GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。
青空文庫図書カード: 岡本綺堂 『半七捕物帳』
現代語化
「捕まえられなかったらやばいでしょ」
「大丈夫、心配すんなって」
「あれって何者?」
「六本木で喧嘩してヤツしちゃったやつだよ。ヤツるとき、警察に『自分は渋谷の会社員です』とか言ってたけど、あれ真っ赤な嘘だった。実際は、近くの一社分のサラリーマン。名前も『カズキ』と『タツヤ』っつって嘘。本名は『タケシ』と『ゴロウ』だった」
「じゃ、喧嘩だって嘘だったんでしょ?」
「ま、そういうこと。タケシの親父が会社でお金管理してたのは本当だけど、タケシは遊び好き。同僚のゴロウと組んで、親父の鍵で会社の金庫から50万盗んで逃げた。親父にバレたら大変だってわかってるはずなのに、最低だよね。そしたら親父は自殺しちゃったんだって。で、警察に追われるから山梨の方に行ったんだけど、ゴロウが途中でタケシを捨てて逃げた。もちろん、50万はゴロウが持っていったんだ。これにタケシもビックリだけど、警察に言えない。だって、東京に行く約束をしてたんだもん。ゴロウも東京に行ったろうと思って、後を追いかけてきたけど、東京は広いよ。一生懸命探したって見つかるわけないよね。そのうち金がなくなってきた。悪いヤツだから、あたりまえみたいにチンピラになって、お金を脅し取ったり、物を盗むようになった。そんな生活を5年もしてたら、たまたま青山でゴロウとばったり。自分の親殺したヤツじゃないし、直接関係もないけど、タケシにとっては長年探してた仇敵。だから、『この野郎、泥棒め…』って。俺も泥棒だけど、ゴロウだけ泥棒にして、ここでヤッちまった。でも、人殺ししちまった以上、そのままにできるわけないでしょ。だから開き直って警察に名乗って、本当と嘘まぜこぜで、ヤッた理由をペラペラしゃべったってわけ。ヤッたことも名前も経歴も嘘だから、警察が会社に調べたらバレるってわかってる。それで、警察をうまくかわして、近くの竹やぶに逃げ込んだら、うまいことバレずに逃げ切れたんだ。ヤラれたゴロウは、盗んだ金は全部遊びに使っちゃって、今は文京区の旗本の屋敷で下っ端で働いてたんだ。その日は千駄ヶ谷の知り合いに行く途中、子供の土産にみかん買ってるところを、オレが『泥棒め!』ってヤッちゃったけど、ヤツも泥棒だから仕方ないよね。月給3万円の奴が、財布に2万円も入ってたのは怪しかったから、きっとまた悪いことしてたんだろうけど、死人に口なしで不明なんだ」
原文 (会話文抽出)
「取り押さえましたか」
「捕り損じちゃあ事こわしです」
「まあ、御安心ください」
「そいつはいったい何者です」
「こいつが六道の辻で仇討をした奴ですよ。かたき討をした時に、水野家の辻番へ行って、自分は備中松山五万石板倉周防守の藩中と名乗りましたが、それは出たらめで、実はその近所の一万石ばかりの小さい大名の家来です。自分は伊沢千右衛門、かたきは山路郡蔵、この姓名も出たらめで、本人は野口武助、相手は森山郡兵衛というのが実名でした」
「じゃあ、かたき討も嘘ですか」
「まあ、こういうわけです。野口武助の親父は武右衛門といって、屋敷の金蔵番であったのは本当です。せがれの武助は放蕩者、同藩中の森山郡兵衛と共謀して、自分のおやじが鍵預かりをしている金蔵へ忍び込み、五百両の金をぬすみ出して出奔した。こんな事をすれば親父に難儀のかかるのは知れ切っているのに、実に呆れた不忠不孝の曲者です。果たしてそれが為に、親父の武右衛門は切腹したそうです。ところで、本街道を行くと追っ手のかかる虞れがあるので、武助と郡兵衛は廻り道をして丹波路へ落ちて来ると、郡兵衛は武助を途中で撒いて、どこへか逃げてしまいました。勿論、例の五百両は郡兵衛が持ち逃げをしたわけです。 これには武助もおどろいたが、表向きに訴えることも出来ません。なにしろ江戸へ出る約束になっていたのですから、郡兵衛も大かた江戸へ行ったろうという想像で、武助はそのあとを追って江戸へ出て来ましたが、一万石の故郷とは違って江戸は広い。いかに根よく探し歩いたところで、容易に知れる筈はありません。そのうちに懐中は乏しくなる。根が悪い奴ですから、お定まりの浪人ごろつきとなって、強請や追剥ぎを商売にするようになりました。 そうしているうちに、国を出てから足かけ五年目、測らずも青山六道の辻で、かたきの森山郡兵衛にめぐり逢いました。主人のかたきでも無く、親のかたきでも無いが、自分に取っては年ごろ尋ねる仇がたきです。そこで、おのれ盗賊……。実を云えば、自分も盗賊の同類ですが、まあ相手だけを盗賊にして、ここでかたき討ちをしてしました。しかし往来なかで人殺しをした以上、そのままに済ませることは出来ませんから、ずうずうしく度胸を据えて、自分の方から辻番へ名乗って出て、真実空事取りまぜて、かたき討ちの講釈をならべ立てた次第です。 かたき討ちも嘘、姓名も身許も嘘ですから、板倉家へ問い合わされれば、すぐに露顕するのは判っています。そこで、辻番をうまくごまかして、横手の大竹藪へもぐり込んで、首尾よく逃げおおせたのです。殺された郡兵衛は悪銭身に着かずで、持ち逃げの金はみんな道楽に使ってしまい、今では本郷辺の旗本屋敷の若党に住み込んでいて、その日は千駄ヶ谷辺の知りびとのところへ尋ねて行く途中、子供のみやげに柿を買っている処を、おのれ盗賊とばっさりやられたのですが、全く盗賊に相違ないのですから仕方がありません。一年三両二分の給金を取る若党が、ふところに二両足らずの金を持っていたのは少し不審で、こいつも相変らず悪い事をしていたのじゃないかと思われますが、死人に口無しで判りませんでした」