岡本綺堂 『半七捕物帳』 「ここじゃ仕様がねえ。品川まで連れて行け」…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 岡本綺堂 『半七捕物帳』

現代語化

「ここでじゃ話にならねえ。品川まで連れてけ」
「芝居なら、ここでチョンと音がして幕が下りるところだ」
「お此って奴はえらくしぶといけど、伊之助がビビりだから、そっちから少しずつ口が滑って、そのうち古狐もついに本性を出したよ」
「古狐……。その騒動はぜんぶお此の仕業だったんですか」
「そこが面白いところなんだ……。まずお此って女の話からしよう。あいつの家は芝の片門前で、若い頃から明神の矢場の矢取り女や、旦那探しなんかをしてたんだけど、もともとろくな奴じゃねえから、風俗営業したり、ちょっとした窃盗や万引きとか、いろんな悪い事をして、女なのに刺青者で、甲州から相州までウロウロして、また江戸に戻ってきて、前に言った通り、小間物を売ったり、近所の茶屋を手伝ったりして、まあ平穏に暮らしてたんだ。でも、おとなしくしてるような女じゃねえよ。お此は今年38で、そろそろまともな亭主でも見つけて堅気に生きりゃいいのに、いつの間にか近所の建具屋の息子・伊之助と関係を持つようになったんだ……。伊之助は21で、親子ほど年の差があるんだけど、お此みたいな女は若い男を遊ばせるのが好きなんだよ。ところが伊之助には坂井屋のお糸って女がいる。お糸は年が若くて魅力的な女だから、お此は何とかしてあいつを遠ざけて、男を独り占めしようとしてたんだ。そしたら、外国の軍艦が品川にやって来て、イギリスが一艘、アメリカが一艘、どちらも停泊したんだ。幕府はそろそろ開国する予定だから、戦争になる心配はねえ。軍艦の水兵たちは上陸してあちこち見物してた。でも、江戸市内には自由に歩けないようにされて、高輪の大木戸を境に、品川、鮫洲、大森あたりをブラブラしてたんだ。品川の貸座敷なんかを見物する奴もいたけど、その頃はどこも外国人を客にしなかった。料理屋でもたいていは断ったよ。ところが、鮫洲の坂井屋は遠慮なく外国人を招き入れて、酒や料理を出してたから、世間の評判は悪かったけど、店は大繁盛してた。相手は船乗りで、遠くの日本まで来てるんだから、金遣いは荒かった。坂井屋は外国人を相手に大儲けしたんだろう。そこの給仕の女たちも相当稼げてたみたいだ。坂井屋は決してそんな事はないって否定してたけど、女中の中には船の連中と関係を持っちゃった奴もいたらしいんだ。実際にお糸って女は、ジョージって男と関係ができちまったんだよ。それは手伝いに来てたお此の紹介で、最初は金目当てだったけど、なにかの縁でジョージとお糸は離れられなくなっちゃったんだ。お此はうまく両方をあおって、お糸にはジョージの実家は金持ちだって吹き込んだから、お糸はますます本気になるようになったんだ。その頃は外国の事情なんて分からなくて、外国人はみんな金持ちだと思ってたんだから、お糸が真に受けたのも無理はない。でも、ジョージは軍艦の乗組員だから、勝手に出歩けない。結局お糸が恋しさに上陸してしまったんだ。俺は当時のことは詳しく知らねえけど、たぶん脱走したんだろうな。それで、船が品川を離れるまでは隠れてなきゃいけねえってことで、お此が手引きして、とりあえずジョージを大森の九兵衛って百姓の家に匿ったんだ。さあ、ここまでが事実なんだろうけど、その先はちょっと出来過ぎちゃってて、前に話した『ズウフラ怪談』のパターンと同じなんだ。お此の言い分によると、3月の初めの夜に、鈴ヶ森の縄手を何か用事で行くと、漁師みたいな若い男の二人連れにすれ違ったんだ。二人は酔っ払っててお此に絡んできて、お此の服を引っ張ったりしたから、お此は迷惑だし腹も立ったんで、一つ脅かしてやろうと思って、服からライターを出して、手早く擦って二、三本火を飛ばせたんだ。二人はいきなり火が飛んでくるのにびっくりして、大慌てで逃げ出した。そのライターは軍艦のお客から貰ってお此が服に入れてたんだ。今考えると、本当に子供だましの話だけど、ライターなんてものがなかった時代には、火の玉がばらばら飛んでくるのを見てビビったんだろう」
「なるほど、ズウフラ怪談ですね」
「探偵の事件の中で、本物の怖い怪談って少ないもんで、謎を解けば全部ズウフラの仕組みなんですよ」
「そしたら、その噂があっという間に広がって、鈴ヶ森の縄手に狐が出るって評判になったんだ。その狐は軍艦の外国人が放したんだとか言う奴もいる。ちょうどその前年の安政5年の大流行でも、外国人が狐を放したって噂があったそうだよ。それで、今回の狐も品川の軍艦から出てきたって噂が流れるようになった。それ聞くと、お此は面白くてしょうがなかったみたい。犯罪者は悪戯好きな奴が多いけど、お此も世間を騒がすのが楽しくて、序でにマッチの悪戯をチョイチョイやり始めたんだ。時には靴を磨くブラシに靴墨を塗っておいて、暗闇で通りすがる人の顔を撫でたりもしたらしいな。昔も今も、そういう噂が広まると、面白おかしく脚色して伝える奴が出るから、狐の怪談は大騒ぎになっちゃったんだけど、お此が実際にやった悪戯は7、8回くらいだったって自分で言ってたよ」
「小伊勢って料理屋の息子が出会ったのは、本当のお糸ですか。それとも例の狐ですか」
「はは、そこまで心配すんなよ。あれは狐でも何でもねえ、本当のお糸なんだよ」
「でも、不思議と言えば不思議だよね。昔は不思議って言ってたけど、今は何かの精神作用って言うんだろ。4月28日の夜に、お糸が坂井屋の店先に立ってると、どこからか自分の名前を呼ぶ声が聞こえるんだ。その声がジョージっぽく聞こえたから、お糸は呼ばれるままに フラフラ歩いて、半ば夢心地で鈴ヶ森まで行っちゃったらしい。そんで、睨みの松あたりをウロウロしてると、小伊勢の巳之助が通りかかった。で、そこで間違えが起こったわけだ。坂井屋のお糸と若狭屋のお糸は、名前が一緒ってだけじゃなくて、顔だちも年齢も似てるから、暗い中だと巳之助はお糸を若狭屋のお糸と間違えちゃった。お糸の方は巳之助を建具屋の伊之助と間違えた。巳之助は酒に酔ってたから、伊之助さんて呼ばれたのを巳之助さんと間違えちゃったみたい。人が違うって気づかずに、お糸が巳之助に謝ってたのは、ジョージのことがあったからだろうな。お糸の顔が顔色悪く見えたとかは、巳之助の気の迷いで、もしかしたら狐じゃないかって疑ってたから、あんな顔に見えたんだろうと思われるよ」
「巳之助を殴ったのは誰ですか」
「ジョージだよ。さっき言った事情で、昼間は外に出られないから、暗くなると散歩してたんだ。今夜もちょうどそこに通りかかって、巳之助をボコボコにしてお糸を助けたんだ。それから自分の隠れ家に お糸を連れて帰って介抱すると、お糸は意識が戻った。それで、どういう話をしたのか知らねえけど、お糸は坂井屋には戻らずに、ジョージのところに一緒に隠れることになったんだ。ジョージを隠してた九兵衛って百姓は、悪い奴じゃねえけど、ものすごく欲張り。その欲から お此にそそのかされて、ジョージを隠したことが自分の不幸になっちゃったんだ。お糸がそこに行ったことを九兵衛から聞かされて、お此は大喜びしたよ。こうなれば、お糸も伊之助とは確実に縁が切れて、男は一人占めだって喜んだんだけど、それだけじゃ終わらねえ。その隠れ家に時々出かけて行って、いわば脅しみたいな感じで、あれこれ言い訳をつけてジョージから金を引き出してたんだ。でも、ジョージも日本の金をたくさん持ってるわけじゃないから、渡してくれるのは外国のドルなんだ。それで、お此の言い分によると、外国のお金だから本物か偽物か自分にも分からねえ、ジョージから受け取った物をそのまま両替屋に持っていっただけだって言うんだ。偽札を使うつもりは全くなかったんだって。それにジョージがどうして偽札を持ってたのかも分からねえ。たぶん中国に寄港した時に、向こうの奴に偽札を掴ませられて、本人も気づかなかったんだろうって話だったよ。それで、偽札を使った方は証拠が不十分だったけど、三島屋の店で絵草紙屋の息子から小判を盗んだことは、お此も仕方なく白状した。刺青者だから罪が重くて、今度は遠島になったみたいだな」
「ジョージとお糸はどうなりました」
「それについては、また別の話がある。お此が白状したことで二人が隠れている場所が分かったんだけど、ジョージは外国人だから簡単には手が出せない。町奉行所から外国奉行に連絡して、外国係を通してさらに外国公使に通達するって手続きが必要で、なかなか面倒なんだ。そんなこんなで半月くらいそのままにしてると、どこで聞き込んだのか、浪人風の侍2人が九兵衛の家に突然押し入ってきて、この家に外国人が隠れてるはずだから会わせろって言うんだ。あの頃の流行りの攘夷家だろうって思ったのか、九兵衛は全く知らねえって否定する。いや、隠してるはずだって粘る。その言い争いの末に、九兵衛と息子・九十郎は斬られちゃった。九十郎はかすり傷だったけど、九兵衛は死んでしまった。ジョージはピストルを連射して、危ないところを逃げ延びたけど、それっきり姿を消してどこに行ったのか分からねえ。後で聞くと、羽田あたりの漁船を頼んで、品川の沖に停泊中の軍艦に戻ったらしいんだ。九兵衛親子を斬った浪人が誰なのかは分かってない。お糸は無関係だったってことで坂井屋に戻された。建具屋の伊之助は俺と一緒にめちゃくちゃ脅されて、お此が偽札を使ったって聞いて、一時真っ青になったけど、これも無事に戻された。熊蔵の言うところによると、お糸と伊之助はまたヨリを戻して、結局夫婦になったんだと。狐の正体はつまりこんな感じだ。あんたも騙されましたか。あはははははは」
「安心してください。山王下には狐は出ませんから……」

原文 (会話文抽出)

「ここじゃ仕様がねえ。品川まで連れて行け」
「芝居ならば、ここでチョンと柝がはいる幕切れです」
「お此という奴はわる強情で、ずいぶん手古摺らせましたが、伊之助が意気地がないので、その方からだんだんに口が明いて、古狐もとうとう尻尾を出しましたよ」
「古狐……。その狐の騒ぎはみんなお此の仕業なんですか」
「そこが判じ物で……。まずお此という女についてお話をしましょう。こいつの家は芝の片門前で、若い時から明神の矢場の矢取り女をしたり、旦那取りをしたりしていたんですが、元来が身持ちのよくない奴で、板の間稼ぎやちょっくら持ちや万引きや、いろいろの悪いことをして、女のくせに入墨者、甲州から相州を股にかけて、流れ渡った揚げ句に、再び江戸へ舞い戻って、前にも申す通り、小間物の荷をさげて歩いたり、近所の茶屋の手伝いをしたりして、まあ無事に暮らしていたんですが、それでおとなしくしているような女じゃあありません。お此はことし三十八、相当の亭主でも持って堅気に世を送ればいいんですが、いつか近所の建具屋のせがれの伊之助に係り合いを付けて……。伊之助は二十一で、親子ほども年が違うのですが、お此のような女に限ってとかくに若い男を玩具にしたがるものです。ところが伊之助には坂井屋のお糸という女が付いている。お糸は年も若し、渋皮のむけた女ですから、お此は何とかしてこれを遠ざけて、男を自分ひとりの物にしようと内心ひそかに牙をみがいているうちに、外国の軍艦が品川へ乗り込んで来て、イギリスが一艘、アメリカが一艘、いずれも錨をおろしました。 幕府はもう開港の運びになっているんですから、戦争になるような心配はありません。軍艦の水兵らは上陸して方々を見物する。しかし、江戸市中にむやみにはいることを許されませんでしたから、高輪の大木戸を境にして、品川、鮫洲、大森のあたりを遊び歩いていました。品川の貸座敷などを素見すのもありましたが、その頃はどこでも外国人を客にしません。料理屋でも大抵のうちでは断わる。ところが、鮫洲の坂井屋では構わずに外国人をあげて、酒を飲ませたり料理を食わせたりするので、世間の評判はよくないが、店は繁昌する。相手は船の人間で、遠い日本まで渡って来たんですから、金放れはいい。坂井屋はこれらの外国人を相手にして、いい金儲けをしたに相違ありません。その給仕に出る女中たちも相当の金になったわけです。 坂井屋では決してそんな事はないと云い張っていましたが、女中のなかには船の連中と関係の出来たものもあったらしいんです。現にお糸という女は、ジョージという男と関係が出来てしまった。それは手伝いに来ているお此の取り持ちで、最初はもちろん慾から出たことですが、どういう縁かお糸もジョージも互いに離れにくいような仲になりました。お此はうまく両方を焚きつけて、お糸にむかってはジョージさんの家は大金持だなどと吹き込んだので、お糸はいよいよ本気になってしまったんです。その頃は外国の事情も判らず、外国人はみんな金持だと思っているような人間が多かったんですから、お糸が一途に信用するのも無理はありません。 しかしジョージは軍艦の乗組員ですから、勝手に上陸することは出来ません。結局お糸が恋しさに上陸してしまいました。わたくしは其の当時のことをよく知りませんが、恐らく脱艦したのだろうと思います。そこで、船が品川を立ち去るまでは隠れていなければいけないというので、お此が手引きをして、ひと先ずジョージを大森在の九兵衛という百姓の家へ忍ばせて置きました。 さあ、ここまではお話が出来るんですが、それから先は少しお茶番じみていて、いつぞやお話をした『ズウフラ怪談』の型にはいるんです。お此の申し立てによると、三月はじめの晩に、なにかの用があって鈴ヶ森の縄手を通りかかると、漁師らしい若い男の二人連れに摺れ違った。二人は一杯機嫌でお此にからかって、その袂などを引っ張るので、お此はうるさいのと癪に障るのとで、一つ嚇かしてやろうと思って、袂から西洋マッチをとり出して、手早く摺りつけて二、三本飛ばせると、二人は火が飛んで来るのにびっくりして、忽々に逃げ出した。そのマッチは黒船のお客から貰って、お此が袂に入れていたんです。今から考えると、実に子供だましのような話ですが、マッチというものを知らない時代には、火の玉がばらばら飛んで来るのに胆を潰したわけです」
「成程、ズウフラ怪談ですね」
「探偵話にほんとうの凄い怪談は少ないもので、種を洗えばみんなズウフラ式ですよ」
「さてその噂が忽ちぱっと拡がって、鈴ヶ森の縄手に狐が出るという評判になりました。その狐は黒船の異人が放したのだなぞと云う者もある。現にその前年、即ち安政五年の大コロリの時にも、異人が狐を放したのだという噂がありました。そこで、今度の狐も品川の黒船から出て来たというような噂が立つ。それを聞くと、お此はおかしくってたまらない。一体、犯罪者には一種の茶目気分のある奴が多いもので、お此も世間をさわがすのが面白さに、それを手始めにマッチの悪戯をちょいちょいやる。時には靴を磨くブラッシに靴墨を塗って置いて、暗やみで摺れ違いながら人の顔を撫でたりしたそうです。いつの代もそうですが、そんな噂が拡がると、いろいろに尾鰭を添えて云い触らす者が出て来るので、狐の怪談が大問題になってしまったんですが、お此がほんとうに悪戯をしたのは七、八回に過ぎないと自分では云っていました」
「小伊勢という料理屋の息子が出逢ったのは、ほんとうのお糸ですか。それとも例の狐ですか」
「はは、眉毛を湿らすほどの事はありません。それは狐でも何でもない、本当のお糸なんですよ」
「しかし、それが不思議と云えば不思議でないことも無い。むかしは不思議のように云われたんですが、こんにちで云えば何かの精神作用でしょう。四月二十八日の宵に、お糸が坂井屋の店さきに立っていると、どこからか自分の名を呼ぶ者がある。それが彼のジョージの声らしく聞えたので、呼ばれるままにふらふら歩き出して、半分は夢のように鈴ヶ森まで行ってしまったんだそうです。そうして、睨みの松あたりをうろついているところへ、小伊勢の巳之助が通りかかった。さあ、そこで間違いが出来したので……。 坂井屋のお糸と若狭屋のお糸とは、その名が同じばかりでなく、格好も年頃も似ているので、薄暗いなかで巳之助はその女を若狭屋のお糸と間違えた。お糸の方では巳之助を建具屋の伊之助と間違えた。巳之助は少し酔っていたので、伊之さんと呼ばれたのを巳之さんと早合点してしまったらしい。人違いとは気がつかずにお糸が巳之助にあやまっていたのは、かのジョージの一件があるからでしょう。お糸の顔が眼鼻もないのっぺらぼうに見えたなぞというのは、巳之助の眼の迷いで、もしや狐じゃあないかという疑いから、そんな顔に見えたのだろうと思われます」
「巳之助を殴ったのは誰ですか」
「ジョージです。前に云ったようなわけですから、昼間は表へ出ることが出来ないので、暗くなると散歩に出る。今夜も丁度にそこへ来合わせて、巳之助をなぐり倒してお糸を救ったんです。それから自分の隠れ家へお糸をかかえて行って介抱すると、お糸は息を吹き返しました。そこで、どういう相談が出来たのか、お糸は坂井屋へ帰らずに、ジョージのところへ一緒に隠れることになりました。 ジョージを隠まった九兵衛という百姓は、別に悪い奴ではありませんが、ひどく慾張っている。その慾からお此に抱き込まれて、ジョージを隠まったのが身の禍となったのです。お糸が転げ込んで来たことを九兵衛から知らされて、お此は思う壷だと喜びました。こうなれば、お糸も伊之助とは確かに手切れで、男は自分の独り占めだと喜んだのですが、唯それだけでは済ませません。その隠れ家へ時々に押し掛けて行って、云わば一種の強請のように、なんとか彼とか名を付けてジョージから金を引き出していました。 しかしジョージも日本の金をたくさん持っている筈はありませんから、渡してくれるのは外国のドルです。そこでお此の申し立てによると、外国のお金であるから本物か贋物か自分にも判らない、ジョージから受け取った物をそのまま両替屋へ持って行っただけの事で、贋金を使う料簡なぞは毛頭もなかったと云うんです。又ジョージがどうして贋金を持っていたのか判りません。恐らく支那へ奇港した時に、向うの奴に贋金を掴ませられ、本人も気がつかずにいたんだろうという話でした。そんなわけで、贋金づかいの方は証拠不十分でしたが、三島の店で絵草紙屋のせがれから小判一枚を掻っさらったことは、お此も恐れ入って白状に及びました。入墨者ですから罪が重く、今度は遠島になったように聞きました」
「ジョージとお糸はどうなりました」
「それについて、又ひとつのお話があります。お此の白状で二人のかくれ家は判ったんですが、ジョージは外国人ですから迂濶に手が着けられません。町奉行所から外国奉行の方へ申達して、外国係から更に外国公使へ通知するというような手続きがなかなか面倒です。それやこれやで小半月もそのままに過ぎていると、どこでどう聞き込んだものか、浪士ふうの侍ふたりが九兵衛の家へ突然に押し込んで来て、ここの家に外国人が隠まってある筈だから逢わせてくれと云うんです。そのころ流行の攘夷家と見ましたから、九兵衛は飽くまでも知らないと云う。いや、隠してあるに相違ないと云う。その押し問答の末に、九兵衛と伜の九十郎は斬られました。九十郎は浅手でしたが、九兵衛は死んでしまいました。ジョージはピストルを続け撃ちにして、あぶないところを逃がれましたが、それっきり姿を晦まして何処へ行ったのか判りません。あとで聞くと、羽田あたりの漁船を頼んで、品川沖の元船へ戻ったらしいんです。九兵衛親子を斬った浪士は何者だか判りません。 お糸は構い無しというので坂井屋へ戻されました。建具屋の伊之助はわたくし共にひどく嚇かされた上に、お此が贋金づかいであると聞いて一時は真っ蒼になったんですが、これも無事に還されました。熊蔵の話によると、お糸と伊之助は再び撚りを戻して、結局夫婦になったということです。狐の正体は先ずこの通り、あなたも化かされましたか。あはははははは」
「御安心なさい。山王下に狐は出ませんから……」


青空文庫現代語化 Home リスト