芥川龍之介 『不思議な島』 「市はいつ立つのですか?」…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 芥川龍之介 『不思議な島』

現代語化

「市場はいつ開かれるんですか?」
「毎月1日の月初めに開かれます。でもそれは普通の市場ですよ。臨時の大規模な市場は年に3回、――1月、4月、9月に開かれます。特に1月は書入れの市ですよ」
「じゃ大規模な市場の前は大騒ぎですね?」
「大騒ぎですよ。みんな大規模な市場に間に合うように思い思いの野菜を育てるんです。リン酸肥料をやる、油かすをやる、温室に入れる、電流を通す、――とても信じられないくらいです。中には一刻も早く育てようと焦って、せっかく大事にしている野菜を枯らしてしまう人もいます」
「ああ、そう言えば今日の野菜畑も痩せた男が1人、気が狂ったみたいに『間に合わない、間に合わない』って走り回ってました」
「それはそうでしょうね。新年の大規模な市場も近いんですから。――町にいる商人たちも全員血相を変えてるでしょう」
「町にいる商人ってどういう人ですか?」
「野菜の売買をする商人です。商人は田舎の男女が育てた野菜畑の野菜を買い、近くの島々から来た男女はその商人の野菜を買う、――という順番になってるんです」
「なるほど、その商人でしょう、これは太った男が1人、黒いカバンを抱えて『困る、困る』って言ってるのを見ました。――じゃ一番売れるのはどういう種類の野菜ですか?」
「それは神のみぞ知るです。何とも言えません。毎年ちょっとずつ変わるみたいだし、その変わる理由もわからないみたいです」
「でも品質のいいものなら売れるでしょ?」
「さあ、それもどうですかね。そもそも野菜の品質は片輪の人が決めることになってるんですが、……」
「どうしてまた片輪の人が決めるんですか?」
「片輪の人は野菜畑に出られないでしょ。だから野菜も作れないし、それだけに野菜の品質を見る目は公平で客観的になれるんです。――つまり日本の諺で言えば、傍観者は冷静になれるってことですね」
「ああ、その片輪の人ですか。さっき髭を生やした盲人が1人、泥だらけのブロッコリーを撫でまわしながら『この野菜の色はなんとも言えない。バラの花の色と空の色を合わせたようだ』って言ってたよ」
「そうですよね。盲人はもちろん素晴らしいです。でも、最も理想的なのはこの上ない片輪の人ですね。目が見えない、耳が聞こえない、鼻が利かない、手足がない、歯や舌のない片輪の人です。そういう片輪の人が現れれば、一世一代の Arbiter elegantiarum になりますよ。現在人気の片輪の人は大体その資格を備えていますが、ただ鼻だけ利いてるんです。なんでもこの間はその鼻の穴に溶かしたゴムを詰め込んだそうですが、やっぱり少しは匂いを感じるそうです」
「ところでその片輪の人が決めた野菜の品質はどうなるんですか?」
「それがどうにもならないんです。片輪の人が悪いって言っても、売れる野菜はどんどん売れちゃうんです」
「じゃ商人の好みによるんでしょう?」
「商人は売れる見込みのある野菜ばかり買うんでしょう。すると品質の良い野菜が売れるかどうか……」
「ちょっと待って。それだとまず片輪の人が決めた品質を疑う必要がありますね」
「それは野菜を作る連中はたいてい疑ってますけどね。じゃそうやって野菜を作る人たちに野菜の品質を聞いてみると、やはりはっきりしないんです。たとえばある連中に言わせると『良し悪しは栄養があるかないかだ』って言うんです。でも、また別の連中には『良し悪しは味だ』って言うんです。それだけならまだしも簡単ですが……」
「へえ、もっと複雑なんですか?」
「その味なり栄養なりにそれぞれまた意見が分かれるんです。たとえばビタミンがないのは栄養がないとか、脂肪があるのは栄養があるとか、人参の味はダメだとか、大根の味に限るとか……」
「するとまず基準は栄養と味と2つある、その2つの基準に種々様々なヴァリエーションがある、――大体こうなるんですか?」
「そんなもんじゃありません。たとえばまだこう言うのもあります。ある連中に言わせると、色にも基準があるんです。あの美学の入門とかに言う色の上の寒温ですね。この連中は赤とか黄とか温かい色の野菜ならば、何でも合格させるんです。でも、青とか緑とか寒い色の野菜は見向きもしないんです。何しろこの連中のモットーは『野菜をしてことごとく赤ナスたらしめよ。然らずんば我等に死を与えよ』って言うんです」
「なるほどシャツ一枚の豪傑が1人、自作の野菜を積み上げた前にそんな演説をしてましたよ」
「ああ、それがそうですよ。その温かい色の野菜はプロレタリアの野菜って言うんです」
「でも積み上げてあった野菜はキュウリやズッキーニばかりでしたが、……」
「それはきっと色盲ですよ。自分だけは赤いつもりなのですよ」
「寒い色の野菜はどうですか?」
「これも寒い色の野菜でなければ野菜ではないって言う連中がいます。もっともこの連中は冷笑はしても、演説などはしないようですが、心の中では負けず劣らず温かい色の野菜を嫌ってるようです」
「するとつまり卑怯なんですか?」
「何を、演説をしたがらないよりも演説をすることができないんです。たいていアルコール依存症か梅毒で舌が腐ってるみたいですからね」
「ああ、あれがそうなのでしょう。シャツ一枚の豪傑の向かいに細いズボンをはいたインテリが1人、せっせとカボチャを収穫しながら、『へん、演説か』って言ってましたっけ」
「まだ青いカボチャをでしょう。あいつらみたいな寒い色の野菜をブルジョア野菜って言うんです」
「すると結局どうなるんですか? 野菜を作る人たちに言わせると、……」
「野菜を作る人たちに言わせると、自分の作った野菜に似たものはことごとく品質の良い野菜で、自分の作った野菜に似ないものはことごとく品質の悪い野菜なんです。これだけはとにかく確かですよ」
「でも大学もあるでしょ? 大学の教授は野菜学の講義をしているそうですから、野菜の品質を見分けるくらいは何でもないと思いますが、……」
「ところが大学の教授なんて、サッサンラップ島の野菜になると、エンドウとソラマメも見分けられないんです。もっとも100年以上前の野菜だけは講義の中にも入りますがね」
「じゃどこの野菜のことを知ってるんですか?」
「イギリスの野菜、フランスの野菜、ドイツの野菜、イタリアの野菜、ロシアの野菜、一番学生に人気があるのはロシアの野菜学の講義だそうです。ぜひ一度大学を見においでなさい。私のこの前参観した時には鼻眼鏡をかけた教授が1人、瓶の中のアルコールに漬けたロシアの古いキュウリを見せながら、『サッサンラップ島のキュウリを見給え。ことごとく青色をしている。しかし偉大なるロシアのキュウリはそんな浅薄な色ではない。この通り人生そのものに似た、捉えようのない色をしている。ああ、偉大なるロシアのキュウリは……』とまくし立ててました。私は当時感動のあまり、2週間ばかり寝込みました」
「すると――するとですね、やはりあなたの言うように野菜が売れるか売れないかは神の意思に従うとでも考えるよりほかはないんですか?」
「まあ、そのほかはないでしょう。また実際この島の住民はたいていバッブラッブベエダを信仰していますよ」
「何です、そのバッブラッブ何とかってのは?」
「バッブラッブベエダです。BABRABBADAと綴りますがね。まだ見てないんですか? あの堂々とした建物の中にある……」
「ああ、あの豚の頭をした、大きいカメレオンの像ですか?」
「あれはカメレオンではありません。天地を支配するカメレオンですよ。きょうもあの像の前に大勢拝んでましたでしょう。あいつらは野菜が売れるようにお祈りしてるんです。何しろ最近の新聞によると、ニューヨークあたりのデパートはことごとくあのカメレオンの神託が出るのを待ってから、シーズンの買い付けにかかるそうですからね。もう世界の信仰はエホバでもなければ、アラーでもない。カメレオンに帰したとも言われるくらいです」
「あの堂々とした建物の祭壇の前にも野菜が沢山積んでありましたが、……」
「あれはみんな供物ですよ。サッサンラップ島のカメレオンには去年売れた野菜を供物にするんです」
「でも日本にはまだ……」
「おや、誰か呼んでいるようですよ」

原文 (会話文抽出)

「市はいつ立つのですか?」
「毎月必ず月はじめに立ちます。しかしそれは普通の市ですね。臨時の大市は一年に三度、――一月と四月と九月とに立ちます。殊に一月は書入れの市ですよ。」
「じゃ大市の前は大騒ぎですね?」
「大騒ぎですとも。誰でも大市に間に合うように思い思いの野菜を育てるのですからね。燐酸肥料をやる、油滓をやる、温室へ入れる、電流を通じる、――とてもお話にはなりません。中にはまた一刻も早く育てようとあせった挙句、せっかく大事にしている野菜を枯らしてしまうものもあるくらいです。」
「ああ、そう云えば野菜畑にきょうも痩せた男が一人、気違いのような顔をしたまま、『間に合わない、間に合わない』と駈けまわっていました。」
「それはさもありそうですね。新年の大市も直ですから。――町にいる商人も一人残らず血眼になっているでしょう。」
「町にいる商人と云うと?」
「野菜の売買をする商人です。商人は田舎の男女の育てた野菜畑の野菜を買う、近海の島々から来た男女はそのまた商人の野菜を買う、――と云う順序になっているのです。」
「なるほど、その商人でしょう、これは肥った男が一人、黒い鞄をかかえながら、『困る、困る』と云っているのを見ました。――じゃ一番売れるのはどう云う種類の野菜ですか?」
「それは神の意志ですね。どう云うものとも云われません。年々少しずつ違うようですし、またその違う訣もわからないようです。」
「しかし善いものならば売れるでしょう?」
「さあ、それもどうですかね。一体野菜の善悪は片輪のきめることになっているのですが、……」
「どうしてまた片輪などがきめるのです?」
「片輪は野菜畑へ出られないでしょう。従ってまた野菜も作れない、それだけに野菜の善悪を見る目は自他の別を超越する、公平の態度をとることが出来る、――つまり日本の諺を使えば岡目八目になる訣ですね。」
「ああ、その片輪の一人ですね。さっき髯の生えた盲が一人、泥だらけの八つ頭を撫でまわしながら、『この野菜の色は何とも云われない。薔薇の花の色と大空の色とを一つにしたようだ』と云っていましたよ。」
「そうでしょう。盲などは勿論立派なものです。が、最も理想的なのはこの上もない片輪ですね。目の見えない、耳の聞えない、鼻の利かない、手足のない、歯や舌のない片輪ですね。そう云う片輪さえ出現すれば、一代の Arbiter elegantiarum になります。現在人気物の片輪などはたいていの資格を具えていますがね、ただ鼻だけきいているのです。何でもこの間はその鼻の穴へゴムを溶かしたのをつぎこんだそうですが、やはり少しは匂がするそうですよ。」
「ところでその片輪のきめた野菜の善悪はどうなるのです?」
「それがどうにもならないのです。いくら片輪に悪いと云われても、売れる野菜はずんずん売れてしまうのです。」
「じゃ商人の好みによるのでしょう?」
「商人は売れる見こみのある野菜ばかり買うのでしょう。すると善い野菜が売れるかどうか……」
「お待ちなさいよ。それならばまず片輪のきめた善悪を疑う必要がありますね。」
「それは野菜を作る連中はたいてい疑っているのですがね。じゃそう云う連中に野菜の善悪を聞いて見ると、やはりはっきりしないのですよ。たとえばある連中によれば『善悪は滋養の有無なり』と云うのです。が、またほかの連中によれば『善悪は味にほかならず』と云うのです。それだけならばまだしも簡単ですが……」
「へええ、もっと複雑なのですか?」
「その味なり滋養なりにそれぞれまた説が分れるのです。たとえばヴィタミンのないのは滋養がないとか、脂肪のあるのは滋養があるとか、人参の味は駄目だとか、大根の味に限るとか……」
「するとまず標準は滋養と味と二つある、その二つの標準に種々様々のヴァリエエションがある、――大体こう云うことになるのですか?」
「中々そんなもんじゃありません。たとえばまだこう云うのもあります。ある連中に云わせると、色の上に標準もあるのです。あの美学の入門などに云う色の上の寒温ですね。この連中は赤とか黄とか温い色の野菜ならば、何でも及第させるのです。が、青とか緑とか寒い色の野菜は見むきもしません。何しろこの連中のモットオは『野菜をしてことごとく赤茄子たらしめよ。然らずんば我等に死を与えよ』と云うのですからね。」
「なるほどシャツ一枚の豪傑が一人、自作の野菜を積み上げた前にそんな演説をしていましたよ。」
「ああ、それがそうですよ。その温い色をした野菜はプロレタリアの野菜と云うのです。」
「しかし積み上げてあった野菜は胡瓜や真桑瓜ばかりでしたが、……」
「それはきっと色盲ですよ。自分だけは赤いつもりなのですよ。」
「寒い色の野菜はどうなのです?」
「これも寒い色の野菜でなければ野菜ではないと云う連中がいます。もっともこの連中は冷笑はしても、演説などはしないようですがね、肚の中では負けず劣らず温い色の野菜を嫌っているようです。」
「するとつまり卑怯なのですか?」
「何、演説をしたがらないよりも演説をすることが出来ないのです。たいてい酒毒か黴毒かのために舌が腐っているようですからね。」
「ああ、あれがそうなのでしょう。シャツ一枚の豪傑の向うに細いズボンをはいた才子が一人、せっせと南瓜をもぎりながら、『へん、演説か』と云っていましたっけ。」
「まだ青い南瓜をでしょう。ああ云う色の寒いのをブルジョア野菜と云うのです。」
「すると結局どうなるのです? 野菜を作る連中によれば、……」
「野菜を作る連中によれば、自作の野菜に似たものはことごとく善い野菜ですが、自作の野菜に似ないものはことごとく悪い野菜なのです。これだけはとにかく確かですよ。」
「しかし大学もあるのでしょう? 大学の教授は野菜学の講義をしているそうですから、野菜の善悪を見分けるくらいは何でもないと思いますが、……」
「ところが大学の教授などはサッサンラップ島の野菜になると、豌豆と蚕豆も見わけられないのです。もっとも一世紀より前の野菜だけは講義の中にもはいりますがね。」
「じゃどこの野菜のことを知っているのです?」
「英吉利の野菜、仏蘭西の野菜、独逸の野菜、伊太利の野菜、露西亜の野菜、一番学生に人気のあるのは露西亜の野菜学の講義だそうです。ぜひ一度大学を見にお出でなさい。わたしのこの前参観した時には鼻眼鏡をかけた教授が一人、瓶の中のアルコオルに漬けた露西亜の古胡瓜を見せながら、『サッサンラップ島の胡瓜を見給え。ことごとく青い色をしている。しかし偉大なる露西亜の胡瓜はそう云う浅薄な色ではない。この通り人生そのものに似た、捕捉すべからざる色をしている。ああ、偉大なる露西亜の胡瓜は……』と懸河の弁を振っていました。わたしは当時感動のあまり、二週間ばかり床についたものです。」
「すると――するとですね、やはりあなたの云うように野菜の売れるか売れないかは神の意志に従うとでも考えるよりほかはないのですか?」
「まあ、そのほかはありますまい。また実際この島の住民はたいていバッブラッブベエダを信仰していますよ。」
「何です、そのバッブラッブ何とか云うのは?」
「バッブラッブベエダです。BABRABBADAと綴りますがね。まだあなたは見ないのですか? あの伽藍の中にある……」
「ああ、あの豚の頭をした、大きい蜥蜴の偶像ですか?」
「あれは蜥蜴ではありません。天地を主宰するカメレオンですよ。きょうもあの偶像の前に大勢お時儀をしていたでしょう。ああ云う連中は野菜の売れる祈祷の言葉を唱えているのです。何しろ最近の新聞によると、紐育あたりのデパアトメント・ストアアはことごとくあのカメレオンの神託の下るのを待った後、シイズンの支度にかかるそうですからね。もう世界の信仰はエホバでもなければ、アラアでもない。カメレオンに帰したとも云われるくらいです。」
「あの伽藍の祭壇の前にも野菜が沢山積んでありましたが、……」
「あれはみんな牲ですよ。サッサンラップ島のカメレオンには去年売れた野菜を牲にするのですよ。」
「しかしまだ日本には……」
「おや、誰か呼んでいますよ。」


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