GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。
青空文庫図書カード: 太宰治 『新釈諸国噺』
現代語化
「それこそ中途半端な知識人です。私は、議論は嫌いなんです。議論をするのは、偉そうなことを言ってて実はたいしたことない連中です。大人なんだから、顔を真っ赤にして屁理屈をこねても、お互い自分の意見をより強く信じるだけでしょう。議論は、つまらない。私は、人魚はこの世にいないと言っているわけではありません。見たことがないと言っているだけです。金内殿も手柄ついでにその人魚を、将軍様に連れてくればよかったのに」
「武士には、信の一字が大切です。手にとって見なければ信じられないなんて、情けない心ですよ。心に信じなければ、この世に何がありますか。手にとって見ても信じなければ、見なかったのも同じ夢みたいなものです。実在を認めるのは、信用があるからです。そして信用は、心の愛から生まれます。あなたの心には、少しも愛や信用がありません。ほら、金内殿はあなたのひどい言われように、さっきから体を震わせて、泣きながら震えています。金内殿は、あなたとは違って、嘘をつくような人ではありません。普段の金内殿の正直さは、あなたも知ってるでしょう」
「あれ、将軍様が立たれた。ご機嫌が悪いようです」
「ああ、困った。バカどもに邪魔をされました」
「頭の血の巡りが悪くて、それが正直だっていうかもしれないけど、夢や迷信を本当らしく言いふらして、世の中を惑わすのは、この正直者が多いんです」
原文 (会話文抽出)
「とかく生半可の物識りに限って世に不思議なし、化物なし、と実もふたも無いような言い方をして澄し込んでいるものですが、そもそもこの日本の国は神国なり、日常の道理を越えたる不思議の真実、炳として存す。貴殿のお屋敷の浅い泉水とくらべられては困ります。神国三千年、山海万里のうちにはおのずから異風奇態の生類あるまじき事に非ず、古代にも、仁徳天皇の御時、飛騨に一身両面の人出ずる、天武天皇の御宇に丹波の山家より十二角の牛出ずる、文武天皇の御時、慶雲四年六月十五日に、たけ八丈よこ一丈二尺一頭三面の鬼、異国より来る、かかる事どもも有るなれば、このたびの人魚、何か疑うべき事に非ず。」
「それこそ生半可の物識り。それがしは、議論を好まぬ。議論は軽輩、功をあせっている者同志のやる事です。子供じゃあるまいし。青筋たてて空論をたたかわしても、お互い自説を更に深く固執するような結果になるだけのものさ。議論は、つまらぬ。それがしは何も、人魚はこの世に無いと言っているのではござらぬ。見た事が無いと言っているだけの事だ。金内殿もお手柄ついでにその人魚とやらを、御前に御持参になればよかったのに。」
「武士には、信の一字が大事ですぞ。手にとって見なければ信ぜられぬとは、さてさて、あわれむべき御心魂。それ心に信無くば、この世に何の実体かあらん。手に取って見れども信ぜずば、見ざるもひとしき仮寝の夢。実体の承認は信より発す。然して信は、心の情愛を根源とす。貴殿の御心底には一片の情愛なし、信義なし。見られよ、金内殿は貴殿の毒舌に遭い、先刻より身をふるわし、血涙をしぼって泣いてござるわ。金内殿は、貴殿とは違って、うそなど言う仁ではござらぬ。日頃の金内殿の実直を、貴殿はよもや知らぬとは申されますまい。」
「それ、殿がお立ちだ。御不興と見える。」
「やれやれ、馬鹿どもには迷惑いたす。」
「頭の血のめぐりの悪い事を実直と申すのかも知れぬが、夢や迷信をまことしやかに言い伝え、世をまどわすのは、この実直者に限る。」