ウィリアム・バトラー・イエーツ William Butler Yeats 芥川龍之介訳『春の心臓』 「己はお前に、己の休息する事の出来ない訣を…

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青空文庫図書カード: ウィリアム・バトラー・イエーツ William Butler Yeats 芥川龍之介訳『春の心臓』

現代語化

「お前には、俺がなぜ落ち着けないのか話そう。隠す必要はない。お前はこの5年以上、忠実に、時には愛情を持って俺に仕えた。おかげで俺は、賢者が悩まされる孤独感を少しは紛らわせることができた。それに俺は、戒めの終わりと願望の成就が近い。だからお前にその理由を知る必要があるんだ」
「先生、私が伺いたかったことをおっしゃってください。火を燃やすのも、雨が漏らないよう茅葺きをしっかりするのも、風がで飛ぶのを防ぐのも、私の仕事です。重い本を棚から下ろすのも、霊を祭った大きな掛け軸をそっと持ち上げるのも、純粋に敬虔な気持ちでいるのも、私の仕事です。それは神様が無限の知恵をすべての生き物に分け与えているからよくわかっています。私はそのとおりにするのが、私の知恵なのです」
「お前は恐れているな」
「時々、夜に先生が秦皮樹の杖を持って本を読んでいると、私は不思議なものを戸の外に見ます。灰色の巨人が榛の木々の間で豚を追い立てているかと思うと、たくさんの小人が赤い帽子をかぶって、小さな白い雌牛の群れを追いかけてきます。私は灰色の巨人ほど、小人が怖くはありません。小人はこの家に近づくと、牛の乳を絞って泡立った乳を飲み、それから踊り始めるからです。私は踊りが好きな人の心には悪意がないことをよく知っています。でもやはり小人が怖いです。それからあの空から現れて、静かにあちこちをさまよう、背が高くて腕の白い女性たちも怖いです。あの女性たちは百合や薔薇を摘んで、花冠を作ります。そして魂の宿る髪を左右に揺らしているのです。あの女性たちが話すのを聞くと、あの髪は女性たちの心が動いたままに、四方八方に乱れたり、頭の上に集まったりするのだそうです。あの女性たちは優しい、美しい顔をしていますが、エンガスよ、フオビスの子よ、私はそういうものをすべて怖がっているのです。私は妖精の国の人たちが怖いです。私はそういうものを呼び寄せる秘術が怖いです」
「お前は古い神々を恐れているのか。あの神々は、戦があるたびに、お前の祖先の槍を強くしてくれたんだぞ。お前はあの小人を恐れているのか。あの小人も昔は夜になると、湖の底から出てきて、お前の祖先の炉の上で、コオロギと一緒に歌っていたんだぞ。現代になっても、彼らは地上の美しさを守っている。でも俺は、みんなが老いて眠りに落ちる頃に、断食と戒めを続けてきた。そのわけをお前に話さなければならない。それは今一度お前の助けを借りなければ、俺の断食も戒めも成就できないからだ。お前が俺のために最後のことを成し遂げたら、お前はここを去って、自分の小屋を建て、畑を耕し、だれかと結婚して、あの神々を忘れてしまってもいい。俺は伯爵や騎士や従者から贈られた金貨と銀貨を全部貯めておいた。それは俺が彼らを魔女の呪いから守ったお礼に贈られたものだ。俺は伯爵や騎士や従者の妻から贈られた金貨と銀貨も全部貯めておいた。それは俺が妖精の国の人たちが家畜の乳を干からびさせたり、攪乳器からバターを盗まないように守ってやったお礼に贈られたものだ。俺はまたそれを自分の仕事の終わりの日のために貯めてきた。その終わりも近くなったから、お前の家の棟木を丈夫にするためにも、お前の貯蔵庫や台所を満たすためにも、お前は金貨や銀貨に困らないだろう。俺は、生涯を通じて、生命の秘密を見つけようとしてきた。俺は若い頃を幸せに過ごさなかった。それは俺が、老いが来ることを知っていたからだ。こうして俺は青年期と壮年期と老年期を通じて、この大いなる秘密を求めるために一身を捧げたんだ。俺は数世紀にわたる悠久なる命に憧れて、80年で終わる人生を軽蔑したんだ。俺はこの国の古い神々のようになりたかった。――いや今もなりたいと思っている。俺は若い時にスペインの修道院で見つけたヘブライ語の文書を読んで、こういうことを知った。太陽が牡羊座に入ってから獅子座を通過する前に、不死の霊たちの歌に震える一瞬がある。そして誰でもこの瞬間を見出して、その歌に耳を傾けた者は必ず、不死の霊たちと一体になれる。俺はアイルランドに帰ってから、多くの妖精使いと牛医にこの瞬間がいつなのか尋ねた。彼らは皆聞いていた。しかし砂時計の上で、この瞬間を見つけることができた者は一人もいなかった。だから俺は一身を魔術に捧げて、神々や妖精の助けを得るために生涯を断食と戒めに費やした。そして今の精霊の一人がついにその瞬間の到来を俺に告げてくれたんだ。それは赤い帽子をかぶって、新鮮な乳の泡で唇を白くしている精霊が、俺の耳にささやいてくれたんだ。明日、夜明け後の一時間の終わりが近づく少し前に、俺はその瞬間を見出すんだ。それから、俺は南の国に行って、オレンジの木々の間に大理石の宮殿を建て、騎士や淑女に囲まれて、永遠の若さの王国に入るつもりだ。でも俺がその歌を全部聞くためには、お前はたくさんの青葉の枝を持ってきて、それを俺の部屋の入り口と窓に積み上げなければならない。――これは新しい乳の泡を唇につけている小人が俺に話してくれたんだ。――お前はまた新鮮な緑のシダを床に敷き、さらに机とシダを、僧侶たちが持っていたバラとユリで覆わなければならない。お前は今夜中にこれをやらなければいけない。そして夜が明けたら、夜明け後の一時間の終わりにここに来て俺に会わなければならない」
「その時にはすっかり若返っていらっしゃるのでしょうか」
「その頃にはお前と同じくらい若くなっているつもりだ。でも今は、まだ年を取っているし疲れている。お前は俺を私の椅子と本のところまで連れて行ってくれなければいけない」

原文 (会話文抽出)

「己はお前に、己の休息する事の出来ない訣を話して聞かせよう。何も隠す必要はない。お前は此五年有余の年月を、忠実に、時には愛情を以て己に仕へてくれた。己は其おかげで、何時の世にも賢哲を苦める落莫の情を、僅なりとも慰める事が出来たのだ。其上己の戒行の終と心願の成就とも、今は目の前に迫つてゐる。それ故お前は一層此訣を知る必要があるのだ。」
「御師匠様、私があなたにおたづね申したいやうに思召して下さいますな。火をおこして置きますのも、雨の洩らぬやうに茅葺を緊くして置きますのも、遠い林の中へ風に吹飛されませぬやうに茅葺きを丈夫にして置きますのも、皆私の勤でございます。重い本を棚から下しますのも、精霊の名を連ねた大きな画巻を其隅から擡げますのも、其間は純一な敬虔な心になつて居りますのも、亦皆私の勤でございます。それは神様が其無量の智慧をありとあらゆる生き物にお分ちなさいましたのを、私はよく存じて居るからでございます。そしてそのやうな事を致しますのが、私の智慧なのでございます。」
「お前は恐れてゐるな。」
「時によりますと夜、あなたが秦皮樹の杖を持つて、本をよんでお出になりますと、私は戸の外に不思議な物を見ることがございます。灰色の巨人が榛の間に豕を駆つて行くかと思ひますと、大ぜいの矮人が紅い帽子をかぶつて、小さな白い牝牛を、其前に逐つて参ります。私は灰色の人ほど、矮人を怖くは思ひませぬ。それは矮人が此家に近づきますと、牛の乳を搾つて其泡立つた乳を飲み、それから踊りをはじめるからでございます。私は踊の好きな者の心には、邪のないのをよく知つて居ります。けれども私は矢張矮人が恐しうございます。それから私は、あの空から現れて、静に其処此処をさまよひ歩く、丈の高い、腕の白い、女子たちも怖うございます。あの女子たちは百合や薔薇をつんで、花冠に致します。そしてあの魂のある髪の毛を左右に振つてゐるのでございます。其女子たちの互に話すのをききますと、その髪は女子たちの心が、動きますままに、或は四方に乱れたり、或は頭の上に集つたりするのだと申します。あの女子たちはやさしい、美しい顔をして居りますが、エンガスよ、フオビスの子よ、私はすべてあのやうな物が怖いのでございます。私は精霊の国の人が怖いのでございます。私はあのやうな物をひきよせる、秘術が怖いのでございます。」
「お前は古の神々を恐れるのか。あの神々が、戦のある毎に、お前の祖先の槍を強うしてくれたのだぞ。お前はあの矮人たちを恐れるのか。あの矮人たちも昔は夜になると、湖の底から出て来て、お前の祖先の炉の上で、蟋蟀と共に唄つたのだぞ。此末世になつても、猶彼等は地上の美しさを守つてゐるのだ。が、己は先づ他人が老年の眠に沈む時に、己一人断食もすれば戒行もつとめて来た。其訳をお前に話して聞かさなければならぬ。それは今一度お前の扶を待たなくては、己の断食も戒行も成就する事が出来ないからだ。お前が己の為に此最後の事を為遂げたなら、お前は此処を去つて、お前の小屋を作り、お前の畑を耕し、誰なりとも妻を迎へて、あの神々を忘れてしまふがよい。己は伯爵や騎士や扈従から贈られた金貨と銀貨とを悉く貯へて置いた。それは己が彼等を蠱眼や恋に誘はうとする魔女共の呪咀から、守つてやつた為に贈られたのだ。己は伯爵や騎士や扈従の妻から贈られた金貨と銀貨とを悉、貯へて置いた。それは己が精霊の国の人たちが彼等の飼つてゐる家畜の乳房を干上らしてしまはぬやうに、彼等の攪乳器の中から牛酪を盗んでしまはぬやうに、守つてゐてやつたら贈られたのだ。己は又之を己の仕事の終る日の為に貯へた。其終も間近くなつたからは、お前の家の棟木を強うする為にも、お前の窖や火食房を充たす為にも、お前は金貨や銀貨に不足する事はない。己は、己の全生涯を通じて、生命の秘密を見出さうとしたのだ。己は己の若い日を幸福に暮さなかつた。それは己が、老年の来ると云ふ事を知つてゐたからであつた。この様にして己は青年と壮年と老年とを通じて、この大いなる秘密を求むる為に一身を捧げたのだ。己は数世紀に亘るべき悠久なる生命にあこがれて、八十春秋に終る人生を侮蔑したのだ。己は此国の古の神々の如くにならうと思つた。――いや己は今もならうと思つてゐる。己は若い時に己が西班牙の修道院で発見した希伯来の文書を読んで、かう云ふ事を知つた。太陽が白羊宮に入つた後、獅子宮を過ぎる前に、不死の霊たちの歌を以て震へ動く一瞬間がある。そして誰でも此瞬間を見出して、其歌に耳を傾けた者は必、不死の霊たちとひとしくなる事が出来る。己は愛蘭土にかへつてから、多くの精霊使ひと牛医とに此瞬刻が何時であるかと云ふことを尋ねた。彼等は皆之を聞いてゐた。けれども砂時計の上に、其瞬刻を見出し得る者は一人もなかつた。其故に己は一身を魔術に捧げて、神々と精霊との扶けを得んが為に生涯を断食と戒行とに費した。そして今の精霊の一人は遂に其瞬刻の来らんとしてゐる事を己に告げてくれた。それは紅帽子を冠つて、新らしい乳の泡で唇を白くしてゐる精霊が、己の耳に囁いてくれたのだ。明日黎明後の第一時間が終る少し前に、己は其瞬間を見出すのだ。それから、己は南の国へ行つて、橙の樹の間に大理石の宮殿を築き、勇士と麗人とに囲まれて、其処にわが永遠なる青春の王国に入らうと思ふ。けれど己が其歌を悉、聞くために、お前は多くの青葉の枝を運んで来て、それを己の室の戸口と窓とにつみ上げなければならぬ。――これは唇に新しい乳の泡をつけてゐる矮人が己に話してくれたのだ。――お前は又新らしい緑の燈心草を床に敷き、更に卓子と燈心草とを、僧人たちの薔薇と百合とで掩はなければならぬ。お前は之を今夜のうちにしなければならぬ。そして夜が明けたら、黎明後の第一時間の終に此処へ来て己に逢はなければならぬ。」
「其時にはすつかり若くなつてお出になりませうか。」
「己は其時になればお前のやうに若くなつてゐるつもりだ。けれども今は、まだ年をとつてもゐれば疲れてもゐる。お前は己を己の椅子と本との所へ、つれて行つてくれなければならぬ。」


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