芥川龍之介 『芭蕉雑記』 「土芳云、翁曰、学ぶ事は常にあり。席に臨ん…

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青空文庫図書カード: 芥川龍之介 『芭蕉雑記』

現代語化

「土芳が言うには、翁は『学ぶことは常にあり。席に座って文台と自分がくっつくように近づき、自分の考えていることをすぐに言葉にし、迷いを生じさせない。文台を動かせばすぐに反故になる』と厳しく教えたそうです。また『大木が倒れるような気持ちで』『鍔元から斬り込むような気で』『スイカを切るような感じで』『梨を食べるような口元で』『36句すべてが優れた句である』など、さまざまに励まされたそうです。これらはすべて、巧者の彼が自分の考えを破ろうとした言葉だったのでしょう」
「許六が言うには、あるとき江戸で俳句の歳旦祭があって翁が招かれたことがありました。彼は私の家に4, 5日間滞在してからかけつけました。その日は雪が降っていて、夕方に着きました。そのときに詠んだ句が『人声の沖にて何を呼やらん 桃隣』『鼠は舟をきしる暁 翁』です。その後私が芭蕉庵を訪ねたとき、この句のことを話すと、私は『この『暁』という字のすばらしさがありがたい』『これだけは聞き流してはいられない』と言いました。『不動の構え、大山のような貫禄がある』と言うと、師匠は起き上がって『この『暁』の一字を聞いてもらえただけで、私は満足です。この句は最初は「須磨の鼠の舟きしる音」と考えましたが、前句に「声」の字があったので「音」の字は使えず、作り直しました。須磨の鼠までは気を配りましたが、句を十分にまとめることができませんでした』と言いました。私は『須磨の鼠よりずっと優れています。暁という字の強さは比べるものがない』と言うと、師匠は喜び、『ここまで理解してくれる人はいません。私が言うだけなら、ただ驚いているばかりで、善悪の評価もできないし、泥酔した鮒のようです。この句を詠んだとき、参加者たちは私が遅れてきたことを責めましたが、「この句で腹を満たしてもらおう」と言って自慢していました』そうです」
「この句で腹を満たしてもらおう」

原文 (会話文抽出)

「土芳云、翁曰、学ぶ事は常にあり。席に臨んで文台と我と間に髪を入れず。思ふこと速に云出て、爰に至てまよふ念なし。文台引おろせば即反故なりときびしく示さるる詞もあり。或時は大木倒すごとし。鍔本にきりこむ心得、西瓜きるごとし。梨子くふ口つき、三十六句みなやり句などといろいろにせめられ侍るも、みな巧者の私意を思ひ破らせんの詞なり。」
「許六云、一とせ江戸にて何がしが歳旦びらきとて翁を招きたることあり。予が宅に四五日逗留の後にて侍る。其日雪降て暮にまゐられたり。其俳諧に、人声の沖にて何を呼やらん  桃鄰 鼠は舟をきしる暁  翁 予其後芭蕉庵へ参とぶらひける時、此句をかたり出し給ふに、予が云、さてさて此暁の一字ありがたき事、あだに聞かんは無念の次第也。動かざること、大山のごとしと申せば師起き上りて曰、此暁の一字聞きとどけ侍りて、愚老が満足かぎりなし。此句はじめは 須磨の鼠の舟きしるおと と案じける時、前句に声の字有て、音の字ならず、依て作りかへたり、須磨の鼠とまでは気を廻し侍れども、一句連続せざると宣へり。予が云、是須磨の鼠よりはるかにまされり。(中略)暁の一字つよきこと、たとへ侍るものなしと申せば、師もうれしく思はれけん、これほどに聞てくれる人なし、唯予が口よりいひ出せば、肝をつぶしたる顔のみにて、善悪の差別もなく、鮒の泥に酔たるごとし、其夜此句したる時、一座のものどもに我遅参の罪ありと云へども、此句にて腹を医せよと自慢せしと宣ひ侍る。」
「この句にて腹を医せよ」


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