太宰治 『お伽草紙』 「静かだね。おそろしいくらゐだ。地獄ぢやあ…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 太宰治 『お伽草紙』

現代語化

「静かすぎるし、不気味すぎる。ここって地獄じゃねえよな。」
「落ち着いてよ、若旦那。」
「王様のお城ってのはみんなこんなもんよ。丹後の浜の大漁踊りみたいな賑やかなお祭り騒ぎが年中続いてるなんていうくだらない空想は捨てちゃいなよ。はぁ情けない。簡素で薄暗いのが、お前らの遊びの最高潮だろ?地獄なんてふざけたこと言わないで。慣れるとこの薄暗さがたまらなく心地よくて、心がフワッと休まるんだよ。足元には気をつけてよ。滑って転んだら醜態晒すぞ。あれ、まだ草履履いてるのかよ。脱ぎなよ、失礼だろ。」
「何だよこの道。気持ち悪い。」
「道じゃねえよ。廊下だよ。お前はもう竜宮城の中に入ってるんだ。」
「そうなんだ。」
「竜宮城には雨も雪も降らない。」
「だから地上のおうちみたいに狭い屋根や壁を作る必要がないんだ。」
「でも、門には屋根があっただろ?」
「あれは目印だよ。門だけじゃなくて、乙姫のお部屋にも屋根や壁はある。でもこれもまた乙姫様の威厳を守るためのもので、雨風を防ぐためじゃない。」
「そんなもんなの?」
「その乙姫の部屋ってのはどこにあるの?見渡した限りじゃ、めちゃくちゃ寂しくて何もなくて、地獄かよって感じだけど。」
「田舎もんは困るよなぁ。デカい建物とか派手な飾りには驚いて口パクでるくせに、こんな静かな美しさには全然感動しない。浦島さん、お前の上品さも当てになんねーな。まあ、丹後の荒磯の遊び人じゃ無理もないけど。伝統の教養とか言ってるけど、聞いてて冷や汗が出るよ。正統の遊び人とかよく言うわ。こうやって実際に来てみると、田舎もん丸出しで笑えるわ。人真似だけの遊びごっこは、もういい加減やめろよ。」
「だって、何も見えないんだもん。」
「だから足元に注意しろって言ってんだろーが。この廊下は、ただの廊下じゃねえんだ。魚の橋だ。よく見てみなよ。何億匹って魚がぎっしり固まって、床みたいになってるんだぜ。」
「キモっ。」
「悪い趣味だな。これが簡素で静かな美しさなのかよ。魚の背中を踏みつけて歩くなんて、野蛮すぎだろ。何よりこの魚らがかわいそうじゃん。こんな気持ち悪い遊びは、俺みたいな田舎もんには理解できねえな。」
「いいえ、」
「私たちはここに毎日集まって、乙姫様の琴の音に聞き惚れてるんです。魚の橋は遊びのために作ったんじゃないの。気にしないで通ってください。」
「そうなんだ。」
「俺はまた、これも竜宮城の飾りかと思ったんだ。」
「それだけではあるまい。」
「ひょっとしたら、この橋も浦島さんの歓迎のために、乙姫様がわざわざ魚たちに命じて、」
「あ、これか、」
「まさか、俺がそんなに調子に乗ってるわけじゃねえよ。でもさ、お前が廊下みたいなんていい加減なこと言うから、俺もついつい、この魚ら痛くないのかよと思ってさ。
「魚の社会じゃ、床なんて必要ねえんだよ。これを地上のおうちに例えると、廊下の床くらいになるかなと思って俺もそんな風に説明しただけで、いい加減なこと言ってるわけじゃねえ。何が、魚たちが痛いと思うもんか。海底じゃ、お前の体だって紙一枚くらいの重さしかないんだよ。なんだか、自分の体がフワフワ浮いてるみたいだろ?
「もう俺は何も信じられなくなってきた。だから冒険なんてのは嫌なんだよ。だまされても、それをバレる方法がないんだから。ただもう、案内人の言う通りにするしかない。これがこうだって言われたら、それっきりに決まってんだろうが。ほんと、冒険は人を騙すよな。琴の音なんてもう何にも聞こえねえじゃねえか。」
「お前は地上で平面の生活ばっかりしてるから、目標は東西南北にあると思ってるんだろう。でも、海にはもう二つの向きがあるんだ。つまり、上と下だ。お前はさっきから、乙姫様の居場所をずーっと前にあると思ってる。そこに、お前の一番の勘違いがあるんだ。なんで頭の上を見ねえんだ?足元も見ねえんだ?海の世界は浮いて動いてるんだ。さっきの門も、あの真珠の山も、全部ちょっと浮いて動いてる。お前自身も上下左右に揺れてるから、他の物の動きが分からねえだけなんだ。お前は、ずいぶん前に進んだように思ってるかもしれないけど、実は同じ位置かもな。もしかしたら後退してるかもしれない。今は潮の関係で、どんどん後ろに流されてる。で、さっきから見ると、100尋くらいみんな一緒に上に浮いた。まあ、とにかくこの魚の橋をもう少し進んでみようぜ。ほら、魚の背中の隙間がだんだん広くなってきただろ。足を滑らせないように気をつけてよ。まあ、滑ってもストンって落ちる心配はねえけどな、何せお前も紙一枚の重さなんだから。つまり、この橋は途中で終わってるんだ。この廊下を進んでも前には何もねえ。でも、足元を見ろよ。おい、サカナども、ちょっとどけ、若旦那が乙姫様に会いに行くんだ。こいつらは、竜宮城の天蓋みたいにしてるようなもんさ。クラゲが漂う天蓋とか言ったら、お前ら遊び人喜びそうか?」

原文 (会話文抽出)

「静かだね。おそろしいくらゐだ。地獄ぢやあるまいね。」
「しつかりしてくれ、若旦那。」
「王宮といふものは皆このやうに静かなものだよ。丹後の浜の大漁踊りみたいな馬鹿騒ぎを年中やつてゐるのが竜宮だなんて陳腐な空想をしてゐたんぢやねえのか。あはれなものだ。簡素幽邃といふのが、あなたたちの風流の極致だらうぢやないか。地獄とは、あさましい。馴れてくると、この薄暗いのが、何とも言へずやはらかく心を休めてくれる。足許に気をつけて下さいよ。滑つてころんだりしては醜態だ。あれ、あなたはまだ草履をはいてゐるね。脱ぎなさいよ、失礼な。」
「何だこの道は。気持が悪い。」
「道ぢやない。ここは廊下ですよ。あなたは、もう竜宮城へはひつてゐるのです。」
「さうかね。」
「竜宮には雨も降らなければ、雪も降りません。」
「だから、陸上の家のやうにあんな窮屈な屋根や壁を作る必要は無いのです。」
「でも、門には屋根があつたぢやないか。」
「あれは、目じるしです。門だけではなく、乙姫のお部屋にも、屋根や壁はあります。しかし、それもまた乙姫の尊厳を維持するために作られたもので、雨露を防ぐためのものではありません。」
「そんなものかね。」
「その乙姫の部屋といふのは、どこにあるの? 見渡したところ冥途もかくや、蕭寂たる幽境、一木一草も見当らんぢやないか。」
「どうも田舎者には困るね。でつかい建物や、ごてごてした装飾には口をあけておつたまげても、こんな幽邃の美には一向に感心しない。浦島さん、あなたの上品もあてにならんね。もつとも丹後の荒磯の風流人ぢや無理もないがね。伝統の教養とやらも、聞いて冷汗が出るよ。正統の風流人とはよくも言つた。かうして実地に臨んでみると、田舎者まる出しなんだから恐れいる。人真似こまねの風流ごつこは、まあ、これからは、やめるんだね。」
「だつて、何も見えやしないんだもの。」
「だから、足許に気をつけなさいつて、云つてるぢやありませんか。この廊下は、ただの廊下ぢやないんですよ。魚の掛橋ですよ。よく気をつけてごらんなさい。幾億といふ魚がひしとかたまつて、廊下の床みたいな工合ひになつてゐるのですよ。」
「これは、ひどい。」
「悪い趣味だ。これがすなはち簡素幽邃の美かね。さかなの背中を踏んづけて歩くなんて、野蛮きはまる事ぢやないか。だいいちこのさかなたちに気の毒だ。こんな奇妙な風流は、私のやうな田舎者にはわかりませんねえ。」
「いいえ、」
「私たちはここに毎日集つて、乙姫さまの琴の音に聞き惚れてゐるのです。魚の掛橋は風流のために作つてゐるのではありません。かまはず、どうかお通り下さい。」
「さうですか。」
「私はまた、これも竜宮の装飾の一つかと思つて。」
「それだけぢやあるまい。」
「ひよつとしたら、この掛橋も浦島の若旦那を歓迎のために、乙姫さまが特にさかなたちに命じて、」
「あ、これ、」
「まさか、それほど私は自惚れてはゐません。でも、ね、お前はこれを廊下の床のかはりだなんていい加減を言ふものだから、私も、つい、その、さかなたちが踏まれて痛いかと思つてね。」
「さかなの世界には、床なんてものは必要がありません。これがまあ、陸上の家にたとへたならば、廊下の床にでも当るかと思つて私はあんな説明をしてあげたので、決していい加減を言つたんぢやない。なに、さかなたちは痛いなんて思ふもんですか。海の底では、あなたのからだだつて紙一枚の重さくらゐしか無いのですよ。何だか、ご自分のからだが、ふはふは浮くやうな気がするでせう?」
「私はもう何も信じる気がしなくなつた。これだから私は、冒険といふものはいやなんだ。だまされたつて、それを看破する法が無いんだからね。ただもう、道案内者の言ふ事に従つてゐなければいけない。これはこんなものだと言はれたら、それつきりなんだからね。実に、冒険は人を欺く。琴の音も何も、ちつとも聞えやしないぢやないか。」
「あなたはどうも陸上の平面の生活ばかりしてゐるから、目標は東西南北のいづれかにあるとばかり思つていらつしやる。しかし、海にはもう二元の方向がある。すなはち、上と下です。あなたはさつきから、乙姫の居所を前方にばかり求めていらつしやる。ここにあなたの重大なる誤謬が存在してゐたわけだ。なぜ、あなたは頭上を見ないのです。また、脚下を見ないのです。海の世界は浮いて漂つてゐるものです。さつきの正門も、また、あの真珠の山だつて、みんな少し浮いて動いてゐるのです。あなた自身がまた上下左右にゆられてゐるので、他の物の動いてゐるのが、わからないだけなのです。あなたは、さつきからずいぶん前方にお進みになつたやうに思つていらつしやるかも知れないけれど、まあ、同じ位置ですね。かへつて後退してゐるかも知れない。いまは潮の関係で、ずんずんうしろに流されてゐます。さうして、さつきから見ると、百尋くらゐみんな一緒に上方に浮きました。まあ、とにかくこの魚の掛橋をもう少し渡つてみませう。ほうら、魚の背中もだんだんまばらになつて来たでせう。足を踏みはづさないやうに気をつけて下さいよ。なに、踏みはづしたつて、すとんと落下する気づかひはありませんがね、何せ、あなたも紙一枚の重さなんだから。つまり、この橋は断橋なのです。この廊下を渡つても前方には何も無い。しかし、脚下を見よです。おい、さかなども、少しどけ、若旦那が乙姫さまに逢ひに行くのだ。こいつらは、かうして竜宮城の本丸の天蓋をなしてゐるやうなものです。海月なす漂へる天蓋、とでも言つたら、あなたたち風流人は喜びますかね。」


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