えもしなかった。 すると今から三年ばかり前の春のこと、朝早くおれが表を掃いていると二十歳ばかりの若い美しいはいからさんが来て、この鼓の調子を出してくれと云いながら綺麗な皮と胴を出した。おれは何気なく受け取って見ると驚いた。胴の模様は宝づくしで材木は美事な赤樫だ。話にきいた『あやかしの鼓』に違いないのだ。そのはいからさんはその時こんなことを云った。『私は中野の鶴原家のもので九段の高林先生の処でお稽古を願っているものだが、この鼓がうちにあったから出して打って見たんだけど、どうしても音が出ない。何でもよっぽどいい鼓だと云い伝えられているのだから、音が出ない筈はないと思うのだけど』 と云うんだ。おれは試しに、『ヘエ。その云い伝えとはどんなことで……』 と引っかけて見たが奥さんはまだ鶴原家に来て間もないせいか、詳しいことは知らないらしかった。只、『赤ん坊のような名前だったと思います』 と云ったのでおれはいよいよそれに違いないと思った。おれはその鼓を一先ず預ることにして別嬪さんをかえした。そのあとですぐに仕かけて打って見ると……おれは顫え上った。これは只の鼓じゃない。祖父さんの久能の遺言は本当であった。鶴原家に祟るというのも嘘じゃないと思った。 とはいうものの鶴原家がこの鼓を売るわけはないし、どんなに考えてもこっちのものにする工夫が附かなかったので、おれはそのあくる日中野の鶴原家に鼓を持って行って奥さんに会ってこんな嘘を吐いた。『この鼓はどうもお役に立ちそうに思えませぬ。第一長い事打たずにお仕舞いおきになっておりましたので皮が駄目になっております。胴もお見かけはまことに結構に出来ておりますが、材が樫で御座いますからちょっと音が出かねます。多分これは昔の御縁組みの時のお飾り道具にお用い遊ばしたものと存じますが……その証拠には手擦があまり御座いませんので……お模様も宝づくしで御座いますから……』 これは家業の一番六かしいところで、こっちの名を捨ててお向う様のおためを思わねばならぬ時のほか、滅多に吐いてはならぬ嘘なのだ。ところが若い奥さんはサモ満足そうにうなずいたよ。『妾もおおかた、そんな事だろうと思ったヨ。妾の手がわるいのかと思っていたけど、それを聞いて安心しました。じゃ大切にして仕舞っておきましょう』 って云って笑ってね。十円札を一枚、無理に包んでくれたよ。それから間もなく俺は脊髄にかかって仕事が出来なくなったし、その奥さんも別に仕事を持って来なかった。 けれども俺は何となく気になるから、その後九段へ伺うたんびに内弟子の連中から鶴原家の様子を聞き集めて見ると……どうだ……。 鶴原の子爵様というのは元来、お家柄自慢の気の小さい人で、なかなかお嫁さんが定まらないために三十まで独身でいた位だったそうだが、その前の年の暮にチョットした用事で大阪へ行くと、世間でいう魔がさしたとでもいうのだろう。どこで見初めたものか今の奥さんに思い付かれて夢中になったらしく、とうとう子爵家へ引っぱり込んでしまった。するとその奥さんの素性がわからないというので、親類一統から義絶された揚げ句、京都におれなくなって、東京の中野に移転して来たものだった。 ところでそれはまあいいとしてその奥さんは、名前をたしかツル子さんといったっけが……東京へ越して来て鼓のお稽古を初めると間もなく、子爵様の留守の間に、お附きの女中が青くなって止めるのもきかないで『あやかしの鼓』を出して打って見たものだ。それをあとから子爵様が聞いてヒドク叱ったそうだが、それを気に病んだものか子爵様は間もなく疳が昂ぶり出して座敷牢みたようなものの中へ入れられてしまった。それからツル子夫人は中野の邸を売り払って麻布の笄町に病室を兼ねた小さな家を建てて住んだものだが、そうして病人の介抱をしいしい若先生のところへお稽古に来ているうちに子爵様はとうとう糸のように痩せ細って、今年の春亡くなってしまった。 そうすると鶴原の未亡人は、そのあとへ、自分の甥とかに当る若い男を連れて来て跡目にしようとしたが、鶴原の親類はみんなこの仕打ちを憤ってしまって、お上に願って華族の名前を除くといって騒いでいる。おまけに若未亡のツル子さんについても、よくない噂ばかり……ドッチにしても鶴原家のあとは断絶たと同様になってしまった。 おれは誰にも云わないが、これはあの『あやかしの鼓』のせいだと思う。そうして、それにつけておれはこの頃から決心をした。お前は俺の子だけあって鼓のいじり方がもうとっくにわかっている。今にきっと打てるようになると思う。 けれども俺はお前に云っておく。お前はこれから後、忘れても鼓をいじってはいけないぞ。これは俺の御幣担ぎじゃない。鼓をいじると自然いい道具が欲しくなる。そうしておしまいにはキットあの鼓に心を惹かされるようになるから云うんだ。あのアヤカシの鼓は鼓作りの奥儀をあらわしたものだからナ……。 そうなったらお前は運の尽きだ。あの鼓の音をきいて妙な気もちにならないものはないのだから。狂人になるか変人になるかどっちかだ。 お前は勉強をしてほかの商売人か役人かになって東京からずっと離れた処へ行け。鶴原家へ近寄らないようにしろ。 おれはこのごろこの事ばかり気にしていた。いずれ老先生にもよくお願いしておくつもりだが、お前がその気にならなければ何にもならない。 いいか……忘れるな……」