太宰治 『お伽草紙』 「どうです、悪くないでせう。」…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 太宰治 『お伽草紙』

現代語化

「どう?悪くないでしょ」
「ああ、なにって」
「この紫の花、綺麗だよね」
「これですか」
「これは海の桜桃の花。ちょっとスミレに似てるね。この花びらを食べると、いい感じに酔えるよ。竜宮のお酒。それから、あの岩みたいなのは藻。何万年も経ってるから、こんなに岩みたいだけど、羊かんより柔らかいんだって。竜宮で最高の食べ物だよ。岩によって味が違うんだ。竜宮ではこの藻を食べて、花びらで酔って、喉が渇いたら桜桃をなめながら、乙姫様の琴の音を聞いて、生きた花吹雪みたいな小魚の舞を眺めて暮らしてるんだよ。どう?竜宮は歌と踊り、美食とお酒の国だって言ってたでしょ?どう?想像と違った?」
「わかってるよ。あんたの想像は、さぞかし大騒ぎで、鯛やマグロの刺身が盛られた皿、赤い着物の女の踊り、金銀珊瑚がキラキラ光ってて」
「まさか」
「俺はそんなに俗っぽくないよ。それに、自分は孤独だと思ってたけど、ここに来て、本当に孤独な方にお会いして、俺の今までの生活が恥ずかしくなったよ」
「あの方のこと?」
「あの方は、孤独じゃないよ。平気なんだ。野心があるから孤独とか気にしない。他の世界のことなんて眼中になくて、百年千年ひとりでいても楽しめる。批評なんて気にならない人にとってはね。ところで、あんたどこ行くの?」
「いや、別に」
「だって、あの方が」
「乙姫様はあんたをどこか案内するつもりじゃないよ。もう、あんたのことは忘れてるよ。自分の部屋に帰るんだろう。しっかりして。ここは竜宮なんだよ、この場所が。案内するようなところなんてない。ここで、好きなように遊んでればいいでしょ。それじゃ足りないの?」
「からかわないでくれよ。俺、どうしたらいいんだよ」
「だって、あの方がお出迎えしてたから、別に俺が偉上がったわけじゃないけど、あの方のあとについてくのが礼儀だと思ったんだよ。別に足りないなんて思ってないよ。なのに、俺に何か下心があるみたいに変な言い方をするんだ。あんた、意地悪いよ。ひどいよ。俺は生まれてこんなに恥ずかしい思いをしたことないよ。本当にひどいよ」
「そんなに気にしないで。乙姫様は、のんびりしてるよ。あんたは陸上からはるばるやってきた珍客で、それに俺の恩人だからお出迎えするのは当然さ。しかも、あんたはさっぱりしてるし、男前だし。いや、冗談だよ。偉そうにならないの。とにかく、乙姫様は家に来た珍客を階段まで出迎えて、あんたの好きなように過ごしてほしいって、知らない振りして自分の部屋に戻るんだ。俺たちも乙姫様の考えてることがよくわかんない。だって、のんびりしてるから」
「ああ、そう言われてみると、少しわかった気がするよ。あんたの推測も、だいたい合ってるみたい。これが、本当の人の接待なんじゃないかな。客を迎えて客を忘れる。しかも、客の周りには美酒珍味が雑に置いてある。歌や音楽も、客をもてなそうとしてやってるわけじゃない。乙姫様は人に聞かせるつもりじゃなくて琴を弾く。魚たちは人に喜んでもらおうと思って舞ってるわけじゃない。客の褒め言葉を期待してない。客もそれに感動してるフリをする必要もない。寝転がって知らんぷりしててもいいんだ。主人はもう客のことは忘れてる。しかも、自由に遊んでいいって許可が与えられてるんだ。食べたいときに食えばいいし、酔っ払って琴の音を夢中で聞いてても失礼じゃないんだ。ああ、客をもてなすには、こうあるべきなんだ。くだらない料理を勧めたり、お世辞を言い合ったり、つまらないことで笑ったり、ありきたりなことに大袈裟に驚いたり、ウソばっかりの社交をして、自分はエラい客あしらいしてるつもりでいるケチな小利口どもに、この竜宮の鷹揚なもてなしを見せたい。あいつらは自分の品位が落ちないかばかりを気にして、客に警戒して、自分で空回りして、誠意なんてかけらもないんだ。なんだよ、あれ。お酒一杯飲んだだけでも、飲ませた、いただきました、って証文取り交わすなんて、くだらねえ」
「そうそう、その調子」
「でも、興奮しすぎて心臓麻痺起こしても困るよ。この藻の岩に座って、桜桃の酒でも飲もうよ。桜桃の花びらだけだと、初めての人は匂いが強すぎるかもしれないから、桜桃5〜6粒と一緒に乗せると、しゅっと溶けてちょうどいい爽快なお酒になる。混ぜ合わせるだけでいろんな味になるから、自分で好きなように作ってみて」

原文 (会話文抽出)

「どうです、悪くないでせう。」
「ああ、なに、」
「この花は、この紫の花は綺麗だね。」
「これですか。」
「これは海の桜桃の花です。ちよつと菫に似てゐますね。この花びらを食べると、それは気持よく酔ひますよ。竜宮のお酒です。それから、あの岩のやうなもの、あれは藻です。何万年も経つてゐるので、こんな岩みたいにかたまつてゐますが、でも、羊羹よりも柔いくらゐのものです。あれは、陸上のどんなごちそうよりもおいしいですよ。岩によつて一つづつみんな味はひが違ひます。竜宮ではこの藻を食べて、花びらで酔ひ、のどが乾けば桜桃を含み、乙姫さまの琴の音に聞き惚れ、生きてゐる花吹雪のやうな小魚たちの舞ひを眺めて暮してゐるのです。どうですか、竜宮は歌と舞ひと、美食と酒の国だと私はお誘ひする時にあなたに申し上げた筈ですが、どうですか、御想像と違ひましたか?」
「わかつてゐますよ。あなたの御想像は、まあドンヂヤンドンヂヤンの大騒ぎで、大きなお皿に鯛のさしみやら鮪のさしみ、赤い着物を着た娘つ子の手踊り、さうしてやたらに金銀珊瑚綾錦のたぐひが、――」
「まさか、」
「私はそれほど卑俗な男ではありません。しかし、私は自分を孤独な男だと思つてゐた事などありましたが、ここへ来て真に孤独なお方にお目にかかり、私のいままでの気取つた生活が恥かしくてならないのです。」
「あのかたの事ですか?」
「あのかたは、何も孤独ぢやありませんよ。平気なものです。野心があるから、孤独なんて事を気に病むので、他の世界の事なんかてんで問題にしてなかつたら、百年千年ひとりでゐたつて楽なものです。それこそ、れいの批評が気にならない者にとつてはね。ところで、あなたは、どこへ行かうてんですか?」
「いや、なに、べつに、」
「だつて、お前、あのお方が、――」
「乙姫はべつにあなたを、どこかへ案内しようとしてゐるわけぢやありません。あのかたは、もう、あなたの事なんか忘れてゐますよ。あのかたは、これからご自分のお部屋に帰るのでせう。しつかりして下さい。ここが竜宮なんです、この場所が。ほかにどこも、ご案内したいやうなところもありません。まあ、ここで、お好きなやうにして遊んでゐるのですね。これだけぢや、不足なんですか。」
「いぢめないでくれよ。私は、いつたいどうしたらいいんだ。」
「だつて、あのお方がお迎へに出て下さつてゐたので、べつに私は自惚れたわけぢやないけど、あのお方のあとについて行くのが礼儀だと思つたんだよ。べつに不足だなんて考へてやしないよ。それだのに私に何か、別ないやらしい下心でもあるみたいなへんな言ひ方をするんだもの。お前は、じつさい意地が悪いよ。ひどいぢやないか。私は生れてから、こんなに体裁の悪い思ひをした事は無いよ。本当にひどいよ。」
「そんなに気にしちやいけない。乙姫は、おつとりしたものです。そりや、陸上からはるばるたづねて来た珍客ですもの、それにあなたは、私の恩人ですからね、お出迎へするのは当り前ですよ。さらにまた、あなたは、気持はさつぱりしてゐるし、男つぷりは佳し、と来てゐるから。いや、これは冗談ですよ、へんにまた自惚れられちやかなはない。とにかく、乙姫はご自分の家へやつて来た珍客を階段まで出迎へて、さうして安心して、あとはあなたのお気の向くままに勝手に幾日でもここで遊んでいらつしやるやうにと、素知らぬ振りしてああしてご自分のお部屋に引上げて行くといふわけのものぢやないんですかね。実は私たちにも、乙姫の考へてゐる事はあまりよく判らないのです。何せ、どうにも、おつとりしてゐますから。」
「いや、さう言はれてみると、私には、少し判りさうな気がして来たよ。お前の推察も、だいたいに於いて間違ひはなささうだ。つまり、こんなのが、真の貴人の接待法なのかも知れない。客を迎へて客を忘れる。しかも客の身辺には美酒珍味が全く無雑作に並べ置かれてある。歌舞音曲も別段客をもてなさうといふ露骨な意図でもつて行はれるのではない。乙姫は誰に聞かせようといふ心も無くて琴をひく。魚どもは誰に見せようといふ衒ひも無く自由に嬉々として舞ひ遊ぶ。客の讃辞をあてにしない。客もまた、それにことさらに留意して感服したやうな顔つきをする必要も無い。寝ころんで知らん振りしてゐたつて構はないわけです。主人はもう客の事なんか忘れてゐるのだ。しかも、自由に振舞つてよいといふ許可は与へられてゐるのだ。食ひたければ食ふし、食ひたくなければ食はなくていいんだ。酔つて夢うつつに琴の音を聞いてゐたつて、敢へて失礼には当らぬわけだ。ああ、客を接待するには、すべからくこのやうにありたい。何のかのと、ろくでも無い料理をうるさくすすめて、くだらないお世辞を交換し、をかしくもないのに、矢鱈におほほと笑ひ、まあ! なんて珍らしくもない話に大仰に驚いて見せたり、一から十まで嘘ばかりの社交を行ひ、天晴れ上流の客あしらひをしてゐるつもりのケチくさい小利口の大馬鹿野郎どもに、この竜宮の鷹揚なもてなし振りを見せてやりたい。あいつらはただ、自分の品位を落しやしないか、それだけを気にしてわくわくして、さうして妙に客を警戒して、ひとりでからまはりして、実意なんてものは爪の垢ほども持つてやしないんだ。なんだい、ありや。お酒一ぱいにも、飲ませてやつたぞ、いただきましたぞ、といふやうな証文を取かはしてゐたんぢや、かなはない。」
「さう、その調子。」
「しかし、あまりそんなに興奮して心臓痲痺なんか起されても困る。ま、この藻の岩に腰をおろして、桜桃の酒でも飲むさ。桜桃の花びらだけでは、はじめての人には少し匂ひが強すぎるかも知れないから、桜桃五、六粒と一緒に舌の上に載せると、しゆつと溶けて適当に爽涼のお酒になります。まぜ合せの仕方一つで、いろんな味に変化しますからまあ、ご自分で工夫して、お好きなやうなお酒を作つてお飲みなさい。」


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