太宰治 『お伽草紙』 「もし、もし。」…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 太宰治 『お伽草紙』

現代語化

「こら、こら。」
「無理ないわよ。わかるわ。」
「何だよ、お前。こないだ助けてやった亀じゃないか。まだ、こんなところに、ぶらぶらしてるの?」
「ぶらついてるのか、情けない。恨むよ、若旦那。私は、こう見えても、あなたに御恩返ししたくて、あれから毎日毎晩、この浜へ来て若旦那のお越しを待ってたんだ。」
「それは、軽はずみっていうものだ。あるいは、無謀とも言えるかもしれない。また子供たちに見つかったら、どうする。今度は生きては帰れないだろう。」
「気取ってるね。また捕まったら、また若旦那に買ってもらうつもりさ。軽はずみで悪うござんしたね。私はどうしたって若旦那に、もう一度お目にかかりたかったんだからしょうがない。このしょうがない、っていうところが惚れた弱味よ。心意気を買ってくれよ。」
「身勝手な奴だ。」
「なあんだ、若旦那。矛盾してるよ。さっき自分で批評がきらいだって言ってた癖に、ご自分では、私の事を軽はずみだの無謀だの、こんどは身勝手だの、盛んに批評してるじゃないか。若旦那こそ身勝手だ。私には私の生き方があるんだからさ。ちょっとは、認めてよ。」
「私のは批評じゃない、これは、訓戒っていうものだ。忠告、と言ってもいいだろう。忠告、耳に逆らうもその行を利す、っていうやつなんだ。」
「気取らなきゃいいのに。」
「いや、もう私は、何も言わない。私のこの甲羅の上に座ってください。」
「お前は、まあ、何を言ってるんですか。私はそんな野蛮なことは嫌いなんです。亀の甲羅に座るなんて、それは狂態と言っていいでしょう。決して風流な振る舞いじゃありません。」
「どうでもいいじゃないか、そんなことは。こっちは、先日のお礼として、これから竜宮城へご案内しようとしてるだけなんだ。さあ早く私の甲羅に乗って下さい。」
「何、竜宮?」
「ふざけてないよ。お前はお酒でも飲んで酔ってるんだろう。とんでもないことを言うね。竜宮っていうのは昔から、歌に詠まれ、またおとぎ話として伝わってるけど、あれは現世にはないもの、ね、わかる?あれは、古来、私たち風流人の美しい夢、憧れ、と言ってもいいでしょう。」
「たまらないね。風流の講釈は、後でもう少し詳しく聞きますから、まあ、私の言うことを信じてとにかく私の甲羅に乗って下さい。あなたはどうも冒険の味を知らないからいけないんです。」
「おっと、お前もやっぱり、お前の妹と同じような失礼なことを言うね。そうさ、私は冒険っていうものはあまり好きじゃない。例えば、あれは、曲芸みたいなものだ。派手に見えるけど、やはり下品だ。邪道、と言ってもいいかもしれない。宿命に対する諦めがない。伝統についての教養がない。めくら蛇に恐れず、っていうようなものだ。我々正統の風流の士のひどく嫌うところのものだ。軽蔑してると言ってもいいかもしれない。私は先人のおだやかな道を、まっすぐに歩きたい。」
「ぷ!」
「その先人の道こそ、冒険の道じゃないんですか。いや、冒険なんて下手な言葉を使うから何か血なまぐさくて不潔なならず者みたいな感じがするけど、信じようとする力っていう言葉に変えたらどうでしょう。あの谷の向こう側に確かに美しい花が咲いてるって信じられた人だけが、ためらいなく藤蔓につかまって向こう側に渡るんです。それを人は曲芸だと思ったり、あるいは喝采したり、あるいは何の人気取りめかって嫌ったりします。でも、それは絶対に曲芸師の綱渡りとは違うんです。藤蔓につかまって谷を渡ってる人は、ただ向こう側の花を見たいだけなんです。自分が今冒険してるなんて、そんな卑しい見栄みたいなものは持っていません。なんの冒険が自慢になるんですか。ばかばかしい。信じてることなんです。花のあることを信じきってるんです。そんな姿っていうのを、まあ、仮に冒険と呼んでるだけです。あなたに冒険心がないっていうのは、あなたには信じる力がないっていうことです。信じることって、下品ですか。信じることって、邪道ですか。どうも、あなた方は、信じないことを誇りにして生きてるんだから、始末が悪いですね。それはね、頭の良さじゃないんですよ。もっと卑しいものなのですよ。ケチっていうものです。損をしたくないっていうことばかり考えてる証拠ですよ。ご安心なさい。誰も、あなたに、ものをねだったりしませんよ。人の親切をさえ、あなたたちは素直に受け取ることさえ知らないんだからなあ。あとのお返しが大変だ、なんてね。いや、どうも、風流の士っていうのは、ケチなもんだ。」
「ひどいことを言いますね。妹や弟にさんざん言われて、浜に出ると、今度は助けてやった亀にまで同じような失敬な批評を加えられる。どうも、自分自身の持つ伝統の誇りに自信がない奴は、好き放題のことを言うものですね。一種のやけっぱちな言動と言っていいでしょう。私にはすべてよくわかっています。私の口から言うべきことではありませんが、お前たちの宿命と私の宿命には、とても大きな格差があります。生まれた時から、もう違うんです。私のせいではありません。それは神様から与えられたものです。でも、お前たちには、それがどうやらとても腹立たしいらしい。あれこれと言って、私の宿命をお前たちの宿命にまで引き下げようとしてるけど、でも、神様の配剤、人間の力ではどうすることもできませんよ。お前は私を竜宮城へ連れて行くなんて大ボラを吹いて、私と対等な付き合おうとしてるみたいだけど、もういいんです、私には何もかもよくわかっているんだから、あまり強がらずにさっさと海の底のお前の住居へ帰りなさい。なんだ、せっかく私が助けてやったのに、また子供たちに捕まったら何もなりません。お前たちこそ、人の親切を素直に受け取る方法を知らないんです。」
「えへへ、」
「せっかくだから助けてやったのに恐れ入ります。紳士は、これだから、いやですね。自分が人に親切にするのは、たいへんな美徳で、それで内心ちょっとお礼を期待してるくせに、人の親切には、いやもうひどい警戒心で、あいつと対等な付き合いになってはたまらないなどと考えてるんだから、げんなりしますよ。それじゃ私だって言いますが、あなたが私を助けてくれたのは、私が亀で、それに、いじめてる相手が子供だったからでしょう。亀と子供じゃあ、その間に入って仲裁しても、後腐れがありませんからね。それに、子供たちには、五文のお金でも大金ですからね。でも、まあ、五文とは値切ったもんです。私は、もう少し出すかと思ってました。あなたのケチには、あきれましたよ。私の体の値段が、たった五文かと思ったら、私は情けなくなりましたね。それにしてもあの時、相手が亀と子供だったから、あなたは五文でも出して仲裁したんだ。まあ、気まぐれですね。でも、あの時の相手が亀と子供じゃなくて、例えば、荒っぽい漁師が病気の乞食をいじめてたら、あなたは五文どころか、一文だって出さず、いや、ただ顔をしかめて急ぎ足で通り過ぎたに違いありませんよ。あなたたちは、人生のリアルな姿を見せつけられるのを、とてもとても、いやがるからね。それこそご自身の高級な宿命に、汚物を浴びせられたような気がするらしい。あなたたちの親切は、遊びです。享楽です。亀だから助けたんだ。子供だからお金をやったんだ。荒っぽい漁師と病気の乞食の場合は、まっぴらごめんだ。現実の生臭い風にお顔を撫でられるのが、とてもとても、いやなんです。お手を、汚すのがいやなんです。なんてね、こんなのを、聞いたふうのこと、って言うんですよ、浦島さん。あなたは怒りませんよね。だって、私はあなたが好きなんですもの、いや、怒るのかな? あなたのみたいに上流の宿命を持ってる方々は、私たち下賤なものに好かれることさえ不名誉だと思ってるらしいのだから始末が悪い。まして私は亀なんだからな。亀に好かれたんじゃあ気持ちが悪い、でも、まあ許してよ、好き嫌いは理屈じゃないんです。あなたに助けられたから好きっていうわけでもありませんし、あなたが風流人だから好きっていうわけでもないんです。ただ、ぱっと好きになっちゃったんです。好きだから、あなたの悪口を言ったり、あなたをからかったりしたくなります。これがつまり私たち爬虫類の愛情表現のやり方なんです。どうもね、爬虫類だからね、蛇の仲間だからね、信用できないのは無理もありませんよ。でも私は、エデンの園の蛇じゃないんです、生意気ですが日本の亀です。あなたを竜宮城へ連れて行って堕落させようなんて、目論んでるわけじゃないんです。心意気を買ってください。私はただ、あなたと一緒に遊びたいんです。竜宮城へ行って遊びたいんです。あの国には、やかましい批評なんかないんです。みんな、のんびり暮らしてますよ。だから、遊ぶにはもってこいの場所なんです。私は陸にもこうやって上がって来れるし、また海の底へも、潜っていけるから、両方の暮らしを比較して眺めることができますが、どうも、陸上生活は騒がしいですね。お互い批評が多すぎますよ。人間ってさ、いつも人の悪口言ったり、自分のことばかり自慢したりするよね。もううんざり。」
「私も昔はちょっとそうだったけど、今は考え方が変わったよ。でも、批評することって面白くてやめられないんだよね。でも、これって文明病みたいなものかも。」
「もう、自分が人間なのか魚なのか分からなくなってきたよ。コウモリみたい。海底の異端者って感じかな。」
「竜宮城は遊び場としては最高なんだけど、ちょっと飽きてきたんだ。でも、君たちみたいな人が楽しめる場所だよ。歌や踊り、おいしいものがいっぱいある。君も批評するの嫌いだって言ってたじゃん?竜宮城は批評なんてしないんだよ。」
「え、そんなとこ本当にあるの?」
「嘘だと思ってるの?信じなさいよ。実行に移さずに、ただ憧れてるだけじゃダメだよ。つまんない。」
「わかったよ、わかったよ。じゃあ、連れてって。」
「よし、じゃあ乗っかってみろ。」
「ちょっと目を閉じて。」
「え、吐くかも。」
「汚い客だな。まだ目を閉じてるのかよ。もう開けてもいいよ。景色見てたら気持ち悪くなるのも忘れちゃうから。」
「竜宮城か。」
「まだ着いてないよ。竜宮城はもっと深いところにあるんだ。」
「へぇー。」
「海って広いね。」
「海なんて知らないくせに、よくそんなこと言えるね。君の家の井戸よりは広いよ。」

原文 (会話文抽出)

「もし、もし。」
「無理もねえよ。わかるさ。」
「なんだ、お前。こなひだ助けてやつた亀ではないか。まだ、こんなところに、うろついてゐたのか。」
「うろついてゐたのか、とは情無い。恨むぜ、若旦那。私は、かう見えても、あなたに御恩がへしをしたくて、あれから毎日毎晩、この浜へ来て若旦那のおいでを待つてゐたのだ。」
「それは、浅慮といふものだ。或いは、無謀とも言へるかも知れない。また子供たちに見つかつたら、どうする。こんどは、生きては帰られまい。」
「気取つてゐやがる。また捕まへられたら、また若旦那に買つてもらふつもりさ。浅慮で悪うござんしたね。私は、どうしたつて若旦那に、もう一度お目にかかりたかつたんだから仕様がねえ。この仕様がねえ、といふところが惚れた弱味よ。心意気を買つてくんな。」
「身勝手な奴だ。」
「なあんだ、若旦那。自家撞着してゐますぜ。さつきご自分で批評がきらひだなんておつしやつてた癖に、ご自分では、私の事を浅慮だの無謀だの、こんどは身勝手だの、さかんに批評してやがるぢやないか。若旦那こそ身勝手だ。私には私の生きる流儀があるんですからね。ちつとは、みとめて下さいよ。」
「私のは批評ではない、これは、訓戒といふものだ。諷諫、といつてもよからう。諷諫、耳に逆ふもその行を利す、といふわけのものだ。」
「気取らなけれあ、いい人なんだが。」
「いや、もう私は、何も言はん。私のこの甲羅の上に腰かけて下さい。」
「お前は、まあ、何を言ひ出すのです。私はそんな野蛮な事はきらひです。亀の甲羅に腰かけるなどは、それは狂態と言つてよからう。決して風流の仕草ではない。」
「どうだつていいぢやないか、そんな事は。こつちは、先日のお礼として、これから竜宮城へ御案内しようとしてゐるだけだ。さあ早く私の甲羅に乗つて下さい。」
「何、竜宮?」
「おふざけでない。お前はお酒でも飲んで酔つてゐるのだらう。とんでもない事を言ひ出す。竜宮といふのは昔から、歌に詠まれ、また神仙譚として伝へられてゐますが、あれはこの世には無いもの、ね、わかりますか? あれは、古来、私たち風流人の美しい夢、あこがれ、と言つてもいいでせう。」
「たまらねえ。風流の講釈は、あとでゆつくり伺ひますから、まあ、私の言ふ事を信じてとにかく私の甲羅に乗つて下さい。あなたはどうも冒険の味を知らないからいけない。」
「おや、お前もやつぱり、うちの妹と同じ様な失礼な事を言ふね。いかにも私は、冒険といふものはあまり好きでない。たとへば、あれは、曲芸のやうなものだ。派手なやうでも、やはり下品だ。邪道、と言つていいかも知れない。宿命に対する諦観が無い。伝統に就いての教養が無い。めくら蛇におぢず、とでもいふやうな形だ。私ども正統の風流の士のいたく顰蹙するところのものだ。軽蔑してゐる、と言つていいかも知れない。私は先人のおだやかな道を、まつすぐに歩いて行きたい。」
「ぷ!」
「その先人の道こそ、冒険の道ぢやありませんか。いや、冒険なんて下手な言葉を使ふから何か血なまぐさくて不衛生な無頼漢みたいな感じがして来るけれども、信じる力とでも言ひ直したらどうでせう。あの谷の向う側にたしかに美しい花が咲いてゐると信じ得た人だけが、何の躊躇もなく藤蔓にすがつて向う側に渡つて行きます。それを人は曲芸かと思つて、或いは喝采し、或いは何の人気取りめがと顰蹙します。しかし、それは絶対に曲芸師の綱渡りとは違つてゐるのです。藤蔓にすがつて谷を渡つてゐる人は、ただ向う側の花を見たいだけなのです。自分がいま冒険をしてゐるなんて、そんな卑俗な見栄みたいなものは持つてやしないんです。なんの冒険が自慢になるものですか。ばかばかしい。信じてゐるのです。花のある事を信じ切つてゐるのです。そんな姿を、まあ、仮に冒険と呼んでゐるだけです。あなたに冒険心が無いといふのは、あなたには信じる能力が無いといふ事です。信じる事は、下品ですか。信じる事は、邪道ですか。どうも、あなたがた紳士は、信じない事を誇りにして生きてゐるのだから、しまつが悪いや。それはね、頭のよさぢやないんですよ。もつと卑しいものなのですよ。吝嗇といふものです。損をしたくないといふ事ばかり考へてゐる証拠ですよ。御安心なさい。誰も、あなたに、ものをねだりやしませんよ。人の深切をさへ、あなたたちは素直に受取る事を知らないんだからなあ。あとのお返しが大変だ、なんてね。いや、どうも、風流の士なんてのは、ケチなもんだ。」
「ひどい事を言ふ。妹や弟にさんざん言はれて、浜へ出ると、こんどは助けてやつた亀にまで同じ様な失敬な批評を加へられる。どうも、われとわが身に伝統の誇りを自覚してゐない奴は、好き勝手な事を言ふものだ。一種のヤケと言つてよからう。私には何でもよくわかつてゐるのだ。私の口から言ふべき事では無いが、お前たちの宿命と私の宿命には、たいへんな階級の差がある。生れた時から、もう違つてゐるのだ。私のせゐではない。それは天から与へられたものだ。しかし、お前たちには、それがよつぽど口惜しいらしい。何のかのと言つて、私の宿命をお前たちの宿命にまで引下さうとしてゐるが、しかし、天の配剤、人事の及ばざるところさ。お前は私を竜宮へ連れて行くなどと大法螺を吹いて、私と対等の附合ひをしようとたくらんでゐるらしいが、もういい、私には何もかもよくわかつてゐるのだから、あまり悪あがきしないでさつさと海の底のお前の住居へ帰れ。なんだ、せつかく私が助けてやつたのに、また子供たちに捕まつたら何にもならぬ。お前たちこそ、人の深切を素直に受け取る法を知らぬ。」
「えへへ、」
「せつかく助けてやつたは恐れいる。紳士は、これだから、いやさ。自分がひとに深切を施すのは、たいへんの美徳で、さうして内心いささか報恩などを期待してゐるくせに、ひとの深切には、いやもうひどい警戒で、あいつと対等の附合ひになつてはかなはぬなどと考へてゐるんだから、げつそりしますよ。それぢや私だつて言ひますが、あなたが私を助けてくれたのは、私が亀で、さうして、いぢめてゐる相手は子供だつたからでせう。亀と子供ぢやあ、その間にはひつて仲裁しても、あとくされがありませんからね。それに、子供たちには、五文のお金でも大金ですからね。しかし、まあ、五文とは値切つたものだ。私は、も少し出すかと思つた。あなたのケチには、呆れましたよ。私のからだの値段が、たつた五文かと思つたら、私は情無かつたね。それにしてもあの時、相手が亀と子供だつたから、あなたは五文でも出して仲裁したんだ。まあ、気まぐれだね。しかし、あの時の相手が亀と子供でなく、まあ、たとへば荒くれた漁師が病気の乞食をいぢめてゐたのだつたら、あなたは五文はおろか、一文だつて出さず、いや、ただ顔をしかめて急ぎ足で通り過ぎたに違ひないんだ。あなたたちは、人生の切実の姿を見せつけられるのを、とても、いやがるからね。それこそ御自身の高級な宿命に、糞尿を浴びせられたやうな気がするらしい。あなたたちの深切は、遊びだ。享楽だ。亀だから助けたんだ。子供だからお金をやつたんだ。荒くれた漁師と病気の乞食の場合は、まつぴらなんだ。実生活の生臭い風にお顔を撫でられるのが、とてもとても、いやなんだ。お手を、よごすのがいやなのさ。なんてね、こんなのを、聞いたふうの事、と言ふんですよ、浦島さん。あなたは怒りやしませんね。だつて、私はあなたを好きなんだもの、いや、怒るかな? あなたのやうに上流の宿命を持つてゐるお方たちは、私たち下賤のものに好かれる事をさへ不名誉だと思つてゐるらしいのだから始末がわるい。殊に私は亀なんだからな。亀に好かれたんぢやあ気味がわるいか、しかし、まあ勘弁して下さいよ、好き嫌ひは理窟ぢや無いんだ。あなたに助けられたから好きといふわけでも無いし、あなたが風流人だから好きといふのでも無い。ただ、ふつと好きなんだ。好きだから、あなたの悪口を言つて、あなたをからかつてみたくなるんだ。これがつまり私たち爬虫類の愛情の表現の仕方なのさ。どうもね、爬虫類だからね、蛇の親類なんだからね、信用のないのも無理がねえよ。しかし私は、エデンの園の蛇ぢやない、はばかりながら日本の亀だ。あなたに竜宮行きをそそのかして堕落させようなんて、たくらんでゐるんぢやねえのだ。心意気を買つてくんな。私はただ、あなたと一緒に遊びたいのだ。竜宮へ行つて遊びたいのだ。あの国には、うるさい批評なんか無いのだ。みんな、のんびり暮してゐるよ。だから、遊ぶにはもつて来いのところなんだ。私は陸にもかうして上つて来れるし、また海の底へも、もぐつて行けるから、両方の暮しを比較して眺める事が出来るのだが、どうも、陸上の生活は騒がしい。お互ひ批評が多すぎるよ。陸上生活の会話の全部が、人の悪口か、でなければ自分の広告だ。うんざりするよ。私もちよいちよいかうして陸に上つて来たお蔭で、陸上生活に少しかぶれて、それこそ聞いたふうの批評なんかを口にするやうになつて、どうもこれはとんでもない悪影響を受けたものだと思ひながらも、この批評癖にも、やめられぬ味がありまして、批評の無い竜宮城の暮しにもちよつと退屈を感ずるやうになつたのです。どうも、悪い癖を覚えたものです。文明病の一種ですかね。いまでは私は、自分が海の魚だか陸の虫だか、わからなくなりましたよ。たとへばあの、鳥だか獣だかわからぬ蝙蝠のやうなものですね。悲しき性になりました。まあ海底の異端者とでもいつたやうなところですかね。だんだん故郷の竜宮城にも居にくくなりましてね、しかし、あそこは遊ぶには、いいところだ、それだけは保証します。信じて下さい。歌と舞ひと、美食と酒の国です。あなたたち風流人には、もつて来いの国です。あなたは、さつき批評はいやだとつくづく慨歎してゐたではありませんか、竜宮には批評はありませんよ。」
「本当になあ、そんな国があつたらなあ。」
「あれ、まだ疑つてゐやがる。私は嘘をついてゐるのぢやありません。なぜ私を信じないんです。怒りますよ。実行しないで、ただ、あこがれて溜息をついてゐるのが風流人ですか。いやらしいものだ。」
「それぢやまあ仕方が無い。」
「仰せに随つて、お前の甲羅に腰かけてみるか。」
「言ふ事すべて気にいらん。」
「腰かけてみるか、とは何事です。腰かけてみるのも、腰かけるのも、結果に於いては同じぢやないか。疑ひながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どつちにしたつて引返すことは出来ないんだ。試みたとたんに、あなたの運命がちやんときめられてしまふのだ。人生には試みなんて、存在しないんだ。やつてみるのは、やつたのと同じだ。実にあなたたちは、往生際が悪い。引返す事が出来るものだと思つてゐる。」
「わかつたよ、わかつたよ。それでは信じて乗せてもらはう!」
「よし来た。」
「ちよつと眼をつぶつて。」
「水深千尋。」
「吐いてもいいか。」
「なんだ、へどを吐くのか。」
「きたねえ船客だな。おや、馬鹿正直に、まだ眼をつぶつてゐやがる。これだから私は、太郎さんが好きさ。もう眼をあいてもよござんすよ。眼をあいて、よもの景色をごらんになつたら、胸の悪いのなんかすぐになほつてしまひます。」
「竜宮か。」
「何を言つてるんだ。まだやつと水深千尋ぢやないか。竜宮は海底一万尋だ。」
「へええ。」
「海つてものは、広いもんだねえ。」
「浜育ちのくせに、山奥の猿みたいな事を言ふなよ。あなたの家の泉水よりは少し広いさ。」


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