太宰治 『火の鳥』 「さつちやん。」…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 太宰治 『火の鳥』

現代語化

「さっちゃん。」
「どなた?」
「ああ、やっぱりそうか。僕だよ。三木、朝太郎。」
「歴史的。」
「そうさ。よく覚えてるね。ま、入ってください。」
「びっくりですね。」
「歴史的?」
「まさに歴史的だ。まあ、座ってください。ビールでも飲みますか。ちょっと寒いけど、君、お風呂上がりには一杯、まあいいだろう。」
「こうして一人で飲んで、少しずつ仕事をしてるんだけど、どうもダメなんだ。どんな奴でも僕より上手な気がして、もうダメだね、僕は。落ちぶれてしまったよ。この仕事が終わらないと東京にも帰れないし、もう10日以上もこんな山奥に立てこもって七転八苦、お手上げ状態さ。さっきね、女中さんからあなたが来てると聞いたんだ。放心したよ。心臓がぴたっと止まったよ。夢じゃないか。」
「僕はバカなことを言ってるね。それこそ歴史的だ。恥ずかしいよ。体ばかりドキドキして、どうにもならない。」
「自信を持ってください。私は嬉しいです。泣きたいくらい。」
「わかる。わかる。」
「でも、よかった。苦しかったでしょうね。いいんです、いいんです。僕は何でもちゃんと知ってます。みんな知ってます。この前の、あのことだって、僕は全然驚きませんでした。一度はそこまで行く人だ。そこを乗り越えないと、ダメな人だ。あなたの愛情には底がないからな。いや、感受性だ。それはちょっと驚くよ。僕はほとんどどんな女にもいい加減にあしらって、それでちょうどいいんだけど、あなたにはそれができない。あなたはわかるからだ。気が抜けない。どうしてだろう。そんな例外はないはずなんだ。」
「いいえ。女は――」
「みんな賢いよ。それこそ何でも知ってる。ちゃんと知ってる。いい加減に扱われてることも、何でもみんな知ってる。知ってて知らないふりして、子供みたいに、雌の動物みたいにふるまってるのよ。だって、そっちの方が得だから。男って正直ね。何もかも丸見えなのに、それでも女を何かと騙そうとしてるみたいね。犬は爪を隠せないのね。いつだったかしら、私が新橋駅のプラットホームで、秋夜更けだったわ、電車を待っていたら、すごくスマートな犬が、フォックステリアっていうのかな、一匹私の前を歩いてって、私はそれを見送って泣いたことがあるわ。カチカチカチカチ、歩くたびに爪の足音が聞こえて、ああ犬は爪を隠せないのだ、と思ったら、犬の正直さが、いじらしくて、男ってそんなものだ、と思ったら、なおのこと悲しくて、泣いちゃった。酔っちゃったわ。私ってバカね。どうしてこんなに男を贔屓するんだろう。男を弱いと思うの。私、できることなら体を百にして千にして、たくさんの男の人を守ってあげたいくらいよ。男はだって、気取ってばかりいて哀れよ。本当の女らしさって、私はむしろ、男を守る強さにあると思うの。私の父は、『女は優しくあれ』と私に教えて亡くなったけど、女の優しさって――」
「誰かが来るわ。私を隠して。ちょっとでいいの。」
「さあさあ、あなたの仕事。」
「はい。それも女の変装ですか?」
「この部屋に来る足音じゃないわ。まあいいからそんなみっともない真似はやめなさい。ゆっくり話しましょうよ。」
「あなた、お金ありますか?」
「私はもう嫌になっちゃった。あなたとここで話してると、すごく東京が恋しくなる。あなたのせいよ。私の愛情がどうのこうのと、わざとらしくいじくり回すから、私はいい具合に忘れてた、私の不幸、私の汚さ、私の無力、みんな一気によみがえっちゃった。東京はいいね。私よりもっと不幸な人、もっと恥ずかしい人が、お互いに説教せずに笑って生きてるんだもの。私はまだ19よ。諦めきったエゴの中で、とても冷たく生きてられない。」
「脱走する気だね。」
「でも、お金がないの。」
「10円あげるよ。」
「あなたはバカね。私はずっとあなたを大切に思ってた。あなたはそれを知らない。私は、あなたのちょっとした足音にもビクついて、こそこそ押入れに隠れるような、そんなみっともない姿を、とても黙って見ていられない。今のあなたにお金あげたら、私は見事に背徳者かもしれない。でも、これは私の純粋な衝動だ。私はそれに従う。私には、この結果がどうなるのかわからない。それは神だけが知ってる。生きるものに権利はある。あなたの自由にしてください。罪は私たちにはない。」
「ありがとう。」
「あなたはすごく嘘つきね。それこそ歴史的よ。ごめんなさい。じゃ、また後でね。」

原文 (会話文抽出)

「さつちやん。」
「どなた?」
「ああ、やつぱりさうだ。僕だよ。三木、朝太郎。」
「歴史的。」
「さうさ。よく覚えてゐるね。ま、はひりたまへ。」
「おどろきだね。」
「歴史的?」
「まさに、歴史的だ。まあ、坐りたまへ。ビイルでも呑むか。ちよつと寒いが、君、湯あがりに一杯、ま、いいだらう。」
「かうして、ひとりで呑んでは、少しづつ仕事をしてゐるのだが、どうもいけない。どんな奴でも、僕より上手なやうな気がして、もう、だめだね、僕は。没落だよ。この仕事が、できあがらないことには、東京にも帰れないし、もう十日以上も、こんな山宿に立てこもつて七転八苦、めもあてられぬ仕末さ。さつきね、女中からあなたの来てゐることを聞いたんだ。呆然としたね。心臓が、ぴたと止つたね。夢では、ないか。」
「僕は、ばかなことばかり言つてるね。それこそ歴史的だ。てれくさいんだよ。からだばかりわくわくして、どうにもならない。」
「自信を、お持ちになつていいのよ。あたし、うれしいの。泣きたいくらゐ。」
「わかる。わかる。」
「でも、よかつた。くるしかつたらうね。いいんだ、いいんだ。僕は、なんでも、ちやんと知つてゐる。みんな知つてゐる。こんどの、あのことだつて、僕は、ちつとも驚かなかつた。いちどは、そこまで行くひとだ。そこをくぐり抜けなければ、いけないひとだ。あなたの愛情には、底がないからな。いや、感受性だ。それは、ちよつと驚異だ。僕は、ほとんど、どんな女にでも、いい加減な挨拶で応対して、また、それでちやうどいいのだが、あなたにだけは、それができない。あなたは、わかるからだ。油断ならない。なぜだらう。そんな例外は、ない筈なんだ。」
「いいえ。女は、」
「みんな利巧よ。それこそなんでも知つてゐる。ちやんと知つてゐる。いい加減にあしらはれてゐることだつて、なんだつて、みんな知つてゐる。知つてゐて、知らないふりして、子供みたいに、雌のけものみたいに、よそつてゐるのよ。だつて、そのはうが、とくだもの。男つて、正直ね。何もかも、まる見えなのに、それでも、何かと女をだました気で居るらしいのね。犬は、爪を隠せないのね。いつだつたかしら、あたしが新橋駅のプラツトフオームで、秋の夜ふけだつたわ、電車を待つてゐたら、とてもスマートな犬が、フオツクステリヤといふのかしら、一匹あたしの前を走つていつて、あたしはそれを見送つて、泣いたことがあるわ。かちかちかちかち、歩くたんびに爪の足音が聞えて、ああ犬は爪を隠せないのだ、と思つたら、犬の正直が、いぢらしくて、男つて、あんなものだ、と思つたら、なほのこと悲しくて、泣いちやつた。酔つたわよ。あたし、ばかね。どうして、こんなに、男を贔負するんだろ。男を、弱いと思ふの。あたし、できることなら、からだを百にして千にしてたくさんの男のひとを、かばつてやりたいとさへ思ふわ。男は、だつて、気取つてばかりゐて可哀さうだもの。ほんたうの女らしさといふものは、あたし、かへつて、男をかばふ強さに在ると思ふの。あたしの父は、女はやさしくあれ、とあたしに教へてゐなくなつちやつたけれど、女のやさしさといふものは、――」
「誰か来るわ。あたしを隠して。ちよつとでいいの。」
「さあさ、あなたは、お仕事。」
「よし給へ。それも女の擬態かね?」
「この部屋へ来る足音ぢやないよ。まあ、いいからそんな見つともない真似はよしなさい。ゆつくり話さうぢやないか。」
「あなた、お金ある?」
「あたし、もう、いやになつた。あなたを相手に、こんなところで話をしてゐると、死ぬるくらゐに東京が恋しい。あなたが悪いのよ。あたしの愛情が、どうのかうのと、きざに、あたしをいぢくり廻すものだから、あたし、いいあんばいに忘れてゐた、あたしの不幸、あたしの汚なさ、あたしの無力、みんな一時に思ひ出しちやつた。東京は、いいわね。あたしより、もつと不幸な人が、もつと恥づかしい人が、お互ひ説教しないで、笑ひながら生きてゐるのだもの。あたし、まだ、十九よ。あきらめ切つたエゴの中で、とても、冷く生きて居れない。」
「脱走する気だね。」
「でも、あたし、お金がないの。」
「十円あげよう。」
「君は、ばかだ。僕は、ずいぶん、あなたを高く愛して来た。あなたは、それを知らない。僕には、あなたの、ちよつとした足音にもびくついて、こそこそ押入れに隠れるやうな、そんなあさましい恰好を、とても、だまつて見て居れない。いまのあなたにお金をあげたら、僕は、ものの見事に背徳漢かも知れない。けれども、これは僕の純粋衝動だ。僕は、それに従ふ。僕には、この結果が、どうなるものか、わからない。それは、神だけが知つてゐる。生きるものに権利あり。君の自由にするがいい。罪は、われらに無い。」
「ありがたう。」
「あなたは、ずいぶん嘘つきね。それこそ、歴史的よ。ごめんなさい。ぢや、また、あとで、ね。」


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