太宰治 『右大臣実朝』 「死なうと思つてゐるのです。死んでしまふん…

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青空文庫図書カード: 太宰治 『右大臣実朝』

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「死ぬかと思ったんです。死んでしまうんだって」
「鎌倉に来たのが間違いでした。今度こそ祖母上の落ち度です。私は一生、京都にいなければならなかったのだ」
「京都がそんなに好きなんですか」
「まだ私の気持ちがわからないみたいですね。京都は、いやなところです。みんな見栄っ張りです。嘘つきです。口ばかり達者で、反省力も責任感もありません。だから私が住むのに、ちょうどいいところなのです。軽薄な野心家には、都ほど住みやすいところはありません」
「そんなに自分を卑下せずに」
「叔父上が、あれほど京都を慕っていながら、なぜ一度も京都に行かないのか、そのわけを知っていますか」
「それは、故右大将家の頃から、京都とはあまり親しくない方針で、故右大将さまさえ、たった2度しか上洛なさったきりで、――」
「でも、思いついたら宋にも渡ろうとする将軍家です」
「邪魔をする人もいるでしょうし、――」
「それもある。変な用心をして叔父上の上京を邪魔している人もいる。でも、それだけでは、ないんです。叔父上には、京都が怖いのです」
「まさか。あれほどお慕いになっているのに」
「いや、怖いんです。京都の人たちは軽薄で、口が悪い。昔の木曾殿の例もあります。将軍家という名ばかり立派だが、京の御所の儀式の一つもグダグダで、田舎者まる出し、言葉も関東訛りだし、それに叔父上は、アバタです、アバタ将軍と、すぐ言われる」
「やめてくださいよ。将軍家はそんなことは全く気にしていないはずです。失礼ながら、禅師さまとは違います」
「そうですか。将軍家が気にしていなくても、人から見れば、アバタはアバタです。祖父の故右大将だって、頭が大きかったから京都に行った途端に大頭将軍というありがたくないあだ名をいただいて、地方の役人からも雑に扱われたり贈り物を突っぱねられたり、さんざん恥をかかされました。京都ってそういう嫌なところです。でも右大将家は、やっぱり偉い。京都の人からバカにされようとどうされようと、全く気にしていないんです。関東の長者の実力を信じて落ち着いていたんです。ところが、失礼ですが、今の将軍家は、違います。とても平気ではいられない。田舎者と言われるのが死ぬよりつらいみたいで、困ったことになります。野暮な者ほど華やかで繊細なものにあこがれる傾向があるみたいですが、あの人の日常を見るに、ただ、都の人から笑われないための努力だけ、それだけなんです。あの人には京都が怖くて仕方ないんです。まぶしすぎるんです。京都に行っても、京都の人から笑われないくらいの者になるまでは、京都に行きたくないと思っているんです。きっとそうです。やたらに官位を昇進したがるのも、それです。京都の人に、いやしめられたくないんです。大いに威張ってから、京都に行きたいんでしょうが、そんな努力はダメダメ。みんな、ダメです。せめて、田舎公卿、とでも言われるような猿に冠をかぶせた珍妙な公家ができるだけでしょう。田舎者のくせに、都の人の振る舞いをするほど浅ましく滑稽なものはありません。都の人は、そんな者をまるで人間ではないみたいに考えています。私も、京都に初めて行った時は、ずいぶん迷いました。悔しくて泣いたこともあります。でも私の生まれつきの軽薄で目立ちたがりな性格が、京の水に合ったみたいで、今はもう、結局自分の落ち着くところは京都ではないかと思うようになっています。私は山師です。山師は絶対に田舎では生きていけないし、田舎の人も、山師を決して許しません。田舎の人は冗談も何もなく、ケチで、ただ堅いです。でも、あれはあれで、いいんです。ただ黙って田舎に住んでいる人の中に、本当に偉い人間というものがいるような気がします。いけないのは、田舎者のくせに、都の人と風流を競い、妙に上品ぶっている奴と、それから私のように、田舎に落ちてきた山師です。私は、まさか陳和卿みたいに将軍家の前でワーワー泣きはしませんが、なぜか、卑屈な愛想笑いなどをしてしまって、自分で自分が嫌になって嫌になってしょうがない、いけない、いけない。このままではいけない。死ぬんです。私は、死ぬんです」
「叔父上は私の山師を見抜いています。陳和卿と同類くらいに考えています。私は、嫌われています。そして私だって、あの田舎者を、冠をつけた猿みたいに滑稽なものだと思っています。あはは、お互いにめちゃくちゃにさげすんでいるんだから面白い。源家は昔から親子兄弟の仲が悪いんです。ところで将軍家は、このごろ本当に気が狂っているそうじゃないですか。思いつくところがあるでしょう」
「誰が、いや、どなたがそんなけしからんことを、――」
「みんな言ってます。相州も言っていました。気が狂っているんだから、将軍家は何をおっしゃっても、逆らわずに、はいはいと言っていなさい、って相州が私に教えました。祖母上だって言っています。あの子は生まれつき、白痴だったのです、と言っていました」
「尼御台さままで」
「そうです。北条家の人たちには、そんなバカなところがあります。気違いだの白痴だの、そんなことはめったに言うべき言葉じゃないんです。まして、私を捕まえて言うとはバカです。油断してはいけません。私は前将軍の、いや、まあそんなことはどうでもいいですが、とにかく北条家の人たちは根っからの田舎者で、本気で将軍家の発狂やら白痴やらを信じていますから始末が悪い。あの人たちは、まさか陰謀なんてことは考えていないでしょうが、気違いだの白痴だのと、思い込むと誰はばからずそれを平気で言い出すもんだから、妙な結果になってしまうこともあります。みんなバカです。バカばっかりです。あなただってバカです。叔父上があなたを私のところへ寄こしたのは、さびしいだろうからお話相手、なんて、そんな生ぬるい目的じゃないんです。私の様子を探ろうと、――」
「いいえ、違います。将軍家はそんないやしいことをお考えになるお方ではありません」
「そうですか。それだから、あなたはバカだと言うんです。どうでもいいです。みんなバカです。鎌倉中を見渡して、まあ、まともな人間は、叔父上の奥さんくらいです。ああ、食べた。すっかり食べてしまいました。私は、カニを食べているうちはなぜか熱中して胸がワクワクして、発狂しているような気持ちになります。つまらないことばかり言ったような気がしますが、将軍家に手柄顔して密告なさっても構いません」
「バカ！」
「危ない、危ない。鎌倉には気違いが流行っているようです。叔父上も、いい家来ばかりで幸せです」

原文 (会話文抽出)

「死なうと思つてゐるのです。死んでしまふんだ。」
「鎌倉へ来たのが間違ひでした。こんどは、たしかに祖母上の落度です。私は一生、京都にゐなければならなかつたのだ。」
「京都がそんなにお好きですか。」
「まだ私の気持がおわかりにならぬと見える。京都は、いやなところです。みんな見栄坊です。嘘つきです。口ばかり達者で、反省力も責任感も持つてゐません。だから私の住むのに、ちやうどいいところなのです。軽薄な野心家には、都ほど住みよいところはありません。」
「そんなに御自身を卑下なさらなくとも。」
「叔父上が、あれほど京都を慕つてゐながら、なぜ、いちども京都へ行かぬのか、そのわけをご存じですか。」
「それは、故右大将家の頃から、京都とはあまり接近せぬ御方針で、故右大将さまさへ、たつた二度御上洛なさつたきりで、――」
「しかし、思ひ立つたら宋へでも渡らうとする将軍家です。」
「邪魔をなさるお方もございませうし、――」
「それもある。へんな用心をして叔父上の上京をさまたげてゐる人もある。けれども、それだけでは、ないんだ。叔父上には、京都がこはいのです。」
「まさか。あれほどお慕ひしていらつしやるのに。」
「いや、こはいんだ。京都の人たちは軽薄で、口が悪い。そのむかしの木曾殿のれいもある事だ。将軍家といふ名ばかり立派だが、京の御所の御儀式の作法一つにもへどもどとまごつき、ずんぐりむつつりした田舎者、言葉は関東訛りと来てゐるし、それに叔父上は、あばたです、あばた将軍と、すぐに言はれる。」
「おやめなさいませ。将軍家は微塵もそんな事をお気にしてはいらつしやらない。失礼ながら、禅師さまとはちがひます。」
「さうですか。将軍家が気にしてゐなくたつて、人から見れば、あばたはあばただ。祖父の故右大将だつて、頭でつかちなもんだから京都へ行つたとたんにもう、大頭将軍といふ有難くもないお名前を頂戴して、あんな下賤の和卿などにさへいい加減にあしらはれて贈り物をつつかへされたり、さんざん赤恥をかかされてゐるんだ。京都といふのは、そんないやなところなのです。けれども右大将家は、やつぱり偉い。京都の人から馬鹿にされようがどうされようが、ちつとも気にしてはゐないんだ。関東の長者の実力を信じて落ちついてゐたんだ。ところが、失礼ですけれども、当将軍家は、さうではないのです。とても平気で居られない。田舎者と言はれるのが死ぬよりつらいらしいので、困つた事になるのです。野暮な者ほど華奢で繊細なものにあこがれる傾きがあるやうだが、あの人の御日常を拝見するに、ただ、都の人から笑はれまいための努力だけ、それだけなんだ。あの人には京都がこはくて仕様がないんだ。まぶしすぎるんだ。京都へ行つても、京都の人に笑はれないくらゐのものになつてから、京都へ行きたいと念じてゐるのだ。それに違ひないのだ。やたらに官位の昇進をお望みになるのも、それだ。京都の人に、いやしめられたくないのだ。大いにもつたいをつけてから、京都へ行きたいのだらうが、そんな努力は、だめだめ。みんな、だめ。せいぜい、まあ、田舎公卿、とでもいふやうな猿に冠を着けさせた珍妙な姿のお公卿が出来上るだけだ。田舎者のくせに、都の人の身振りを真似るくらゐ浅間しく滑稽なものは無いのだ。都の人は、そんな者をまるで人間でないみたいに考へてゐるのだ。私も、京都へはじめて行つた時には、ずいぶんまごついた。くやし泣きに泣いた事もある。けれども私の生来の軽薄な見栄坊の血が、京の水によく合ふと見えて、いまではもう、結局自分の落ちつくところは京都ではなからうかと思ふやうにさへなつてゐる。私は山師だ。山師は絶対に田舎では生きて行けない。また田舎の人も、山師を決して許さない。田舎の人は冗談も何も無く、けちくさくて、ただ固い。けれども、あれはまた、あれでいいのだ。ただ黙つて田舎に住んでゐる人の中に、本当の偉い人間といふものが見つかるやうな気もする。いけないのは、田舎者のくせに、都の人と風流を競ひ、奇妙に上品がつてゐる奴と、それから私のやうに、田舎へ落ちて来た山師だ。私は、まさか陳和卿のやうに将軍家の前でわあわあ泣きはしないけれども、どうしてだか、つい卑屈なあいそ笑ひなどしてしまつて、自分で自分がいやになつていやになつてたまらない、いけない、いけない。このままぢやいけない。死ぬんだ。私は、死ぬんだ。」
「叔父上は私の山師を見抜いてゐる。陳和卿と同類くらゐに考へてゐる。私は、きらはれてゐる。さうして私だつて、あの田舎者を、冠つけた猿みたいに滑稽なものだと思つてゐるんだ。あはは、お互ひに極度に、さげすみ合つてゐるのだから面白い。源家は昔から親子兄弟の仲が悪いんだ。ところで将軍家は、このごろ本当に気が違つてゐるのださうぢやないか。思ひ当るところがあるでせう。」
「誰が、いや、どなたがそのやうなけしからぬ事を、――」
「みんな言つてゐる。相州も言つてゐた。気が違つてゐるのだから、将軍家が何をおつしやつても、さからはずに、はいはいと言つてゐなさい、つて相州が私に教へた。祖母上だつて言つてゐる。あの子は生れつき、白痴だつたのです、と言つてゐた。」
「尼御台さままで。」
「さうだ。北条家の人たちには、そんな馬鹿なところがあるんだ。気違ひだの白痴だの、そんな事はめつたに言ふべき言葉ぢやないんだ。殊に、私をつかまへて言ふとは馬鹿だ。油断してはいけない。私は前将軍の、いや、まあ、そんな事はどうでもいいが、とにかく北条家の人たちは根つからの田舎者で、本気に将軍家の発狂やら白痴やらを信じてゐるんだから始末が悪い。あの人たちは、まさか、陰謀なんて事は考へてゐないだらうが、気違ひだの白痴だのと、思ひ込むと誰はばからずそれを平気で言ひ出すもんだから、妙な結果になつてしまふ事もある。みんな馬鹿だ。馬鹿ばつかりだ。あなただつて馬鹿だ。叔父上があなたを私のところへ寄こしたのは、淋しいだらうからお話相手、なんて、そんな生ぬるい目的ぢやないんだ。私の様子をさぐらうと、――」
「いいえ、ちがひます。将軍家はそんないやしい事をお考へになるお方ではございませぬ。」
「さうですか。それだから、あなたは馬鹿だといふのだ。なんでもいい。みんな馬鹿だ。鎌倉中を見渡して、まあ、真人間は、叔父上の御台所くらゐのところか。ああ、食つた。すつかり食べてしまつた。私は、蟹を食べてゐるうちは何だか熱中して胸がわくわくして、それこそ発狂してゐるみたいな気持になるんだ。つまらぬ事ばかり言つたやうに思ひますが、将軍家に手柄顔して御密告なさつてもかまひません。」
「馬鹿！」
「あぶない、あぶない。鎌倉には気違ひがはやると見える。叔父上も、いい御家来衆ばかりあつて仕合せだ。」

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