太宰治 『火の鳥』 「さちよの伯父さんは、でも、いいひとだと思…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 太宰治 『火の鳥』

現代語化

「さちよの伯父さんは、でも、いい人だと思うよ。過去のことは忘れろ、忘れろ。誰だって、みんな、深い傷を背負って、そ知らぬふりして生きているのだ。いいなあ。なかなかわかった人じゃないか。私は、惚れたね」
「帰るっていうの?」
「まあね」
「第一、あの、歴史的は、バカだよ。まさしく変人だね。いや、もっと悪い。婦女誘拐罪。咎人だよ、あれは。ろくなことを、しやしない。要らないことを、そそのかして、そうしてまたのこのこ、平気でここへ押しかけて来て、まるで恩人か何かのように、あの、キザな口のきき様ったら。どこまで、しょってるのか、判りゃしない。アホや。あの眼つきを、ご覧よ。どうしたって、ふつうじゃないからね」
「いやな奴さ。笑いごとじゃないよ。いわば、女性の敵だね」
「でも、私は、知ってるよ。数枝は、初めから歴史的を好きだった」
「こいつ」
「帰らぬ昔さ」
「どうも、なんだね、私たちは、男運が悪いようだね」
「いいえ、」
「私は、そうは思わない。私は、どんな男の人でも、尊敬している」
「若いねえ」
「バカなこと、おっしゃらないでよ。ギャングだの、低脳記者だの、ろくなものありゃしない。さちよを、ちっとでも幸せにしてくれた男が、一人だって、無いやないか。それを、尊敬しています、なんて、キザなこと」
「それは、少し違うね」
「男にしなだれかかって幸せにしてもらおうと思っているのが、そもそも間違いなんです。虫が、よすぎるわよ。男には、別に、男の仕事というものがあるのでございますから、その一生の事業を尊敬しなければいけません。わかりまして?」
「女一人の幸せのために、男の人を利用するなんて、もったいないわ。女だって、弱いけれど、男は、もっと弱いなのよ。やっとのところで踏みとどまって、どうにか努力をつづけているのよ。私には、そう思われて仕方がない。そんなところに、女の人が、どさんと重い体を寄りかからせたら、どんな男の人だって、当惑するわ。気の毒よ」
「白虎隊は、違うね」
「そんなんじゃないのよ」
「私は、巴御前じゃない。薙刀もって奮戦するなんて、イヤなこった」
「似合うよ」
「ダメ。私は、チビだから、薙刀に負けちゃう」
「ねえ。私の言うこと、もう少し黙って聞いていてくれない?ご参考までに」
「言うことが、いちいち、キザだな。歴史的氏の悪影響です」
「私は、ね、歴史的さんでも、助七でも、それから、ほかのひとでも、みんな好きよ。悪い人なんて、私は、見たことがない。お母さんでも、お父さんでも、みんな、優しくいいひとだった。伯父さんでも、伯母さんでも、ずぶん偉いわ。とても、頭があがらない。初めから、そうなのよ。私は、一人だけが、劣っているの。そんなに生まれつき劣っている子が、みんなに温かく愛されて、一人で、幸福にふとっているなんて、私は、もうそんなだったら、死んだほうがいい。私は、お役に立ちたいの。なんでもいい、人の役に立って、死にたい。男の人に、立派なよそおいをさせて、行く路々にバラの花を、いいえ、スミレくらいの小さい貧しい花でも我慢するわ、一杯に敷いてやって、その上を堂々と歩かせてみたい。そうして、その男の人は、それをちっとも恩に着ない。これは、初めからこうなんだと、のんきに平気で、行き会う人、行き会う人にのんびり挨拶を返しながら澄まして歩いていると、まあ、男は、どんなに立派だろう。どんなに、きれいだろう。それを、私は、ものかげにかくれて、誰にも知られずに、そっとおがんで、うれしいだろうなあ。女の一番深い喜びというものは、そんなところにあるのではないのかしら。そう思われて仕方がない」
「悪くないね」
「参考になる」
「それを、男ったら、ひとがいいのねえ。誰も彼も、みんな、お坊ちゃんよ。お金と、肉体だけが、女の喜びだと、どこから聞いて来たのか、一人で決めてしまって、おかげで自分が、ずいぶんあくせく無理をして、女のほうでは、男のそんなひとりきめを、ぶちこわすのが気の毒で、いじらしさに負けてしまうのね。黙って虚栄と、肉体の本能と二つだけのような顔をしてあげてやっているのに、そうすると、いよいよ男は悟り顔してそれに決めてしまうもんだから、少し、おかしいわ。女の人は、誰でも、男の人を尊敬しているし、なにかしてあげたいと一心に思いつめているのに、ちっともそんなことに気がつかないで、ただ、あなたを幸福にできるとか、できないとか言っては、お金持ちのふりをしたり、それから、――おかしいわ、自信たっぷりで、変なこどするんだもの。女が肉体だけのものだなんて、だれが一体、そんなばかなことを男に教えたのかしら。自然に愛情が、それを求めたら、それに従えばいいのだし、それを急に、顔色を変えたり、いろんなどぎつい芝居をして、ばかばかしい。女は肉体のことなんか、そんなに重要に思っていないわ。ねえ、数枝なんかだって、そうなんだろう?いくら一人で貯金したって、男と遊んだって、いつでも淋しそうじゃないか。私は、男の人みんなに教えてあげたい。女に本当に好かれたいなら、本当に女を愛しているなら、ほんの身の周りのことでもいいから、何か用事を言いつけてください。権威を持って、お言いつけください、って。地位や名声を得なくたって、お金持ちにならなくたって、男そのものが、立派に尊いのだから、ありのままの御身に、その身一つに、ちゃんと自信を持っていてくれれば、女は、どんなにうれしいか。お互い、ちょっとの思い違いで、男も女も、ずいぶん狂ってしまったのね。歯がゆくって、仕方がない。お互い、それに気がついて、笑い合ってやり直せば、――幸福なんだがなあ。世の中は、きっと住みよくなるだろうに」
「ああ、学問をした」
「それで、須々木乙彦は、よかったのかね」
「あのひと、ね、おかしいのよ。とても、子供みたいな、変な顔をして、僕は、乳房って、お母さんにだけあるものだと思っていた、というのよ。それが、ちっとも、気取りでも、なんでもないの。恥ずかしそうにしていたわ。ああ、この人、ずいぶん不幸な生活してきた人なんだな、と思ったら、私、うれしいやら、有難いやら、可愛いやら、胸がいっぱいになって、泣いちゃった。一生、この人のお傍にいよう、と思った。永遠の母親、っていうのかしら。私まで、そんな尊いきれいな気持ちになってしまって、あのひと、いい人だったな。私は、あの人の思想や何かは、ちっとも知らない。知らなくても、いいんだ。あの人は、私に自信をつけてくれたんだ。私だって、もののお役に立つことができる。人の心の奥底を、ほんとうに深く温めてあげることができると、そう思ったら、もう、その喜びのままで、死にたかった。でも、こんなに、まるまると太って生き返ってきて、醜態ね。生き返って、こんなに一日一日同じ暮らしをして、それでいいのかしらと、たまらなく心細いことがあるわ。大声で叫び出したく思うことがあるの。どうせ一度死んだ身なんだし、何でもいい、人のお役に立てるものなら立ってあげたい。どんな、つらいことでも、どんな、苦しいことでも、耐える」
「ねえ、数枝。聞いてるの?歴史的さんね、あのひと、私は、そんなに悪い人じゃないと思うわ。あのひと、私を女優にするんだと、ずいぶん意気込んでいるんだけれど、どんなものだろうねえ、数枝だって、私がいつまでも、ここで何もせずに居候していたら、やっぱり、気持ちが重いでしょう?また、私が女優になって、歴史的さんがそれで張り合いのあるお仕事できるようなら、私、女優になっても、いいと思うの。私がその気になりさえすれば、あとは、手筈が、ちゃんときまっているんだって、そう言ってたわ」
「おまえの好きなようにするさ。名女優になれるだろうよ」
「それは、ね、私だって、ぐさぐさすることは、あるさ。この子は、いつまでもここにいて、一体どうするつもりだろうと、さちよの図々しさが憎くなることもあるよ。でも、私は、一つのことは、三分以上考えないことに、昔から決めているの。面倒くさい。どんなに長く考えたって、結局は、なんのこともない。試してみなければわからないことばかりなんだからね。アホらしい。私だって、心配なことが、それは、たくさんあるのよ。だから、一つのことは、三分だけ考えて、解決も何もおかまいなしに、すぐ次に移って、そいつを三分間だけ考えて、また、次のことを三分、そのへんは、なかなか慣れたものよ。心配の種を引き出しを順々に開けて、ちらと一目調べてみて、すぐにピタッと閉めて、そうして、眠るの。これ、なかなか健康にいいのよ。どうだい、私だって、相当の哲学があるだろう」
「ありがとう。数枝。あなたは、いい人ね」
「やんだね、みぞれが」
「ええ」
「明日、お天気だといいわね」
「うん。眼が覚めてみると、カラッと晴れているのは、うれしいからな」

原文 (会話文抽出)

「さちよの伯父さんは、でも、いいひとだと思うよ。過去のことは忘れろ、忘れろ。誰だって、みんな、深い傷を背負って、そ知らぬふりして生きているのだ。いいなあ。なかなかわかった人じゃないか。あたしは、惚れたね。」
「かえれっていうの?」
「まあね。」
「だいいち、あの、歴史的は、ばかだよ。まさしく変人だね。いや、もっとわるい。婦女誘拐罪。咎人だよ、あれは。ろくなことを、しやしない。要らないことを、そそのかして、そうしてまたのこのこ、平気でここへ押しかけて来て、まるで恩人か何かのように、あの、きざな口のきき様ったら。どこまで、しょってるのか、判りゃしない。阿呆や。あの眼つきを、ごらんよ。どうしたって、ふつうじゃないからね。」
「いやな奴さ。笑いごとじゃないよ。謂わば、女性の敵だね。」
「でも、あたし、知ってるよ。数枝は、はじめから歴史的を好きだった。」
「こいつ。」
「かえらぬ昔さ。」
「どうも、なんだね、あたしたち、男運がわるいようだね。」
「いいえ、」
「あたしは、そうは思わない。あたしは、どんな男の人でも、尊敬している。」
「わかいからねえ。」
「ばかなこと、お言いでないよ。ギャングだの、低脳記者だの、ろくなものありゃしない。さちよを、ちっとでも仕合せにして呉れた男が、ひとりだって、無いやないか。それを、尊敬しています、なんて、きざなこと。」
「それは、少しちがうね。」
「男にしなだれかかって仕合せにしてもらおうと思っているのが、そもそも間違いなんです。虫が、よすぎるわよ。男には、別に、男の仕事というものがあるのでございますから、その一生の事業を尊敬しなければいけません。わかりまして?」
「女ひとりの仕合せのために、男の人を利用するなんて、もったいないわ。女だって、弱いけれど、男は、もっと弱いのよ。やっとのところで踏みとどまって、どうにか努力をつづけているのよ。あたしには、そう思われて仕方がない。そんなところに、女のひとが、どさんと重いからだを寄りかからせたら、どんな男の人だって、当惑するわ。気の毒よ。」
「白虎隊は、ちがうね。」
「そんなんじゃないのよ。」
「あたし、巴御前じゃない。薙刀もって奮戦するなんて、いやなこった。」
「似合うよ。」
「だめ。あたし、ちびだから、薙刀に負けちゃう。」
「ねえ。あたしの言うこと、もすこしだまって聞いていて呉れない? ご参考までに。」
「いうことが、いちいち、きざだな。歴史的氏の悪影響です。」
「あたしは、ね、歴史的さんでも、助七でも、それから、ほかのひとでも、みんな好きよ。わるい人なんて、あたしは、見たことがない。お母さんでも、お父さんでも、みんな、やさしくいいひとだった。伯父さんでも、伯母さんでも、ずいぶん偉いわ。とても、頭があがらない。はじめから、そうなのよ。あたし、ひとりが、劣っているの。そんなに生れつき劣っている子が、みんなに温く愛されて、ひとり、幸福にふとっているなんて、あたし、もうそんなだったら、死んだほうがいい。あたし、お役に立ちたいの。なんでもいい、人の役に立って、死にたい。男のひとに、立派なよそおいをさせて、行く路々に薔薇の花を、いいえ、すみれくらいの小さい貧しい花でもがまんするわ、一ぱいに敷いてやって、その上を堂々と歩かせてみたい。そうして、その男のひとは、それをちっとも恩に着ない。これは、はじめからこうなんだと、のんきに平気で、行き逢う人、行き逢う人にのんびり挨拶をかえしながら澄まして歩いていると、まあ、男は、どんなに立派だろう。どんなに、きれいだろう。それを、あたしは、ものかげにかくれて、誰にも知られずに、そっとおがんで、うれしいだろうなあ。女の、一ばん深いよろこびというものは、そんなところにあるのではないのかしら。そう思われて仕方がない。」
「わるくないね。」
「参考になる。」
「それを、男ったら、ひとがいいのねえ。だれもかれも、みんな、お坊ちゃんよ。お金と、肉体だけが、女のよろこびだと、どこから聞いて来たのか、ひとりできめてしまって、おかげで自分が、ずいぶんあくせく無理をして、女のほうでは、男のそんなひとりぎめを、ぶちこわすのが気の毒で、いじらしさに負けてしまうのね。だまって虚栄と、肉体の本能と二つだけのような顔をしてあげてやっているのに、そうすると、いよいよ男は悟り顔してそれにきめてしまうもんだから、すこし、おかしいわ。女のひとは、誰でも、男のひとを尊敬しているし、なにかしてあげたいと一心に思いつめているのに、ちっともそんなことに気がつかないで、ただ、あなたを幸福にできるとか、できないとか言っては、お金持ちのふりをしたり、それから、――おかしいわ、自信たっぷりで、へんなことするんだもの。女が肉体だけのものだなんて、だれが一体、そんなばかなことを男に教えたのかしら。自然に愛情が、それを求めたら、それに従えばいいのだし、それを急に、顔いろを変えたり、色んなどぎつい芝居をして、ばかばかしい。女は肉体のことなんか、そんなに重要に思っていないわ。ねえ、数枝なんかだって、そうなんだろう? いくらひとりでお金をためたって、男と遊んだって、いつでも淋しそうじゃないか。あたし、男のひと皆に教えてやりたい。女にほんとうに好かれたいなら、ほんとうに女を愛しているなら、ほんの身のまわりのことでもいいから、何か用事を言いつけて下さい。権威を以て、お言いつけ下さい、って。地位や名聞を得なくたって、お金持ちにならなくたって、男そのものが、立派に尊いのだから、ありのままの御身に、その身ひとつに、ちゃんと自信を持っていてくれれば、女は、どんなにうれしいか。お互い、ちょっとの思いちがいで、男も女も、ずいぶん狂ってしまったのね。歯がゆくって、仕方がない。お互い、それに気がついて、笑い合ってやり直せば、――幸福なんだがなあ。世の中は、きっと住みよくなるだろうに。」
「ああ、学問をした。」
「それで、須々木乙彦は、よかったのかね。」
「あのひと、ね、おかしいのよ。とても、子供みたいな、へんな顔をして、僕は、乳房って、おふくろにだけあるものだと思っていた、というのよ。それが、ちっとも、気取りでも、なんでもないの。恥ずかしそうにしていたわ。ああ、この人、ずいぶん不幸な生活して来た人なんだな、と思ったら、あたし、うれしいやら、有難いやら、可愛いやら、胸が一ぱいになって、泣いちゃった。一生、この人のお傍にいよう、と思った。永遠の母親、っていうのかしら。私まで、そんな尊いきれいな気持になってしまって、あのひと、いい人だったな。あたしは、あの人の思想や何かは、ちっとも知らない。知らなくても、いいんだ。あの人は、あたしに自信をつけてくれたんだ。あたしだって、もののお役に立つことができる。人の心の奥底を、ほんとうに深く温めてあげることができると、そう思ったら、もう、そのよろこびのままで、死にたかった。でも、こんなに、まるまるとふとって生きかえって来て、醜態ね。生きかえって、こんなに一日一日おなじ暮しをして、それでいいのかしらと、たまらなく心細いことがあるわ。大声で叫び出したく思うことがあるの。どうせいちど死んだ身なんだし、何でもいい、人のお役に立てるものなら立ってあげたい。どんな、つらいことでも、どんな、くるしいことでも、こらえる。」
「ねえ、数枝。聞いているの? 歴史的さんね、あのひと、あたし、そんなに悪いひとじゃないと思うわ。あのひと、あたしを女優にするんだと、ずいぶん意気込んでいるんだけれど、どんなものだろうねえ、数枝だって、あたしがいつまでも、ここで何もせずに居候していたら、やっぱり、気持が重いでしょう? また、あたしが女優になって、歴史的さんがそれで張り合いのあるお仕事できるようなら、あたし、女優になっても、いいと思うの。あたしがその気になりさえすれば、あとは、手筈が、ちゃんときまっているんだって、そう言っていたわ。」
「おまえの好きなようにするさ。名女優になれるだろうよ。」
「それは、ね、あたしだって、くさくさすることは、あるさ。この子は、いつまでもここにいて、いったいどうするつもりだろうと、さちよの図々しさが憎くなることもあるよ。でも、あたしは、ひとつことを三分以上かんがえないことに、昔からきめているの。めんどうくさい。どんなに永く考えたって、結局は、なんのこともない。あたってみなければ判らないことばかりなんだからね。あほらしい。あたしにだって、心配なことが、それは、たくさんあるのよ。だから、一つのことは、三分だけ考えて、解決も何もおかまいなしに、すぐつぎに移って、そいつを三分間だけ考えて、また、つぎのことを三分、そのへんは、なかなか慣れたものよ。心配のたねの引き出しを順々にあけて、ちらと一目調べてみて、すぐにぴたっとしめて、そうして、眠るの。これ、なかなか健康にいいのよ。どうだい、あたしにだって、相当の哲学があるだろう。」
「ありがとう。数枝。あなたは、いいひとね。」
「やんだね、みぞれが。」
「ええ。」
「あした、お天気だといいわね。」
「うん。眼がさめてみると、からっと晴れているのは、うれしいからな。」


青空文庫現代語化 Home リスト