太宰治 『女の決闘』 「どうしたの。」…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 太宰治 『女の決闘』

現代語化

「どうしたの?」
「見つかった、感づかれた」
「あなたよりは、あなたの奥さんの方が、きっぱりしてるみたいです。私に決闘を申し込んできました」
「そうか、やっぱりそうか」
「あいつはそんな無茶なことをやらかして、私の名声に傷をつけて、心からの復讐をしようとしてる。おかしいと思ってたんだ。ゆうべ、私に、いつもにないやさしい口調で、あなたも今月はずいぶんお仕事なさいましたし、気休めにどこか田舎へ遊びにいらっしゃい。お金も今月はどっさり余分にございます。あなたのお疲れのお顔を見ると、私までなんだか苦しくなります。この頃、私にも少しずつ、芸術家の苦労というものがわかりかけてまいりました。と、そんなことをぬかすので、私も、ははあ、これは何かあるな、と感づき、何食わぬ顔して、それに同意し、今朝旅行に出たふりしてまた引き返して、家の中庭の隅にしゃがんで見張ってたんだ。夕方あいつは家を出て、いつどこで誰から聞いて知ってたのか、お前のこの下宿へ真っ直ぐやって来て、おかみと何やら話してたが、やがて出て来て、こんどは下町へ出かけ、ある店の飾り窓の前に、ぴったり張り付いて動かなかった。その飾り窓には、野鴨の剥製やら、鹿の角やら、いたちの毛皮などがあり、私は遠くから見てたのであるが、はじめは何の店やら判断がつかなかった。そのうち、あいつはすっと店の中へ入ってしまったので、私も安心して、その店に近づいて見ることができたのだが、なんと驚いた、いや驚いたというのは嘘で、ああそうか、というような納得の気持ちだったのかな? 野鴨の剥製やら、鹿の角やら、いたちの毛皮に飾られて、十数挺の猟銃が黒い銃身を鈍く光らせて、飾り窓の下に並んで横になっていた。拳銃もある。私には皆わかるのだ。人生が、このような黒い銃身の光と、じかに結びつくなどは、普段とても考えられないことであるが、その時の私のうつろな絶望の胸には、とてもリリカルにしみて来たんだ。銃身の黒い光は、これは、命の最後の詩だと思った。パアンと店の裏で拳銃の音がする。続いて、また一発。私は危うく涙を落としそうになった。そっと店の扉を開け、内を窺っても、店はがらんとして誰もいない。私は入った。相次ぐ銃声をたよりに、ずんずん奥へ進んだ。見ると薄暗い中庭で、女房と店の主人が並んで立って、今まさに女房が主人に教わり、最初の一発を的に向かってぶっ放すところであった。女房の拳銃は火を放った。けれども弾丸は、三歩ほど前の地面に当たり、はねかれて、窓に当たった。窓ガラスはがらがらと鳴って割れ、どこか屋根の上に隠れて止まってた一群の鳩が驚いて飛び立って、ただでさえ暗い中庭を、さっと一層暗くした。私は再び涙ぐむのを覚えた。あの涙は何だろう。憎しみの涙か、恐怖の涙か。いやいや、ひょっとしたら女房への不憫さの涙だったかも知れないね。とにかくこれでわかった。あれはそんな女だ。いつでも冷たく忍従して、そのくせ、やるとなったら、世間を顧みずやり遂げる。ああ、私はそれを頼もしい性格だと思ったことさえある! 芋の煮付けが上手でね。今は危ない。お前さんが殺される。私の生まれてはじめての恋人が殺される。もうこれが、私の人生で唯一の人になるだろう、その大事な人を、その人をあれがいま殺そうとしている。私は、そこまで見届けて、いま、お前さんのところへ駆け込んで来た。お前は――」
「それはご苦労さまでした。生まれて最初の恋人だの、唯一の宝だの、それは一体なんのことですか。所詮は、あなた芸術家としての一人合点、一人でほくほく享楽しているだけのことではないの。気障だねえ。おやめなさいよ。私はあなたを愛してない。あなたはそもそも美しくないもの。私が少しでもあなたに関心を持ってるなら、それはあなたの特異な職業に対してです。市民を嘲って芸術を売って、それでいて市民と同じ生活をしているというのは、なんだか私には、不思議な生物のように思われて、私はそれを探求してみたかったという、まあ、理屈を言えばそうなるのですが、でも結局なににもならなかった。なににもないのね。めちゃくちゃだけが在るのね。私は科学者ですから、不可解なもの、わからないものには惹かれるの。それを知り尽くめないと死んでしまうような心細さを覚えます。だから私はあなたに惹かれました。私には芸術がわからない。私には芸術家がわからない。何かあると思っていたの。あなたを愛してたわけじゃないわ。私は今こそ芸術家というものを知りました。芸術家というものは弱い、でてんでなっちゃいない大きな低能児ね。それだけのもの、つまり知能の未発育な、いくら年とっても、それ以上は発育しない不具者なのね。純粋とは白痴のことなの? 無垢とは泣き虫のことなの? あああ、何をまた、そんな青い顔をして、私を見つめるの。いやよ。帰って下さい。あなたは頼りにならない人だ。いまそれがわかった。驚いて度を失い、ただうろうろして見せるだけで、それが芸術家の純粋な、所以なのですか。恐れ入りました」

原文 (会話文抽出)

「どうしたの。」
「見つかった、感づかれた。」
「あなたよりは、あなたの奥さんの方が、きっぱりして居るようです。私に決闘を申込んで来ました。」
「そうか、やっぱりそうか。」
「あいつはそんな無茶なことをやらかして、おれの声名に傷つけ、心からの復讐をしようとしている。変だと思っていたのだ。ゆうべ、おれに、いつにないやさしい口調で、あなたも今月はずいぶん、お仕事をなさいましたし、気休めにどこか田舎へ遊びにいらっしゃい。お金も今月はどっさり余分にございます。あなたのお疲れのお顔を見ると、私までなんだか苦しくなります。この頃、私にも少しずつ、芸術家の辛苦というものが、わかりかけてまいりました。と、そんなことをぬかすので、おれも、ははあ、これは何かあるな、と感づき、何食わぬ顔して、それに同意し、今朝、旅行に出たふりしてまた引返し、家の中庭の隅にしゃがんで看視していたのだ。夕方あいつは家を出て、何時何処で、誰から聞いて知っていたのか、お前のこの下宿へ真直にやって来て、おかみと何やら話していたが、やがて出て来て、こんどは下町へ出かけ、ある店の飾り窓の前に、ひたと吸いついて動かなんだ。その飾り窓には、野鴨の剥製やら、鹿の角やら、いたちの毛皮などあり、私は遠くから見ていたのであるが、はじめは何の店やら判断がつかなかった。そのうちに、あいつはすっと店の中へ入ってしまったので、私も安心して、その店に近づいて見ることが出来たのだが、なんと驚いた、いや驚いたというのは嘘で、ああそうか、というような合点の気持だったのかな? 野鴨の剥製やら、鹿の角やら、いたちの毛皮に飾られて、十数挺の猟銃が黒い銃身を鈍く光らせて、飾り窓の下に沈んで横になっていた。拳銃もある。私には皆わかるのだ。人生が、このような黒い銃身の光と、じかに結びつくなどは、ふだんはとても考えられぬことであるが、その時の私のうつろな絶望の胸には、とてもリリカルにしみて来たのだ。銃身の黒い光は、これは、いのちの最後の詩だと思った。パアンと店の裏で拳銃の音がする。つづいて、又一発。私は危く涙を落しそうになった。そっと店の扉を開け、内を窺っても、店はがらんとして誰もいない。私は入った。相続く銃声をたよりに、ずんずん奥へすすんだ。みると薄暮の中庭で、女房と店の主人が並んで立って、今しも女房が主人に教えられ、最初の一発を的に向ってぶっ放すところであった。女房の拳銃は火を放った。けれども弾丸は、三歩程前の地面に当り、はじかれて、窓に当った。窓ガラスはがらがらと鳴ってこわれ、どこか屋根の上に隠れて止っていた一群の鳩が驚いて飛立って、たださえ暗い中庭を、さっと一層暗くした。私は再び涙ぐむのを覚えた。あの涙は何だろう。憎悪の涙か、恐怖の涙か。いやいや、ひょっとしたら女房への不憫さの涙であったかも知れないね。とにかくこれでわかった。あれはそんな女だ。いつでも冷たく忍従して、そのくせ、やるとなったら、世間を顧慮せずやりのける。ああ、おれはそれを頼もしい性格と思ったことさえある! 芋の煮付が上手でね。今は危い。お前さんが殺される。おれの生れてはじめての恋人が殺される。もうこれが、私の生涯で唯一の女になるだろう、その大事な人を、その人をあれがいま殺そうとしている。おれは、そこまで見届けて、いま、お前さんのとこへ駈込んで来た。お前は――」
「それは御苦労さまでした。生れてはじめての恋人だの、唯一の宝だの、それは一体なんのことです。所詮は、あなた芸術家としてのひとり合点、ひとりでほくほく享楽しているだけのことではないの。気障だねえ。お止しなさい。私はあなたを愛していない。あなたはどだい美しくないもの。私が少しでも、あなたに関心を持っているとしたら、それはあなたの特異な職業に対してであります。市民を嘲って芸術を売って、そうして、市民と同じ生活をしているというのは、なんだか私には、不思議な生物のように思われ、私はそれを探求してみたかったという、まあ、理窟を言えばそうなるのですが、でも結局なんにもならなかった。なんにも無いのね。めちゃめちゃだけが在るのね。私は科学者ですから、不可解なもの、わからないものには惹かれるの。それを知り極めないと死んでしまうような心細さを覚えます。だから私はあなたに惹かれた。私には芸術がわからない。私には芸術家がわからない。何かあると思っていたの。あなたを愛していたんじゃないわ。私は今こそ芸術家というものを知りました。芸術家というものは弱い、てんでなっちゃいない大きな低能児ね。それだけのもの、つまり智能の未発育な、いくら年とっても、それ以上は発育しない不具者なのね。純粋とは白痴のことなの? 無垢とは泣虫のことなの? あああ、何をまた、そんな蒼い顔をして、私を見つめるの。いやだ。帰って下さい。あなたは頼りにならないお人だ。いまそれがわかった。驚いて度を失い、ただうろうろして見せるだけで、それが芸術家の純粋な、所以なのですか。おそれいりました。」


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